薄暗くて失礼。。。
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手が疲れたんだよ。。。痛くって。。。素手だから。。。
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力が弱いから、ウエイトできない。。。
だから、筋力を先につけましょう???体幹も???
順序が逆かも。。。いいえ、、、そうじゃなく、弱くていいんです。。。

だって、、、他力は、自力よりもはるかに強いから。。。



Q「それは、どういう力で挙がるんですか???」
A「不思議な力なんです」「なぜか知らないけど、あるんです。。。(ぽーーー)」

いけませんか???笑(赤井秀一が変装してる昴さん風に)



論理をあざ笑うかのごとく、、、魔法が見えるでしょうか???
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どこにも力を入れてないんです。
力が入れば逆に乱れますし、
乱れてしまうから、力で解決しようってしてしまうんでしょうか。結局解決しないんですが。

強くなければいけない、という課題の意識。
「不足部分」を「足そう」という不安解消的なぬるま湯へ。
ほんとうは、「弱いこと」を「大いに肯定」することに、解決策があるんじゃないかしら。。。


うちは、、、いいえ、、、私自身が、、、きっと天然の癒し系。
大人になれない。ほくちゃんぼくちゃんのまま。
でも、なのに、奇想天外というか、
かっこよくいいえば、、、天才。。。ということにしておいてください。。。

その天然天才で癒し系の私が指導者になったら、こういう指導者になりました。

「扱うものは、バーベルだけ!」「女性でも、バーベル」
「逃げも隠れもしない、がちのバーベルくんだけ」
「よくわからないトレンドには、興味がない」

わかりやすい指導や、気の利いたサービス。
それが王道だと思っていましたし、それができないのはよくないことだ、と。
「こちらから歩み寄らなければわからない武田ワールド」
そう常連さんから言われたこともありました。

でもそれが答えだったのです。
私が頑張らないから、お客さんが頑張ってくれるんだって。
こんな誉め言葉を、俺はありがたいと思う。

気が付けば、常識というレールに人は、さいなまれています。
そういうちいさなものに、裁かれてしまいます。
でも、本当に大事なことは、なんでしょう???



ありのままの自分を
ありのままの現実を、
認めてあげること!!受け入れて、認めてあげること。誉めてあげること。

じゃないでしょうか???



バーベルは、頑張ってあげなければいけないもの。という常識。
重いものは、重いんですよ。それでいいんですよ。。。
我慢して、戦って、だから、、いっぱい傷つくんです。。。

じゃあ、、、

頑張らなければ???

下げてもいいのでは???

挙げなくてもいいのでは???

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教科書ぶったその動きは、私は不快に思えます。
正しいか、正しくないか、じゃなく、
気分が良いかどうか、じゃないでしょうか???

と持論ですが、わかってほしい、とお願いしてるわけではありません。

わかりにくくたって、、、いいのです。



おもりは、挙げようとしなくても、こっちが素直になれば応えてくれますし。。。(20kgプレートです)
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体作りもそうじゃないでしょうか???
うちのような「いじめないやり方」でも、体は作られますし、
体をつくるためには、いじめなくては???なんて、口が裂けても言いたくありません。

まっすぐ一本通った、バランスのいい、素直な体。
なぜかいっつも、気分がよくなるその動きと見た目。

繰り返しますが、
わかってもらえなくて、結構。

こっちも、好きで書いてるだけです。
あまりに自画自賛のクリーンができたから、動画にしただけです。
ついでで書いたブログです。

「扱うものは、バーベルだけ!」「女性でも、バーベル」
「逃げも隠れもしない、がちのバーベルくんだけ」
「よくわからないトレンドには、興味がない」

トレンドに走ろうが、その人の「自由」です。
でも私は、「頑張ってしまう」という「逃げ」をしてないだけ。
それを伝えてるだけです。

あとは、受け入れる人の問題であって、
他人の期待に応える義務はないと思っています。
他人の期待は、他人のもの、でしょうから。。。

2018年より、お金を値上げしました。
「お金をいっぱい支払って、チャンスをものにしてください。すべては、あなた次第です」
というメッセージですので、値を上げることはあっても、下げません。

正しいことをもっとらしく語って、そうじゃないものをさばいて、あれを課す。これを課す。
知識いっぱいおっぴろげて、それがすごいことだとなってしまう。
どうぞお好きなように。。。

私はもう、、、頑張りませんので。。。


うちは基本、60分もしくは90分からなるセッションで、
その60分ないし90分で、その人のトレーニングそのものを完結させてしまう方針。
それが今まで当たり前になってしまっていて、そこでふとひらめいたのです。



完結させることだけがすべてじゃないのでは???



うちは、ひとつの基本が他にも通じていて、そういうことがわかる内容でもある。
だったら、、、
何も60分や90分もかけて、ぜんぶやらなくとも、、、

その希望する一種目やらのワンポイントアドバイスで終わったっていいんじゃ。。。
あとは本人が活かしてもらえれば。。。

ま、1回の助言で完結するかどうかは知りませんが、
最初の一歩、そのインパクトは、莫大でしょう!!

あるいは、こういう方。
けが予防やコンディショニング目的。

これなら60分もワークアウトをしなくても。。。



ということで、、、



やはり完結したい方は、いつもどおり60分や90分で。
もっとも60分90分をメインにして、あとで自分で捕捉したっていいわけで。。。
と、それ以外にも、、、30分のミニセッションを、加えることにしました。

トップページにさかのぼってください。



ウエイトトレーニングとか、ようは鍛えたい人の鍛える目的って、、、
こういうのが多いのではないでしょうか???
それは、

「自分でできる能力を開発する」

それが、筋力だったり、操作法だったり。。。

でも、、、それだけ筋力を使うということは、それだけ、自分に自信がない裏付けです。
だから、、、実用性がないんだということです。
そうやって、ウエイトトレーニングを否定する人もいるでしょうか。。。



頑張りが足りないから、できないんじゃないんです。
頑張るから、できないんです。
頑張らないから、、、できるんです。
頑張らないことで、自信が芽生えていくのです。
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そう。。。多くが、力を入れるために、自前の力を増やすために、鍛えます。
下手すれば、自前の力が少ないから、鍛えることも勇気がいる???とか。。。
ぜんぶ、、、違います。

他力本願。
ここでいう他力とは、もっと壮大な高尚なもの。
私の感覚でいえば、そのおもりが、力をくれる。そのおもりが、うごきを作ってくれる。

そう、、、
ウエイトトレーニングをやる目的は、、、
自前をどんどん消して、力みをとって、
「リラックスしてるのに、できちゃう!!」をはぐくむため。

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余計な自力を消していくために、、、ウエイトトレーニングがあるのです。
もちろん、急にすべてがなくなるわけではありません。
でも、まずはこの初期設定をすること。そして、続けて習慣にすること。

そこじゃないでしょうか。。。



頑張らない習慣に。。。



おもりをもちいるのです。。。



筋力じゃなかったんです。。。ふふふふふ。。。
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2017.12.28 おまけ
この運動は、クールダウンに用いることもある、必殺エクササイズ。
やり方は、
・手の指を数回曲げる
・手首を数回曲げる
・肘を数回曲げる
で、おわったあとには、肩が軽くなり、腕がぐるぐる回りやすくなる。そんな運動。

数年前の動画です。緩んで気持ちよくなっています。
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これをやる目的は、、、

人間て、気づいたら、力んでるんですよ。
これが終わった後の弛緩度合いが、本来あるべき状態ですよ。
って気づくため。

また、うちのトレーニングをやれば、これぐらい弛緩するんですよってわかってもらう運動。

下半身にだって応用できちゃう。。。
そうそう、、、このサイクルは複数回やったほうが、弛緩します。

メカニックな話は秘密です。でも、自分から余計な力んだ動きをしてるんだということ。
それを末端から解いていく運動です。
魔法でしょう。。。

それでは。。。また。。。


2017.12.15 疑問
最新理論や情報、メソッドを悪く言うつもりはない。
でも、どうしてやることなすこと、「筋力をつける手段」でしかないのだろう。
負荷形態が変わるだけで、その筋力をつければ、こういう運動ができる、みたいな。

そうじゃないだろう!!

筋力に頼るから、動けないんだろう。

筋力に頼らない身のこなしありきのことだろう。

ウエイトや重力は、それを教えてくれてるんだろう。

体幹体幹という前に、力に頼らないバランスや芯を探すことじゃないのか。



古典的なウエイトトレーニングが近代化して筋トレ化してしまう。
乱れまくったケトルベル運動。
ケトルベルを否定するわけじゃない。やるなら、考えよってことだ。

そうやってウエイトを筋トレ化して、誤解されて、だから筋トレは不要だ、とかいう否定説。
だから俺は、戦うつもりはないが、自分をもっと貫くつもりだ。
宇宙のメッセージを受け取る、合法的じゃない温かいやり方を。

大人はすぐに、合法的に走る。ちゃんと感じないで、思考で判断する。
だから筋力が、、、って。
そうじゃなく、素直になって、子供がはしゃぐみたいに、楽しめばいいんだと思う。
そういう感覚や感情から、案外正しい判断が生まれたりしないだろうか。

物流なども含めた社会も一緒だと思う。
思いやりを持って正しいことを愛を持って取り組めれば、どんなに良くなるだろう。
大人のふりほど、稚拙だと感じます。そういう判断だから。


私も読ませていただきました。「君たちはどう生きるか」の漫画版。いっぱい刺激を受けたし、いっぱい励まされたね。そのすべてに触れることはできないが、話の中でいくつか登場はさせてみたいと思う。俺は以前、「アーティスト」という題名で、毎年心が踊りまくったことを書いてきた。俺がこういう考え方・こういう指導者になったのも、そこに秘密があるし、単に生活を守るためにお金を稼ぐ目的でこういう仕事をしてるのではない。


大事な何かを、伝えるためだ。


とくに今ではそうだが、情報まみれの時代になって、知りさえすれば、できてしまったかのような勘違いが起こりやすい。でも俺は、自分の体で実感し、しかもプロとしての実感。そこには、どこか、コペルニクスのようで、時代という大きなながれ、おおきな分子の軍団から勇気を出して分離し、あるべきありかたを求めてきたつもりだ。

もっとも初めから反対するつもりはなかったけど、知識を超えて、はるかに深い実感をかさねるうちに、そこだけでは解決しない、我慢の限界のようなものがあって、思い切って脱皮し、思考や常識を疑い、無というか、ニュートラルになって、感じてみたのです。

コペルニクスのように、宇宙のなかに自分があって、自分が世界の中心ではないんだとする心がけは、大人になれば得られる考えではあるが、それを常に持つのはまれで、とくに「運動」「トレーニング」という余暇のようなもの(軽くみてほしくはないけどね)では、ついそこがないがしろにならないだろうか。

昔、ある社長さんにトレーニング指導してたころ、おすすめのサプリメントを紹介した際、その社長さんは、間違った商品を買いました。経緯を聞くと、「部下に買わせた」とのこと。俺はショックで激怒し、なんと無責任だと叱った。若かったゆえに、本気で叱った。なんでもお金持ちは、たしかに買い物というか、ファーストクラスのチケットでも本人が買うものではないらしい。でもやっぱり、無責任だと今でも思う。

こういう例にもあるように、トレーニングも、利用する一手段、という軽い見られ方。その証拠に、すぐに方法論にはしるじゃないか!!すぐに答えを知ろうとするじゃないか!!こういうのは、実感して、感じ取って、初めて得られる財産なのに、指導者でさえも、体を使わずに知った気になる。今はそういう世の中なんだと思います。

だから、体の使い方っていっても、すぐに解剖学に走るし、頭と神経系だけで解決しようとする。そうやって、力むだけ力んで、それが瞬発力だ、機能だ、競技者だ、って具合に。コペルニクスの地動説じゃなく、自分中心になった幼稚な天動説だと、きづかないんだ!!それなのにかしこぶってる。人気もある。どこにリスペクトできるものがあろうか。

誰かや何かが中心で動いてるのではない。そう、俺が中心でもないんだ。俺はただ、自分の考えであって、宇宙と調和した自分のやり方を伝えてるだけであって、自分が中心ではなく、もっとやさしい気持ちを持つことを、ただ伝えたいだけ。でも、こういう感じ方は、宇宙と調和してると思うし、自信を持っている。だから、「私の支配下」じゃなく、あなたの答えを出すヒントを、与える意味で、自分のような考え方や自分のトレーニングは、必要なものなんだ、と思っています。その自信だけはあります。

やらさせ感いっぱいで、体中をあちこち指令させたいわば「ハウツー」。これだと、楽しくもないだろう。なぜナポレオンが、あんな短期間で力をつけて、時代を変えたのか。他国のやり方でもあった「傭兵制度」つまりお給料のために働く兵隊。でもナポレオン軍は、違っただろう。自由・平等・博愛だったか、そういう愛(愛国心・自由意志など)がある働きっぷりが、勝利・勝利・またまた勝利、と導いたのです。

うちは、ハウツーから脱し、人の「感受性」に働きかけ、楽しいもの。心地いいもの。いつまでもやっていたいもの。そういうものを求め、頑張らない頑張り方を開発してきた。さぼるんじゃない。楽しむんだ。我慢じゃなく、意志を持つんだ。心地いい動きを、一緒に探すんだ。力で解決しない、根本から変わるうまいやり方を、一緒になって、求めるんだ。

俺にもわからないことはいっぱいあるさ。
だからこそ、宇宙や環境に「ゆだねる」んだ。かみさまにそっと尋ねるんだ。



ほっこりジャンプで画面からはみ出す3mジャンプ!!
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前に進むときは、転がる感じなんだね。。。みたいに、教えてくれるから。
これも、実際に味わわないと、わからないこと。俺のブログは、見てすぐわかること謳ってるのではない。内容のない人気者にはなりたくないんだ。


こうして日々、自分も精進を続けています。最後に、できないからといって、自分を責めることはない。そう思えるのは、リスペクト心を再確認したいから。くず呼ばわりする人間が、いちばんのくずで、くずと思ってしまう人も同じさ。向上心や理想があるから、人は、過ちを犯せば、傷つくんだ。でもこれは、人だからこそ味わえる勲章。認めるって、魔法なんだなって、思います。

終わってみれば、話、ごっちゃごちゃになったけどね。。。



伝説のサブブログ(しょうゆ顔)に書いたこの内容の記事を、ここではもう少し踏み込んでみようと思います。題名は、台風の目。台風の目って、晴れてるらしいよ。。。と子供のころ体験されたご近所さんが。。。ネットの情報でも。。。

この前の記事と内容が少し重なります。おもりの受け止め方って話。
散らすって意味。散るって意味。
そう、、、軸では重さがないんです。。。軸では「落ちない」のです。

だから、、、重さを感じてないかのように、、、挙がってしまうのです。
でも、、、きちんと重さを、、、受け止めています。
いいえ、、、これが、、、正しく重さを受け止めたって意味です。

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からだも、、、体であって、体重という重さを持ちます。
だから、、、頭が上がって肩が下がるのは、自然なんですね。。。
でも、気張って引き上げるわけじゃなく、力んでまっすぐ固めるって意味でもないんだよね。

台風の目と一緒かなってこと。



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進む感じでは、転がる感じを大事にしてますが、
どんなに転がっても、軸までは落下しないので、軸が転がるわけではないので、
背中はまっすぐのままです。

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結論、、、


体の動きは、、、


おもりが、、、


答えをおしえてくれている。



軸から四散する重力。
軸は落ちない。軸以外が落ちる。回る。転がる。
それが自然なんだと、自然物が、教えてくれている。

力に頼って鍛える。筋力を強化する。筋力やパワーを発揮させることがウエイトじゃなく、
重量が、体に、ほんとうのあるべき動きを教えてくれるもの。
それがウエイトです。

筋トレじゃなく、、、ウエイトなんです。。。



魔法ですよね。。。



でも、その魔法が、、、現実なんです。。。



スポーツやトレーニングに関する雑誌で、補強という名目で、こういうのだったり、マシントレーニングだったりが、紹介されていたりします。それ自体はいいのですが、その響きがどうも、「重りに打ち勝つ筋力をつけなさい」「筋力をつけて、重りに勝ちなさい」という響きに感じます

もっともじゃあ、、、筋力をつけなければ、何をつけるのよ???と反感を感じるでしょう。筋力で挙げなければ、じゃあ「何で」挙げるのよ!!って感じに。。。でも私はプロのトレーナーとして、あるいはパワーリフターとして、こういう疑問を感じずにはいれません。



「どうして、挙げることばかり先行してしまうのだろうか」
「重りを正しく受け止めることを、感じることを、つまり、挙げる前の、もっともっと基本中の基本のことを、どうして述べないのか???」




挙げ方に走り、こうこうこういうフォームで、こうこうこういう規則で、みたいになってしまう。近代化。最先端。スピーディー。でも、だからこそ、便利だからと言って、形だけおぼえて対処療法。それでできたとしても、どうしてどうして、硬いフォームだったりするのか。

こういうふうに、やさしくうごくことだって、できるのに。。。


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その重りの受け止め方、っていう方(型)も、これも、合法主義に走れば、誤解になるでしょう。わたしなんかは、バーベルという構造上、プレートは、両端についてますね。これを意味するのは、「重りは、左右に、分散されてるんですよ」ってこと。だから、バーベルなのに、左右にダンベルをしょってるような感じ、でしょうかね。。。

でも合法主義に走って形を求めれば、感じられません。

ひとは、いつから、こどもじゃ なくなったのっでしょうか。
おとないなっても、こどもの記憶が あるはずで、
あるいは、もういっかい、やりなおしたって、いい。
その こどもの感受性を 味わうことを。。。


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第一話から、すっごくひきつけられました。

「みなさん 入学 おめでとうございます」
きょうは 入学しきです。先生が、おいわいのことばを いって くれました。
まみ子は。、どきどきしながら、きょうしつを 見まわしました。おなじ ようちえんに かよって いた ともだちとは、みんな べつの クラスに なって しまいました。クラスに なかよしの ともだちが 一人も いないのって、なんて こころぼそいのでしょう。
つぎの あさ。まみ子は、せなかに あたらしい ランドセルを せおいましたが、とても おもいような かんじが しました。その とき ピンポンと チャイムが なりました。
「おはようございます。」
ようちえんは ちがって いたけれど、おなじクラスに なった きんじょの あすがが、さそいに きて くれたのです。
「いっしょに いこう」
「うん。」
二人は、ならんで あるき出しました。
「まみ子ちゃんって よんで いい。これから よろしくね。」
「こっちこそ。あすかちゃん、なかよく しようね」
まみ子は、せなかの ランドセルが、きゅうに かるく なったような 気がしました」



あくまで読解問題の文書です。ですが、おとなになれば、スルーしてしまう感受性を、いっぱい感じませんでしたか???その読解問題の質問も、まるで、さっきの温まる気持ちを、再生させるような、問題、というより、「解けなければできない子」っていうんじゃなく、、、ふたたび感動できる。。。

たとえばこんな問題。最後のほう、まみ子のランドセルがかるくなったような気がしたのは???って三択。
・あすかがランドセルをもってくれたから
・あすかとなかよしになれたから
・らんどせるがあすかと同じだったから
これって解くだけじゃなく、その温まる気持ちが、、、もういっかい、、、蘇りますやん。。。

これと、こういう読解問題と、こういう文章と、こういう気持ちの味わうこどものこころと、トレーニングって、どこか違いがあるでしょうか???私が強く述べてるのは、こういうことです。だから、楽しいものなんです。そして、魔法のようでもあって、気分も好転するし、打ち勝つんじゃなく、、、温かい選択で。。。

ここまで述べて、こういう質問、やめてほしいな。
「それって、才能や素質があるから、じゃないんですか???」


以上です。