現時点で、たどりついた、自分の動作は、シンプルに、こう表現できます。



根が、地中の養分を、吸い取る感じ



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ここで、現時点で感じたことを、表現します。

今までは、鉛直といって、錘のついた糸の先端を指先でつまむとしたら、糸は垂直になって、指の真下に錘がきます。ようは、高い部分の真下には、自然と低い部分が来てくれる、ということ。だから、土台の上に、積み木のように積み重ねるものではない。そう感じていました。つまり、軸は、高いところから下へ貫通しにやってくる。そういう解釈。

今は、、、軸は、立つもの。かといって、積み木のように積み重ねるんじゃなく、下から立つもの。自然と立つから、積み重ねる必要もない。同時に、自然と、鉛直もかなっている。

あとは、そういう意識だけなら、重りは不要では???そうでもないんです。なぜなら、「地中・自分・重り」が貫通してしまうからです。こういうからだの使い方が、わかってしまうのです。そして重りをなくせば、、、自分がまるで、根が吸い取った養分で、てっぺんに花が咲くような、ぽんと開くような感じにもなります。

ただ、、、方法論やカタチにしてしまうと、一気に誤解へと駆け出します。抗う力みになったり、執着で力みになったりします。「この部位を、こうすれば。いや、こうしたほうがいいのか」・・・・・どうでもいいのです!!その執着を捨てて、アバウトになり、今、やってることを、感じる習慣。それが大事ではないでしょうか???私は何も、運動を、運動だけの視点でみてるのではありません。かといって、他分野に精通してるわけでもないけど、ただ、ひとつの分野に純粋に向き合えば、結果的に、そういう「統合的」な見方になるものではないでしょうか???

従来の「落ちる」という動作も、今、不要になったわけでもなく、「余計な動き」を「なくす」意味では、必要な場合もあります。大事なのは、「これさえやれば」と「結果」「未来」ばかりにとらわれて、「今、やってること」「今」を「見失わないこと」じゃないでしょうか???こんなことをしてても、意味がない。そう思ってやるのか、「意味じゃなく、今、これを楽しもう」と思ってやるのか。

ただ、、、ひとつだけいえること。それは、、、力を拾える、とは、とても楽しく、うれしい気分になる、ということ。自分にも、こんな能力が、眠っていたんだ、と知ること。過去にいろいろなできごとがあって、自分のことを否定する、悪く思う、だめだと思う。ほんとうは、そうではなく、今のままでじゅうぶんすばらしかったんだ、と知ること。

自力で力んで達成した喜びは、案外もろい。そのときだけしか満たされない。でも、他力というか、そういうものを受けられたとき、今だけじゃなく、過去も救い、未来も希望が持てる。今から、素敵がはじまる。そういう思いにさせてくれます。

同じ運動強度や種目でも、人によって差が出てしまう。原因は、本人の体の使い方。それの質によって、内容ががらりと変わるから。でも、じゃあ「その体の使い方」という「義務」「ノルマ」「課題」としてしまう。執着になってしまう。これではますます理想から遠ざかります。体の使い方とは、そういうものではないはずです。もっと、人間的で、温かいもの。心をなごませたり、硬さをとって、楽しさ・豊かさに変えてしまう。そういうものだと思います。


とまあ、、、ほんとうに言いたいことを述べました。

新式動作・旧式動作と最近謳いましたが、、、
やや自虐の内容になりますが、、、、笑
もっと大事なことに、気づいたんです。

旧式新式じゃない、もっと大事なことが。。。

これまで、自然体を求め、脱力し、調和を求めてきました。
でも、どこかピースが欠けていて、、、
走ることだったり、ウエイトリフティングだったり、

それで、これまで以上に、単純に。素直に。なってみたのです。
それこそ、、、チャンネルを変えてやる!!ぐらいの感じで。。。
これは以前の動画ですが、実は案外、そのことができていました。
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今までは、重力との調和やその受け容れを大事にしました。
これはやはり大事で、これからも変わりなく、だと思います。
ただ、、、今回思うこと。。。

それは、、、、

今まで、その重力なり、落下なり、鉛直なり、に縛られすぎてなかったか???

かといって、余計な「体への意識」で「指令してがんばって動かす」のではない。



はっきり言えること。
それは、
「スポーツの技術は、力を拾う技術」ではなかろうか。ということ。

その「力を拾う技術」なんです。単純に。

重力に縛られず、ほかにもいろいろ拾えてしまう。
「逆らう、、、ではなく、拾う」
そう考えれば、ウエイトリフティングは、とても機能的な運動ではないか、と思えた。

どう拾うか、どう動くのか、それを書くと、
「なあんだ!そういうことだったのか」
で終わるのがおちです。

でも、繰り返しますが、
「逆らう、、、ではなく、拾う」
なんというか、、、重力の落下作用も大事ですが、それ以上に大事なものがあって。

すると、、、
跳ね返「る」というその意識の必要さえもなくなるんです。
結果で跳ね返るものだし、どう跳ね返るも自由で、新式旧式自在です。

走る際の着地、その他の動きの「連動」。
拾うだけです。
拾うために、シンプルなことをするだけでいい。

あまりにシンプルなので、ここには書けません。
「え、それだけで」になるんです。
でも、「それだけ」だったのです。

あ、間違っても、体幹とかそういう話じゃないのであしからず。。。
でも、それだけなのに、鉛直もかなっていたりします。


もっと、もっと、、、がんばらなくていいんだ。
地球は、やさしいんだ。
力を、くれてたんだ。
それを拒んじゃもったいない。。。



新式旧式っていってた自分が、、、笑えます。。。


サブブログ(しょうゆ顔)もどうぞよろしく
意外と盲点、な内容もありますよ。



こっちでは、それを総括するような話をします。
「目標」について。

目標を決めることで、やる気がでたりしますが、
達成することを求めてしまうと、達成できない自分を否定しますし、
途中経過の自分は、達成できてない価値のない自分になります。

という考え方もあります。ほんとうは、目標を達成してなくても、何もしない状態でも自分のすばらしさを認めることが大事で、目標とという制限に縛られると、可能性を縛ることにもなるので、目標は設定しないほうがいい。そういう考え方。私は賛成しています。でも、私は少しだけ、こう感じている、ということ。。。

それは、、、

「目標には、、、ふたとおりある」

ひとつは、さきほどのいわゆる「義務感になってしまいがちなもの」。達成できてない自分には価値を持てないので、達成しても、価値を持てずに「もっともっと」となる危惧。でも、もうひとつ。。。やっぱりあったほうがいい、と感じるのが目標。でもそれは、こういう意味合いです。

それは、、、

旅行へ行くかのような、「楽しみ」としての「目標」



楽しみがないと、人生つまらないじゃない。。。
でも、頑張るんじゃない。結果じゃない。楽しむこと。
でも楽しんだ結果として、楽しい何かがあるんじゃないかしらってこと。



こんな見解です。

前の記事で、そのこと(新式動作)に触れました。

現時点で感じたことを、紹介します。



【旧式よりも、わかりやすい!!】
スクワットが苦手な方が、新式に変えた途端、動きがまとまり、安定しました。
旧式だとおもりと自分との呼吸が難しいのですが、
新式にしたら、あっさり呼吸が合ってくれた感じでした。

【まっすぐ立ってくれた】
ようは、軸が立ち、終わった後、体の真っすぐ感っていうんでしょうか、
その軸の立ち上がりが、すごくよかった。からだがさらにまっすぐに。

【リズムが良くなる】
動きのわかりやすさと話が重なりますが、
跳ね返「る」感じになるのは、案外自然な感じで、きれいな落ち方をしてくれます。
でも同時に、自然な跳ね返りが、タイミングもリズムも合わせてくれます。
なんだか、、、勘がよくなるような。。。その感覚が、トレーニング後も続きます。

【運動後は、、、軽さプラス・・・・】
話がややか重なりますが、、、
以前の旧式の場合も、終わったあと、体が軽く感じ、柔らかく弛緩し、動きやすくなります。
それだけでも衝撃で、追い込んだ痕跡が残らないのですから。。。
でも新式での運動後は、、、
軽さ・やわらかさの衝撃だけじゃなく、、、「キレ」まで出ます!!


で、これは、スクワットだけじゃなく、デッドリフトでも一緒。
おもりに逆らってあげるのではない、という部分では旧式と同じですが、
新式ではそれが、より自然なかたちで可能になった感じです。

ロウイングやアームカールなどでは、跳ね返りがないので、
力まないで、下げてるのに挙がっていく感じが重要になります。
こういう力まない練習をやったあとから新式の練習へ移行するのもいいかと。

階段を下る際は、新式動作がわかりやすい。
走るって、、、こういうことなんか???みたいな。。。



その新式動作「跳ね返る」ですが、
感覚でいえば、、、
「跳ね返る」だけでじゅうぶんで、余計な単語を足さないことが大事。

落ちれば、空中のどこか(空中)にぶつかって跳ね返る感じでしょうか。。。



新式の手ごたえを、日々、楽しんでいます。


2018.06.17 進化の途上
結論から申せば、
これまで賛成していなかったからだの使い方を、肯定した
ということで、その新しく肯定した体の使い方を紹介します。



ですが、文字だけで説明するのも困難で、ましてや右脳的な私ですので。。。笑。
ここは、動画で紹介します。
今までのを「旧式」、新たに肯定したものを「新式」とします。

まずは、自重運動(腕立て伏せ・スクワット)から。旧式は、こんなふうに、ふわふわと。

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で、「新式」は、こういうふうに、キレます。

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今までは、新式のような「跳ね返すような動き」は、否定していました。
でも、、、ものは見方です。
跳ね返「す」、じゃなく、跳ね返「る」

肯定したきっかけは、
このような新式の動作も、日常でたくさん発生することに気づいたから。走るのも。ね。。。
また、スポーツでも必要なときや、こういう知恵があったほうがいいとも考えられる。

ただ、、、

旧式が間違いで、新式が正しい
旧式がだめで、新式が理想
とはいってません。


それは、用途の問題であって。

言い換えれば、
回転するながれが旧式。
直線的な新式。


別の表現、
面で捕らえるなめらかな旧式
点で捕らえるキレある新式


だからあとは「用途の問題」
でもどっちも、、、素直な動きだと思いますので、
むしろ自然と切り替わるようにも思えています。

旧式でこり固まると、はねるべきときにそれを押さえ込んでしまう。
下手すれば、ワンテンポ遅れかねない。
してもいいし、しなくてもいい。
今までは、一方にしかなく、他方を「してはいけない」としていた気がします。



追加すれば、
新式からいきなりやるよりは、
先に旧式を覚えたほうが、理想だと思う。

なぜなら、さっきと重複するけど、力んで力んで「跳ね返す」になるから。
怪我や負担の元になるから。
だから、逆らわないながれを、逆らわないうごきを、覚えたほうがいいと思う。




では今度は、バーベル運動なら。。。なじみの旧式は、やわらかい。
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新式は、、、、、、跳ね返「る」
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おまけ。



その新式は、跳ね返る要素ですが、じつはこれこそ、
スナッチやクリーンの「セカンド」で使えば!!
なんてことをすでに。。。



進化の途上です。



いいえ、、、進化というより、認めた。受け容れた。許した。包容した。大人になった。