2017.02.05 自分軸で動く
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さ、、、、自転車は27インチ。何がおきるでしょうか???43歳のアクショ~ン!!
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足掻いた動作ではないでしょう???
足掻く、ということは、誰かや何かに対して行うことです。
「誰かや何か」が主語や中心になってしまい、自分がその主語に支配されてしまう感じ。
勝つか負けるか、になってしまう。支配するか支配されるになってしまう。

むかつく相手がいます。むかつくことをされました。生意気だから、絞めたくなります。
これが、足掻くという意味です。
でも相手を絞めたとしても、相手は憎しみを持つし、自分も傷つくし、勝てた気にもなれません。

同じむかつく相手がいて、自分はどうだったのか???どう感じたのか???
自分が傷ついた。自分が悔しかった。自分が悲しかった。自分が嫌だと思った。自分の腹が立った。
これは、自分軸の癒しです。自分が守られる。そう伝えればますます癒しや自負にもなる。



争いじゃなく、解決を求める
自分の価値を下げない




動作には重力がついてまわります。
その重力が主語になれば足掻きになりますが、
自分が主語になって、重力を感じれば、どうでしょうか???

「重くっていいんだ。落下するんだ」からはじまり、
「動きの軸や方向やながれがわかる」へと続き、
「重力を受けたほうが、動きやすかったんだ」へと発展する。

ウエイトトレーニングの重りは、そういう「自分軸」の「感じ方」を磨くもの。
足掻いて動かすものではありません。解決ではなく戦いになるのは、自立できてないから。
足掻くから、傷ついてしまい、痛めてしまい、苦しんでしまうのです。

我慢せず、自分のことをいっぱい癒しましょう。。。
そこから、解決へと導かれていくような気がします。



重力とともだちになる





瞬発力を養成するために・・・・・・・・

要点は、上リンク記事をご覧ください。


・・・


今回はその補足と大事なエッセンス。掘り下げた話。
先に、案外うまくいった感じがするこの動画から。
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瞬発力、と聞いた時点で、
「特別意識」というか「今を変えなければいけない意識」というか、
そういった「世襲」が働くのでしょうか???

上のリンクでは、その世襲をぶち壊すことを述べてきました。
「瞬間のなか」にも「ながれ」がある。
いえ、、、「ながれ」が基準となった「瞬間」でしかないのです。

でもその「ながれ」をこれまた「特別意識」してしまっては、元も子もありません。
「ながれ」や「一定感」を得たいのです。
掘り下げれば、、、「世襲」でもある「そういう変化」を「なくした」ほうが「うまくいく」

変えなければいけない、という瞬発力は、力み以外の何者でもありません。
日常生活でもそういうのが力みの原因でもあります。
それを取り除くこと。すると今度は「じゃあ、、、どうやって動けばいいの???」

これこそ「世襲」だと思います。

余談ですが、世襲という言葉を辞書で調べたわけではないのですが、
私の感じとしては、「世間が自分に襲い掛かるもの」「世間に自分が襲われるもの」
そういう解釈をしています。

ほんとうは、、、初めから動きができていて、動くものが動くだけであって、
止まったものを動かす、だから力が要る。操作が要る、という思考を、私は信じていません。
初めから動けているのです。静止とは、固定ではないのです。動作のひとつなのです。

ましてや重力が働いています。すでに「動いている」のです。
「落ちる」「落ちたことで、動けてしまう」「すでに揺らいで(動けて)いる」
私がウエイトで言う「(重さを)受けたまま動けてしまう」

これこそ、、、瞬発力の基本ではないでしょうか???

だから、、、先の動画のようなことも自然と叶うし、尖ったムリのある力みにはならないのです。
だから、、、玄人めいたながれを瞬間のなかに感じ取れるのです。

繰り返しますが、、、ながれを特別意識してはいけない。
これだとまさに、すり足走行みたいな話になってしまいます。
がっちがちで不自然な動きになってしまいます。

そうではなく、、、
素直に感じ、受け取めること。そのままでいること。
ようは、、、完全に「信じきること」

素質というのは、、、「信じきる能力」でしかない、と思います。
変化を我慢することではなく、
信じきって動じない感じ。(くどいが、、、感情と人間性をなくした我慢とは違う)



感じたこと。実感。素直さ。



それだけだと思えてなりません。




いえ、、、ね、、、走ってて気づいたんですけど、、、

最近は、着地というあの短い時間(瞬間)にも“ながれ”ってあるんだってこと。
弾む感じ、とか色々考え方があるそうですが、弾みはするのですが、、、
その弾みのなかにも“ながれ”ってあるんじゃないか???って感じ。

歩く動きがそのまま走る動きになってしまう。
もちろんカタチだけで模倣するだけでは、すり足走行になってしまう。
そうじゃなく、、、瞬間のなかにもながれってあるんじゃないの???ってこと。

じつはこれは、走ること以外ではすでに感じ取っていたことです。
そしてこれまで、そういう指導をしてきたのです。

こういったボックスジャンプでは、とがったような短い着地を意識したりする。
でも私はむしろ、、、その短さを長く感じる。でもつぶれて踏んで止まってしまうでもなく。
古い動画ですが、、、サボり症(笑)のため、一度しか跳びません。。。瞬き厳禁(笑)
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どこかこう、、、「針で突付く感じ」ではなく、「ラウンドする」「ローリングする」というか。。。



そしてよく瞬発力養成目的であつかわれるこういう種目。
バーが腰を通過するあたりで「一気にギアを入れて、瞬間的に」・・・・といわれます。
しかし私は、、、これこそ「しっかりながれを感じ取るもの」だと思っています。
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だから、、、何でもかんでも「爆発的爆発的・・・・」となってしまう。
そうやって神経系が磨かれる、というのは、「生理学」でいえることです。
しかし、、、その瞬発力が「ホンモノ」になってくれば、、、それが「スローモーション」に映る。
そういう話は、私も体験してますし、全日本クラスのうちの生徒さんもそう言ってたし。



そう考えれば、、、本気で瞬発力を磨くのであれば、、、



先に、、、「ながれ」「ラウンド」「ローリング」「積数」を刻むべきであって、
遅くてもいいから、まずは動きを磨く。
生理学で見れば真逆でしょう。しかし、、、、王道へつくには、先にその基本があるべきです。

「これができなければ、それをやってはいけない」
みたいになってしまうのでは、いつになってもそれができません。
永久にできませんし、永久にその立ち位置にこれません。

自信の持ち方と一緒です。そういうやり方では、自分がありません。
これを遂げなければ自信がもてない。遂げてもまた次、、、となるか、その圧力で遂げない。
いすれにしても永遠に自信がもてません。



先に王道という答えに准じ、やっていく。
先に自信を持つから、結果も栄えてくる、と一緒で。
プロセスは大事なのですが、、、ミスミス自分の価値を低く見積もるのはどうかと思います。

「これができなくても、それをやる資格はあります」

「でも、、、簡単なところから」

そういうプロセスが大事です。
「ハードルを下げて成功癖」とは、そういう意味です。
普通の遅い動きのスクワットでも、じゅうぶん、、、瞬発力のエッセンスが磨かれます。

体重の何倍分の重量を挙げれて、瞬発力養成メニューを行う資格が整った、、、ではなく。
で、仮にその資格を得られました。そこで瞬発力、と張り切るはかりに尖ったものを求め、
いつになったらながれがつかめるんだろう。。。でも、、、と・り・あ・え・ず・・・・・・か。。。。。

これだとおかしい、と、なんとなくわかったでしょうか???

それでも結局、、、、それでもわかる人やわからない人がいます。
ぶっちゃけこれって、、、運動暦じゃないもんね。。。
感情レベルや人間性だったりしますもんね。。。

「感情を捨てて機械的になる=人間性を捨てる」という意味でしょうから。。。
そういう狭い機械的視野が、能力を滅ぼしていると思います。
ようは、、、自分で自分を縛っているんです。

思うんです。
特別な人が特別なんじゃなく、特別だと思うから特別な人に映るんじゃないかと。
あえて「特別な人」と言わせてもらえれば、
そういう人ほど、普通で王道でまっすぐじゃないかと。。。




さらに詳しくは、こちらから





トップページにはいくつかの動画を載せています。
見ててどうですか???どう感じますか???
思うんです。手厳しい人もいるかもしれませんが、普通に見れば、

「うまく行ってる動き」

ではないでしょうか???そのひとつをここに掲げておきます。

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うまくいってるんです。ようは。。。



筋力で抗ったり、我慢で力んだり、操作法に縛られたりではなく、
どこか自然でしょう???どこかムリがないでしょう???
うまくいくというのは、そういうことだと思うんです。間違いなくそう思うんです。



こういうふうに。。。
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私の動きは、十年以上も「落ちる」という表現をしてきました。

この意味にも誤解があり、重力がキーワードではあるのですが、
決して「重力に支配された動き」ではないのです。
もちろん、「重力に抗う動き」「自己本位な動き」ではありません。

具体的には、「固める」「踏む」「蹴る」「引っ張る」「押す」「曲げる」「伸ばす」「回す」「ひねる」
あるいは「連動させようとする」「体の細部をどうこうしようとする」などをしない感じ。
何かをしてないけど、どうにかなっている。そういう動きでしょう???



重力が働く環境は、絶対です。
なのにそれを無視して抗えば、勝てたとしても、その我慢が積もっていきます。
不安の裏返しにも思えます。「どうしてそんな頑張るの???」と思えてしまうのです。
でも、重力になすすべなく支配されるがまま、でもありません。



支配するも支配されるもないのです。



うまくいく方法、、、それは、自立すること。



支配したりされたりするのではなく、そこで調和することです。



自立してるからこそ、、、(その意志があるおかげで)そうしようとするのです。
自立できないから、重力を支配したりされたりして筋力で自立しようとするのです。
闘って自立しようとするのです。いえ、もはや自立ではありません。相手ありきになっています。



その重力との調和にたいし、支配されることじゃないのか???と思ってしまう。
これは、重力を支配しようとする裏返しです。闘うことの裏返しです。
自立していない裏返しです。自分を信頼できていない裏返しです。

勝つか負けるかになっている。
ようは、それは、相手に対して。あるいは自分を客観した自分(ようは相手)に対して。
ようは、闘っている。



自立してるということは、
動きで言えば、闘わず、すでに叶っている次元の高い状態。
筋力に頼らず、自然体、それでいて満足が実現している、ということ。

他者をどうにかしようとして立つことが自立ではなく、
他者関係なく、自分が心地良い選択をして立つことが自立です。
そういう環境です。自分も環境のひとつです。

「環境を知り、いばらを避けたい」「闘わず、犠牲にもならず、友好的に事を運ばせる」
という自分意志あるいは自由意志が、自立の証です。
それが自然であり、自立ではないでしょうか???



つまり、自立してるから、、、自然とそこへなじんだほうが賢いと身体が感じます。
自分からそうしようと身体が反応します。心が反応します。
だから、とてもシンプルで、複雑に考えたりしません。それでうまくいくのです。

自立してないから、、、闘ってでも勝とうとします。負けてはいけないと踏ん張ります。
自立してないから、、、無力になってしまいます。しかも、いけないと思ってしまいますます無力に。
自立してないから、、、「自分が!」「自分が!」と独りよがりになり、自分が見えません。
そうやって過剰な筋力強化に励んだりします。しなければいけない、と思ってしまいます。



あの明ちゃん体操(先日の記事)を見て、
あれだけですごい意味合いを感じた方は、自分を大事にしてる人だと思います。
軸というのは、固めて「自分が」「自分が」と自分も周りも見えてない力んだ状態ではありません。
そういうのを「自立」というのではありません。私には「我慢したむなしさ」にも映るぐらいです。



自分から、自分意志や自由意志を持って、心地いい側を選択すること。



それが、、、自立できてる証です。



重力と、「ともだち」に、なるのです。








あほや言うたら、あかん。。。



・・・



硬い頭をほぐした自分でいたいから。。。



でなきゃ、力んだり、大人の思考で醒めてしまうから。。。
トレーナーは、、、鬼軍曹じゃないからね。。。
ちょいとしたエンターテイナーだからね。。。



・・・



ポイントは、感じること。素直さ。それだけです。
大人の思考を捨て、常識を忘れ、力をいれず、ひとたび「今」を感じましょう。
抵抗せず、戦わず逃げず、受け容れてみましょう。



大人や力みを捨てて、、、リラックスし、心を軽く、素直に感じ入れ、取り込みましょう。。。



【レッスン1】重りは、動きのせんせいです。その重りの真下に入る運動です。
あえて重りは、体から少しずれたところに上げます。
すると、これでは「重い」「きつい」「つらい」と体と心が反応します。

だから体は、、、そう反応します。

それだけのことなんですが、
力んでしまうと、これ(アンバランス)を我慢して支えてしまうのです。
我慢をせず、素直に感じ、反応してみましょう。

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バージョンアップした移動型の2(ツー)も。
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*土台の上にものを乗せるんじゃなく、てっぺんの真下にそれが来るものなんですね。
前者だと、力んでてもやってしまう「我慢の動き」。後者のように素直になりましょう。
重さを受けてる最中も、脱力して支えてる感じ。真下に来てる感じ。心地いい感じを満喫します。



【レッスン2】重りは動きのせんせい。重りは静止物ではなく、落下物。動いています。
さきほどの運動も、落下という動的なもの。だから体も、そっちに反応したんですね。。。
そのレッスンを先にした体は、やや素直にもなっています。

今度はよりその動的な部分を強調。

落下という「動きそのもの」を感じ、調和し、なじむだけ。一緒になるだけ。友人になる感じ。
落下にたいし、闘う必要もなく、過敏に防御する必要もない。支配する・支配されるでもなく。
力を入れず、ただただ「動的な落下」を受け容れてみましょう。

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*先日の記事のけんだまの動画が、原型になります。
別の動画にしましたが、こういう対峙が大事です。
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水面が揺れない動きが、理想です。水面が揺れる動き、、、それは、我慢の動き。負担も大きい。
負担をかけずに大きな出力は、、、可能です。むしろ、王道です。
頑張らない。心地よく。素直に。心地よくないのなら逆におかしいと感じたり修正したくもなるもの。



「でも、、、」を捨て、素直に感じましょう。。。それが、答えです。




こういうことを書くとき、申すとき、ようは、自分が成長できたとき、
その嬉しさはあるのですが、
同時に感じるのは、、、、、、、、、、

半分はおわびの気持ち、半分はわくわくした気持ち。
まあ、より良くなる、あるいはもっとシンプルになっていく、と解釈ください。



硬さに気づいたんですね。。。スナッチやクリーンとかで。
結論はそういうことで、今までやってきたスクワットとか、落ちることが大事で、
求心はね、、、案外「二の次」って話になるんです。。。ほら、、、言い憎い。。。笑。



うちははじめてのお客様にはたいていやってもらってること。
だいたい、以下の動画にあるようなこういうことをやってもらいます。

動画では「剣玉」を使い、糸の張りを一定に保ったまま上下させただけ。
力は入れず、糸の張りが乱れないよう、鉛直を保とうとします。
そしたら???持った左腕だけが???

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軽くなっているんです。右腕よりも遥かに。。。
動画では撮影してませんが、右腕も同じようやってみると、、、
右腕もちゃんと、、、軽くなってて、左右とも同じぐらいかる~くなってるんです。

(現場では、重りを使ったり、水の入ったペットボトルを使うこともあります)



記事をひとつ削除したのですが、その削除した記事にあった動画。
重りさんをこっち側へ引き寄せてやってみたんですね。。。
たしかに挙がりやすかったんですよ。。。しかし、、、、

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終えたあと、、、あろうことか、、、腕がさほど軽くなってない。。。
けんだまのときと比べたら、ぜんぜん、、、硬かったんですね。。。

そこで、、、

じゃあ、、、原点に還って、、、、鉛直を受けて、落ちて、求心を捨てて。。。
そしたらこれがまた案外すこすこ軽く挙がってくれまして。。。
終わったあと、腕を回すと、、、、すっごく軽くなってたんですね!!

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ふたつのスナッチ動画、
動作もやっぱ、後者のほうが自然で、やわらかい。
やってても、窮屈感がなかったし、、、自然と求心もしてた気もする。



落ちること。
重さを受けて、感じること。
たったこれだけなんですね。。。

そこへ歩み寄ろう、としてしまうのは、
もちろん歩み寄らず離れていてはいけませんが、、、
歩み寄りこそ、、、しないぐらいの自然さ。鉛直を感じることに実直であること。

終わってみれば、、、

やっぱシンプル。。。



自虐の気分もあるが、、、
でもまたこれで、、、一段成長できました。
私でも、こういうことはありますし、指導者なら変化は「するもの」です。

シンプル化という大きな変化になりました。
いえ、、、変化しない変化というか。。。
ま、、、感じ方が良くなったことで、余計なものがまたひとつ、、、剥がれ落ちた感じ。

考えちゃ、、、だめですね、、、笑。感じることを阻害しちゃうから。。。



しかし、、、



改めて、、、



思い知らされましたね、、、



重力って、すごいですよね。。。






2017.01.29 まっすぐ
「自分(俺のこと)は正直者やから・・・・」

近所のコノミヤで買い物中、同じマンションで同じ階に住む仲良くしてるおっちゃんと出会い。
じつは先日、そのおっちゃんが私を助けてくれました。
そのおっちゃんと仲良くなったきっかけは、、、数年前、、、

・・・
・・・

すれ違う程度で話したこともないそのおっちゃん。マラドーナそっくりの太ったおっちゃん。
そのおっちゃんが、、、マンションの入り口で、、、
酒に酔って転等(後ろ向き)したのかどうか、後頭部を花壇の角にぶつけたのか。。。
それを俺がたまたまとおりがかり、「大丈夫ですか!!」「大丈夫ですか!!」意識も朦朧。。。
すぐに俺は管理人を呼び、救急車を呼ぶように指示。動こうとしてたおっちゃんに、「じっとしとき」

数日後。。。。管理人から「一命は取り留めた」と。。。

それからどれぐらい経ったか忘れたが、
そのおっちゃんが退院したのか、マンションで会って。
だいぶよくなってて、お礼を言われ、

そこからいつしか仲良くなっていったんだったっけ???

というのは、俺の中ではいつの間にか仲良くなり、近所の情報とか教えてくれたり、
気さくに色々話す仲になっていったものだから、、、
そのおっちゃんがある日、こう俺に言ってくれたことで思い出したぐらいだったから。。。

「あのとき、ほんとうにありがとう。俺、あれから酒をやめたんや」
「あんた、命の恩人やから」
「(酒をやめたのは)拾った命を大事にしたいんや」

それで思い出したぐらいだった。そういえば、、、って感じで、
でもあの時俺も、、、必死だった。。。なんとかしてやりたい。。。
でもこうして無事で、障害もなく、ましてや仲良くさせてもらえている。

こっちのほうが、ありがとう。です。そして何より、、、「良かったです」

・・・

近所の温泉から帰るも、、、財布の小銭要れの中から鍵を取り出そうとしたが、
「自転車の鍵のほうしかなかった」
あわててしまい、日が明るいので管理人のところへ。相談してみよう、と思ったから。

その途中、偶然にもそのおっちゃんが。事情を話した。
それで俺は管理人のところへ行った。話がスムーズに行くか行かないか、という最中、
そのおっちゃんが管理人室まで来てくれて、突破口を開いてくれた。

「お前ら鍵の再発行させよう思ってるやろ?再発行代取ろう、として」
「マスターキーあるやろ。それを貸したらええやん。鍵を貸して合鍵屋で鍵作りゃええやん」
俺には
「コノミヤに安い合鍵屋あって、400円でやってくれるから、今からそこ行ったら???」

正直俺も、、、
鍵をなくしたことによる動揺もあったし、そこまでの知恵が回らなかったし、
仮に合鍵を買う頭が思いついても、合鍵一個1000円ぐらいする店しか知らなかったから。。。

でも、、、運良くそのとき、そのおっちゃんと会ったこと。
見えない力というのがあって、「偶然」で片付けられるものも、ほんとうは必然だったという。
起こるべくして起きたことだったが、起こるべくして起きたラッキーでもあった。

・・・・

でも俺のことをよくわかってくれてたのだろう。。。
「あんたは正直者やから、、、」
そこを肯定してくれたそのおっちゃんの愛情が、今回こうして俺を助けてくれたこと。

昔から俺は、正直というか、曲がってないというか。。。
ぶきっちょで、若い子らのほうが世渡りではうまいはずだと思う。
若い子らのほうが大人にも思えてしまったりしたら、自己否定に陥りやすくなるんです。

でも、もし俺が、器用で、世渡り上手だったら、今回のことは起きなかったし、
愛を、愛情を感じることもなかったし、
多くの読者は俺のことをブログでしか知らないはず。でも正直でしょう。。。

飾らない。飾れない。飾りたくもない。



俺がこんなだから、、、だから俺には、、、、、、、(ワールドが)、、、、



だったら、、、まっすぐで、いいじゃないか!!



ぶきっちょは、裏を返せば、、、正直でまっすぐ。
器用さはないけど、ありのまま、素顔で、それでいるからできることだってある。
そうでなければ、、、俺(武田さん)は誕生しなかった。。。



他人と比べたときに悲観的になる気持ちも、わかる。
でもそんなとき、、、そんな自分をいたわりつつも、自分に映る姿の見方を変えてみる。
短所は、長所の裏返し。。。何回もこのブログで語ってきたこと。



まっすぐで、いいんだ。。。



だから、、、俺なんだ。。。



そんな俺を、まず俺自身が愛そう。



「自分は、正直者やから・・・・・・」
笑顔でやさしく俺を包み込むように話してくれたそのおっちゃんに愛されたこと。
これは自分へのメッセージとして、受け取ろうと思った。




いつもは本業ではないクリーンやスナッチが中心でしたが、
今日は、本業のデッドリフトだけの動画です。90kgでしたが。。。
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たしかにたかが90kgですけど、
いつもの動画(60kgか70kg)と同じ動きだということを見て欲しかっただけです。
不思議でしょう???

やってて私も不思議なんです(笑)

いえ、、、この不思議感が、、、やめられないのです(笑)

ケガもなく、終わった後にすっごく軽くなることも、わかるでしょう???(笑)



今までは、どう感じていたのか、どう感じるべきか、とかを書いてしまった気がしたのですが、
それは、良くないことです。そう思いました。
だってやってる本人は、、、別段、、、感じようとかしてないわけです。
実際指導中、、、見本をやってみてから、答えをいうぐらいです。

何が言いたいのか、というと、



「感じること」こそ、「結果だ」ということ。



言われてみれば、当たり前ですよね。。。
でもその時点で、すでに、やらされ感になっていたり、力で操作しようとしたりします。
「どう動かせば良いのか」という「情報」が欲しい???



でも指導者の立場から、、、それがいちばんいけないんだと思います。
私はデッドリフトなどウエイトトレーニングをやる際、、、その気持ちはだいたいこんな感じ。
それは、、、



「どれどれ・・・・・」



力を入れず、自然体。重りと正面から向き合う。ただそれだけです。
「どれどれ・・・・」
なんです。



だから、、、重さの感じ方がわかり、調和の仕方もわかってくるのです。
構えたり、闘ったり、過剰に防御したりせず、
「どれどれ・・・・・」



最低限に必要なことは、「力を入れないこと」と「重りに近づくこと」
あとは「どれどれ・・・・」じゃないでしょうか???
結果がついてきます。その結果が「等速」であったりします。



「どれどれ・・・・」



その感じ方を、楽しみましょう。。。




結局思うのは、、、自分を信じ、貫ききった人が成功してる、ということ。

これは、「学習」や「ものを選ぶこと」においても一緒。

あっちのほうがいい。こっちのほうがいい。そうやってあれこれ探してるうちに、
その「あっち」も未完成。その「こっち」も未完成。選んだことに責任を持てず、集中しないから。
しかもだらだら時間だけが過ぎていく。しかも一貫性がない。

あるいは、「あっち」か「こっち」か二者択一だとして、選んだ側に責任をもてないケース。
「こっちを選んでいれば・・・」と思う人は、
結局その「こっち」を選べば選べばで「あっちにしとけば・・・」となるでしょう。

仮にもっとすごいものがあったとしても、、、選んだことに集中し、信じること。
信じきれること。それができた人が成功してますし、才能や素質ではありません。
私個人的に「教えやすい・教えにくい」の話ではありますが、それが結果に反映されます。
これは身勝手な話ではなく、そういう現実なのです。

考えず、計算したり、どうしようか試したりせず、やらないよりはましか、という打算でもなく、
「今」を無邪気に感じ、楽しむだけ。私もそういう空間作りにしたくてやっています。
そういう楽しめる人は、今できてなくても、「絶対に大丈夫」って思えるものなんです。
私が見てるのは、その人の「ミスり方」です。ミスがいけないのではなく、その作法です。

私が嫌いな言葉は、、、「とりあえず」です。

最後に、私がどうして、世間とは一線引いた目線の指導や考え方なのか。
一貫してるからです。
でもそれでいいと思っています。その一貫から、すごいものが生まれるからです。
その一貫から、品質の向上へつながっていくからです。

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私のなかの「小さな習慣」


それは、、、


おおまかに、、、


「ながら動作をしない」


たとえば、家で食事なら、なるべくテレビを見ながら食べないようにしたりします。
ようは、、、味わいたいのです。後片付けも、後でやるようにします。「後・片付け」だけに。
カフェにいくなら、コーヒーを飲みながら本を読んだり事務をしたりはしません。
コーヒーはちゃんと味わい、コーヒーを飲んだ後に、本を読むようにしています。
たまに近所の温泉に行くときも、余計なことは忘れ、今、その気持ちよさを味わいます。
とくに浸かり始めが、サイコーですね。。。うわ~気持ち良い。。。

歩きスマホは本人はおろか、周りにも危害が及びます。
それだけではなく、ながら操作は、本人が感じることを捨てているようなもの。
今の歌手を悪く言うわけではありませんが、歌うなら歌う、踊るなら踊る、となってないから、
見てる側もいまひとつ、、、何かを感じ取れたり響いてくるものも感じませんし、、、

ウエイトトレーニングのいいところは、、、重りがある、という点です。
操作法に惑わされず、重さを実感し、重力を感じ取れることで、動けていく点です。
その重さを感じ取るために、そこだけに集中できる点です。

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バーベルしか感じてませんので、それをいかに感じ取りたいため、
力は入れませんし、バーベルに歩み寄ります。
歩み寄りに関しては、バーベルを前後から挟み込むのですが、重りが自分側へ来てくれるので、
結果的に「自分→バーベル←自分」というカタチになります。

力を入れて頑張るのは、焦りやテンパリからです。
そういうフラクタル(相似形)は、どこでもつきまといます。
だから、、、感じない。。感じたくない。。。感じられない。。。。

「闘うか、逃げるか」・・・・・という発想です。そういうプロセスができあがってるからです。

あわててことを済まそうとしてる接客とか、そういう人を見て、良い気がしません。
「良い気がしない=その人に良い気がしない」のです。客が大事にされてない。
ひとことで、愛が足りないのです。それも「その人自身がその人にたいして」

自分がされてきたように、相手にするからです。

ディズニー関連の書籍によれば、そこの研修では、
新人はまず「おもてなしを受けること」から始めるそうです。
先輩や上司からもてなされることで、自分がされたように人をもてなすからだそう。

じっくり味わう。闘わず、仲良くする。協力を窺う。そういう目線。
これは、ウエイトトレーニングの話ではあるが、トレーニング以外の時間でも当てはまるし、
良いトレーニングは、人をそうさせるものだと思います。

支配的になって、結果ばかり求めて、手段を問わない運動で、ムリをしてきたのでしょう。
あるいは、そのムリが嫌になった。。。嫌だった。。。我慢しなくては。。。その我慢も嫌。。。
ようは「闘うか逃げるか」

そこじゃなく、、、

素直に味わう。今を味わう。
でもそれでできなくてもいい。できたら尚いいが、できなかったとしても、いい。
ここで「自己肯定」が役に立つ。そう、、、まずは「今」です。

その「今」つまづいたときに、過去を洗い流す。
(今やりながら過去を見てては、今をまったく感じませんし、うまくいきません)
そういうことを強要してたなあ、、、でもそれでよく頑張ってきたよな、、、と肯定する。

ようは、、、一気にできるようになろうとしないこと。
うまくいくそのプロセスを味わうこと。
0%やマイナスだったものが、1%でも成功したら、成功癖の始まりです。

大事なのは、、、
「他人目線」や「偏見ばかりで勝手な厳しい評価」「先入観」「常識」じゃなく、
「自分の満足」です。そこがはじまりです。

前者だと、「ゼロか100か」になり、「闘うか逃げるか」になり、自分を苦しめます。
後者のように、「1~99」を楽しめるようにしていけば、100への道が開かれます。
前者だと、せっかく上り詰めても、頂上を見ては「まだまだだ」と肩を落とします。
後者のように「上り詰めたこと」に「満足や達成感」を味わう。



いつも達成感がある。

そういうプロセスを刻んでいきたいですね。。。



「こんなにうまくいっていいんですか」
「いいんです!いいんです!」

そういう重力の神秘を体に刻み、
鍛え終わったあとに、ものすごく身体が軽く感じられ、癒され、温まり、流れ、
それが日常へ反映されていく。
歩行だけでも日常や家事などでも、その動きのスムーズさについつい実感してしまう。。。

あ、、、でもそういう実感って、、、すごくいいことですからね。。。
そういうプロセス。。。
そしてまた、トレーニングに帰ってきて、またうまくいく。。。また日常やスポーツへ。。。

頑張り方も変わってきて、先入観が剥がれ落ちて、頑張った結果じゃなく、楽しんだ結果。
潜在意識が喜ぶ豊かな感じ。素直になれていく感じ。根元から変わっていく。だんだん。だんだん。
その変化(自己回復)が楽しい。即席結果を義務しないから、楽しく豊かになる。

潜在意識の声は、感情を介して教えてくれるものだから。。。
ようは、プラス感情も育つ。マイナス感情にも素直になれる。ようは、、、肯定癖がつく。。。
そういうフラクタル(相似形)となって、、、日常や“わたしそのもの”の形成まで。。。



楽しいフィットネスライフの誕生です。