昨日のしくじり先生、途中からでしたが、私も見ました。
ソニンさん、感動しました。泣けたし、勇気ももらえました。
指示待ち人間だった彼女が、それを克服し、自分の意志を大事にでき、自分を取り戻せた話。

彼女が自分を取り戻せ、誰の指示も仰がない自分の意志で決めたここが自分の居場所だ、と。
その世界(業界)ですごい賞をもらったそのインタビューでマイノリティーって言葉が出たので、
どういう意味か調べてみたら、

「(多数派に対する)少数派」

自分も負けそうになってつい「アウトロー」な気分になるときもある。
でも彼女、そのすごい賞をもらったときのそのインタビューで言ってました。

「マイノリティーの方もたくさんいらっしゃると思いますが、
頑張っていればこうやって認めていただける日もあるんだなということを
私を通じて感じていただければと思います」

自分がこうだと信じた努力は、必ずつながるんだ。
こうだと信じて頑張ってきたことは、必ず芽が出るんだ。
彼女もたしか「意志を持って、信じてやってきたことは、必ず誰かが見てくれてるんだ」みたいに。

彼女の純粋な言葉に勇気をもらいました。
自分の意志を、やはりこれからも大事にしよう。
そういう姿勢は、誰かにも届き、その人へもつながることかもしれないし。

俺は、、、俺でいいんだ。
やりたくてやってるそのやり方やこの仕事で、いいんだ。



個人的な話、いや、動けて動けて、快適なんですよ。。。
(っていつものことかいって話になりそうですが、、、いつも以上に、、、という意味で)

たまに走ってみたりするんですが、、、
鎖骨も肩甲骨も上腕も遊離したかのような腕振りになって、
やばいぐらい身体が軽い(と感じる)んですよ。。。速い動きにも対応しやすくなってきて。。。

ただ、、、

と、ここからが本題です。

その肩甲骨とか股関節とか、ようは中心部位を意識してしまうと、、、硬くなるのよね。。。
できた結果から原因をそれに求めると、失敗するよね。。。
ようは、、、「結果」で起こることを「原因」としないこと。

脱力(リラックス)して、落ちるからこそ、叶うのです。
たしかに中心を使おうとして、中心は使えますよ。でも、落ちないからね。力んでるからね。
それより、感じられてないでしょう。だって「体へ意識を課して」「思考してる」んですから。

まっさらな感覚が大事で、
思考で作られた感覚や感情に、だまされてはいけません。


「思考」を捨てて、「感じ」ましょう。
「感じる」にも、まずは「リラックス」しましょう。
それが「正しい原因」となって「結果」を導きます。


現在進行形で改善中のスナッチ。画だけみたら溜めてるように映りますが、原因は、違います。
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(画が気に入りませんが)クリーンはやや慣れただけあって、ほ~らこんな感じ。
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もう、この感じは、フロックではないようです(笑)。つい撮影してしまいました。
瞬発力は、力じゃなく、力を脱すること。力を脱することで、重さを感じられ、動けてしまうもの。
動きを作るには、感知が重要。その感知のためにも、リラックスが重要。
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メカニック不能のやわらかさでしょう???
フォームは、カタチじゃないし、ちからじゃないんです。
やはり、、、そう実感します。


天井を向いた部分に、重さが乗る感じ、でしょうね。。。
あとはその結果でしかない、というか。
保存の法則が効いた、絶妙な調和というか。

でもその元は、、、リラックスです。体への意識じゃありません。


感知すれば、(呼吸も)調和し、(動きの)ながれもよくなります。重力と、ともだちに、なりましょう。
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「筋肉を鍛えること」にはさまざまな効果があります。それ自体は否定しません。
しかし、どうせなるなら、「良い動き」で鍛えたほうが、良いに決まってます。

筋肉を鍛えるその運動効果を求めた犠牲で苛め抜くよりも、
鍛えられるという結果論で、調和した動きで鍛えたほうが、
筋肉を鍛えた効果以上の効果も期待できますから。
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やわらかいその動きが、さまざまな効果をもたらします。
筋肉も結果的に鍛えられてますので、その効果もあります。
以前お客さまから背中をさわられて、ふわふわでやわらかい筋肉だと驚かれました。
弛緩が自動化され、それでいて元気でもある。ポジティブな体になってるんだと思います。

ネガティブな焦りや闘いや抗いや我慢じゃなく、
ポジティブな心地よさや楽しい熱中度や高まる自信(自己信頼度・自己肯定感の向上)。
身体が作られるにしても、「根本」が違うから、一線を引いたものになるのでしょうね。




バーベルダンベルなどの運動では、絶対的な基本があります。それは、、、「天井を向いた部位に効く」というか、ようは「高い部分からそれが起きる」のです。バーベルを担ぐスクワットでは、担いだことで動きが導かれます。「担げば、動ける」それが私の感覚です。足から上へ上へと逆らうものではないのです。高い部分から、それが起きる。

しかし、こういうふうに「バーベルをぶら下げる種目」の場合、わたしはこれまで、お客様への説得に悩みました。担いだときのようにバーベルが高い位置にあるのとは訳が違うような気がしたから。時々自分でも「感じることよりも、定義に無理やり当てはめて」しまってるのでは、と葛藤もありました。それでも私は、バーベルが低い位置にある「ぶら下げ」でも、「担いだときと一緒だ」と頑なに助言してきました。

それでよかったのです。それが正しかったのです

どういうことか、といいますと、
「バーベルによって下方(地面側)に引っ張られる」のではなく、
「天井を向いた高い部位から(高い部分から)落ちるんだ」と。

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繰り返しますが、バーベルを担いでいないので、バーベルが高い位置にはありません。こういうときこそ、下方へ吸い寄せられる感じは、NGです。これだと動きの順序を誤り、重力と調和しない動きになります。下手すれば「手挙げ動作」にもなりかねません。

「いちばん高い部分から。。。」

そうでなければ、手挙げになります。


なぜなら、、、バーベルをぶら下げてるのは、、、体の構造からも、
手ではなく、、、腕でもなく、、、もっと体の中心側だったりするからです。
平たくは、、、天井を向いた部位。そこからぶら下げているのです。


クリーンでシュラッグ動作(肩がすくむ動作)が入るのも、手挙げしない理想のメカニズム。
でもシュラッグ動作を意識するのではなく、天井を向いた部分から落ちる(ぶら下げる)こと。
それが基本。高い部分や根元の部分から重さを感じ取れるか。ようは「リラックス」が大事。

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ロウイング(背中の種目・漕ぐような動き))のような種目でも、
「どうしてぶら下げただけなのに、肩甲骨から始動する動きになっちゃうの???」
と不思議に思うかもしれませんが、根元や高い部分から重さを感知できてるから、です。
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手挙げするかしないか、という「カタチ」だけの修正なら、誰でも思いつきます。
プロは、、、根本を見抜くのです。
感じること。そこが基本です。



高い位置で担ごうが、
低い位置でぶら下げようが、
基本は同じ。




ウエイトトレーニングをする理由はさまざまです。競技力を高めたい。ダイエットしたい。体型を整えたい。筋肉をつけたい。機能的になりたい。運動不足解消やストレス解消。などなど。そして、たしかにやり方や考え方もいろいろあって、その用途に合わせたやり方や考え方を選ぶことになるのでしょう。

ここまでは普通の内容です。
しかし、こういったことを触れても、
本人の感じ方の良い悪いで、理解のされ方もがらりと変わってきます。

「やりさえすれば、結果が出る」みたいに考えていると、おそらく結果も出にくく、やってる最中もいまひとつ充実もしないでしょう。そこには「感じる」ということが欠如してるからです。「感じる」ということが欠如してると、自分で判断できてない、という意味ですので、「正しい判断力」が芽生えません。「耐えれば結果が出る」・・・これが、耐えても耐えても結果が出ない一番の理由だと思います。

では、どのように感じればいいのでしょう???トレーニングとは痛める要素。だから休養と栄養が大事。そう思いこんでトレーニング中は「いためること」「いじめること」を感じればいいのでしょうか???たしかに体は作られます。しかし、機能という面では間違いなく低下します。それは、やっててそういう動きを(自覚があるなしに関わらず)感じてるからです。でも、これも「感じ方が悪い」と、「その苦痛や違和感」に「疑問すら」感じません。歯を食いしばる。おなかを力ませる。筋肉が焼け付くようにパンプアップ。体の発達にはいいでしょう。しかし、機能では、そういう動きが刻まれます。耐える能力がぐんぐん身につきます。しかし、同時にいえるのは、「危機を感じる能力」や「判断力」が低下する。そう思います。

やる最中の実感が大事です。ようは、どう動いたのか、が大事です。それが、もっとも理に適う動きであることが、最重要だと感じます。重さが過負荷としてかかるウエイトトレーニング。それだけでじゅうぶん、体も発達はします。それだけではありません。「動作の記憶」もされていきます。良くも悪くも。「挙げなければいけない」という思考は、「挙がらない」という感情の表れです。

交感神経優位が悪いわけではありません。それが「ポジティブ」に働くか「ネガティブ」に働くか。そっちが大事です。やる気がみなぎる。楽しくて仕方ない。そういうときは「ポジティブ」になっています。だから、「しんどくなったら、休む」「おかしいと気づいたら、立ち止まる」などの判断ができます。このときは、自信を持って休んでいる。休むことを許している。だから、思い切り休めている。これは、ポジティブな副交感神経優位ということです。反対に「不安でやっていたら」、それはネガティブな交感神経優位。「抗う」「闘う」「我慢する」これらも一緒。だから休むときにも罪悪感を感じます。副交感神経優位への切り替えもしにくく、ストレスも溜まるでしょう。さらに今度は、覇気がなくなり、気力の低下。これはネガティブな副交感神経優位。脱力もこのように誤解されても困ります。

どうせ重りを扱うなら、私なら、「やる気がみなぎる」「楽しくて楽しくて」「不思議で面白くて」「快適で」という手法を選びます。不安の裏返しで動かすのではなく、「信じる気持ちを持って」やるのです。無意識に人の思うことは、無限です。でもその無意識が現実を生むこと。私のなかでは、重りの重さを、普通に受ければ、普通に挙がってくれる。理屈もなく動いてくれる。考えないほうが、その思考を捨てたほうが、自然体でうまくいく。そういうものだと思います。受け容れないから、筋力で戦ってしまうのです。だから、苦痛になる。硬くなる。実用性が生まれない。重りを受け入れ、自分と重りを信じきれば、重りが動きを運んでくれるもの。だから快適で、楽しくなる。でも充実する。温まる。ポジティブな意識が、ポジティブな結果を生むのです。そう感じます。

どういう気持ちで取り組むか。それによって、結果もがらりと変わるし、人としてのあり方や生き方まで影響を及ぼすと思う。あるいは、生き方どおりのやり方にもなってしまうのかもしれませんが。。。「結果のためなら手段をいとわない」という生き方なら、そういうやり方を選ぶのだと思います。でも生き方がそうであるように、「本人の素直な感じ方」が低く、「我慢」と「争い」で生きるので、おだやかではないでしょう。いつも負けてる気分で生きてるような気がします。私には耐え難いことです。感じ方を捨てて、ねばならない風の思考に走り、いばらをわざわざ選ぶのではなく、感じ方を大事にし、いばらを避ける判断力にしたがって行動したほうが、日々のプロセスに満ち足りるし、つまりそれは、日々勝ち癖を刻むことになり、いつまでも向上することを意味します。

うちは、結果もそうですが、ある会員様のことば「これまで習い事という習い事は1~2ヶ月も続かなかったけど、こんなにも長くしかも我慢がなく続いているのは、(このトレーニングが)初めてだ」など、プロセスを大事にしてるから、結果もでるし、しかも楽しく継続できる。我慢でそのばしのぎ風。それが悪いとは言いませんが、我慢のない、豊かで、それでいて好転していくやり方だって、あるんです。そういうものだと、トレーニングの世界を通じてですが、思います。気張らない。踏ん張らない。我慢しない。いばらを選ばすして、それは実現してもいい。罪悪感なく、叶って良い。




2017.03.03 進化
落ちるという私が作った動作法を私が提唱しています。10年以上も続いてます。でも、10数年前の「落ちる」と今の「落ちる」では、根本では一致しても、やはり変化というか進化というか、改善もあるし発見もあるし、抽象が現実味や具現性を帯びたりするようになってきたと思います。重力と時間にかみ合う動きですが、重力とかみ合えば時間ともかみ合える、とも言い換えることだってできます。そういうことを、ウエイトトレーニングやその技術、いえ重さの感じ方が教えてくれたりします。

感じ方だって、最初に感じた感じ方と、経験を積んだ感じ方では、大きく異なっていきます。しかし、最初のころは、簡単な感じ方でじゅうぶんです。それよりもまずは、「我慢せずに、感じること」「争わず、味わうこと」だと思います。このブログでは、私の最近の感じ方を紹介したことがありますが、いきなりそれをやるのではなく、それこそ落下するりんごをどうキャッチしたら手が痛くないか、あたりから始めるとか。

一気に完成させよう、とするのは、一気に「だめだ」「まだだ」を実現させてしまいます。
「まだだ」ではなく「いまは」を実感することで、そこであえて止まることで、達成感を味わえます。
「いまは」の達成感。そのプロセスです。

感じ方に従順になる、ということは、自分がわかる、ということです。
自分の愛し方がわかる、自分の肯定の仕方がわかる、ということ。
考えてしまえば、いくらでもたくさんのものが作り出せるでしょう。でもそこには実体がない。
実体はおろか、自分がない。仕方なく学ぶもの、なら、それは必要なものか、問うべきです。

体で感知する。

その感情を味わう。

結局、トレーニングというのは、それだけのような気がします。
それのために、トレーニングがあるのです。
体を賢くさせる。自分で感じる。自分を肯定する。

その肯定度合いを高めていく。



あとはその人の感性が、さらに先へと突き進ませるのだと思います。
「こうなるのが、当たり前」「こうするのが、当たり前」という発想を捨て、
「こう感じた」と言える自分でいたいですね。




たとえばお客様からの言葉。「今日は調子がいまひとつで、前回は良かったのに」
以前の私なら、「そんなことはない」とその言葉を認めず、(お客様のことを)否定して、励ましていたような気がします。今なら、「そうなんですね」みたいに認めてあげられます。だから、頑張れ、なんて言いませんし、また良くなるよ、とも言いません。「そうなんですか」「そう感じるんですね」。そうすることで、「どこが良くないのか」納得いかないのか」が「具現性」を持つのです。これはとても大事で、そうやって『自分を感じる』ことが、解決法になります。認めずに感じられずに『漠然としたマクロ』は、認めて感じることで『バラバラに細分化させて具現化すること』にしてあげるのです。ですのでその上で「ここをちょっと見つめましょうか???」みたいなことはします。そうやってあくまで「今を感じていただくように」します。

「でも・・・・」と反論するのは、初めから相手を拒んでいるのだと思います。
それが前向きな方向であっても、そうだと思います。

そして、仮にうまくできなかった場合でも、「言い訳」や「身勝手な自己分析での弁解」をする場合は、うまくいってないことを認めてないんです。だから、うまくいくことはないでしょう。それより素直に「今日はうまくいかなかったな」と「認める」ほうが、すばらしいのです。すばらしい声だからこそ、私は「認めてあげる」のです。少なくとも、認められたとき、心が自分に向かっています。自分の感じ方ができています。でも言い訳するなど認めないときは、相手を見ていたり、思考で裁いていたりしてて、自分の感じ方ではありません。

うまくいかなかった。言い訳しない。認める。感じられる。
すると、向上心が湧き出ます。建設的に行動もできます。
感情をすぐに処理できますし、健全です。すがすがしい、とも言います。

言い訳ばかりすると、悲観的破壊的否定的な思考や行動になりかねません。
その言い訳が強がりになり、我慢になり、それが残るのです。
ますます自分の感じ方が鈍り、そのうち「わからない!」と人まで責めかねません。



まずは、認めてみる。
認めたら最後、、、じゃありません。
「認める=支配される」となってしまうのが、そういう思考でしょうから。
そういう思考に走るから、誤ったポジティブシンキングみたいになってしまうのかもしれません。

認めれば、逆に誰からも支配されないし、支配もしないのです。
認めることは、自分を愛することじゃないでしょうか???
自分を愛し足りないことが原因で、うまくいかなくなるのでしょうから。。。




運動って、とくにウエイトトレーニングって、思うんですが、

テスト勉強のような「ここ、テストに出るから、しっかり覚えて置くように」風の注意の仕方。
ようは、「その注意事項が、ありありとわかる動作」
「そこを、しっかり、注意してますよ」風の動作。

実際にやればわかるけど、間違いなく動きが硬くなります。
しかし、そこが「専門性」という圧力なのか、それが正しい、と思い込まされる。
結局、、、思うんです。。。好きでやってないんだな。。。って。。。



安心感も安定に摩り替わり、最低源さえよければそれでいい。
そうやって「我慢」で取り組むんです。
我慢のさせ方の旨さが、専門性に摩り替わるんです。

私なら、、、我慢するぐらいなら、「やりたい・やりたくない」の判断を煽ります。
それでもそういうものだから、、、とおっしゃるなら、その人の責任でそうしてもらいます。
でも、そこに疑問を感じる人なら、「どうすれば心地良いか」一緒になって探します。



落ちる、という動きは、はじめから心地良いものを探しぬいた動きです。
注意点すら包み込んでしまえる「動きのながれ」があります。
テスト勉強の暗記物のように、我慢して、構えて、覚えよう、覚えなければ、ではありません。

重さを感じられれば、、、あなたの体は、どう反応するでしょうか???

それを、その実感を、楽しんでもらってるまでです。


結局それが、、、「ここで言うところの」テスト勉強をせずしてパスする方法、というか。。。
せっかく自分でできてるのに、
みすみす他者承認に陥って自信をなくすような愚は、避けたいものです。



これまで私は、さまざまなレベルの方を見てきました。世界レベル・日本レベル・関西レベルあるいはまったくの無名選手、そういう基準とは無縁の一般中高年など。ただ思うのは、「こういう人がうまくいってたな」という感じや記憶だけはあります。そういう人は、選手レベルとしてだけじゃなく、人として一流なのかな???と感じずにはいられませんでした。



「自分の分野では一流でも、トレーニングの分野では、一年生」



そういう気持ちが、吸収するでも「素直さ」となり、貪欲さを生みます。

「でも・・・・」とは言いませんし、疑いなく信じます。実際にそう私に言ってくれたアマチュアゴルファーもいました。「武田さんを信じてるから・・・・・」だから彼は、スクワットでは60kg程度しかできないのに、でも動きがすばらしいから、ドライバーで300ヤードを超えたり、プロにも勝ったりするなど(彼は会社経営者です)、成果を出されたんだと思います。知ったかぶった質問などはありませんでした。たたただ、実感を楽しんでもらえ、「落ちる」「等速」など、その言葉を自分の言葉のようにゴルフ仲間に楽しく語らっていました。

実際にこれとは反対に「でも・・・・」とおっしゃる方も数多くいました。ある方は、「トレー二ング後は筋が弛緩する」ということを「感動」と捉えませんでした。私の「落ちるスクワット」でたしかにほぐれはしたものの、彼いわく「重量から解放されれば、軽く感じるものじゃないんですか???」。そこで、彼が普段からやってる「私が硬い動きだと指摘したスクワット」をやっていただき、その後腰をぐるぐる回してもらいました。すると、、、(腰まわりががっちがちで)言葉を失っていました。でも思えば、最初から「信じよう、としてなかった」のだと思います。対立するチャンスを窺っていたのかもしれません。私もあのとき、実際には気分がすっきりはしませんでした。彼に恥をかかせた気分にもなったし、またどこかで疑うだろう、そう感じていました。

一年生になれるから、、、丁寧に感じよう、実感しよう、と謙虚になるものです。
自分のために、味わおう、とするものです。
損得勘定で、上級生気分で「裁く」ようなことは、しないのです。

信じる気持ちがあるから、今、この実践時間を大事にし、実感を大事にできるのです。
信じられる人は、他人に対して、もそうですが、「自分に対して」信じきれているんだと思います。
知ったかぶって、先ほどの例みたいに赤っ恥にはならないはずです。



「一流は、一年生になれる」



そう思えてなりません。
そういう気持ちが、感性を磨き、自分の成長へつなげていかれるんだと思います。
私も「刺激」になるぐらいです。