久々にジョギングをしました。走り方も忘れかかってたぐらいだったのですが、キレキレでした。で、その翌日、ジョギングしました。短い距離を何本か。。。って、ダッシュじゃないの???いいえ。。。じょぎんぐ。。。

そう、、、よくね、、、ジョギングではリラックスできてるのに、ダッシュになったとたん、人が変わったかのように力んでしまうこと、ありませんか???たしかに力やスピードはジョギングとは違うでしょう。でもそれ、、、疑問に感じませんか???

ダッシュでも、ジョギングの気持ち(その早送りという気分)で動くと、私でも、リラックスして速く走れた感じでした。けってないのにけれてましたし、回転もしやすく、進んでもいましたよ。。。私なりには、ですけど。。。


ダッシュのことも、
ジョギングっていうぐらいが、
ちょうどいい



念を押すけど、エムという意味じゃなく、
ジョギングのようにゆっくりダッシュするいみじゃありません。
ジョギングのような感じと気分で速く走るのです。ジョギングの早送りです。

自在ですよ。5倍速でも何倍速でも。。。

坂道ダッシュのトレーニングをやる日に、
さ、、、坂道ジョギング5本、いっとこうか???みたいに(笑)



ウエイトも一緒で、ゆっくりした動きでリラックスできてる土台があってのスピードです。
スピードを意識したとたんに人が変わるのは、いかがなものか。。。
ゆっくり動いてても、、、ブレーキで力んでいないのです。

同じメカニズムで(早送りですから・・・)速く動くのです。古い動画を。冬場の動画。

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暑苦しさを脱し、古い夏場の動画。
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驚きましたか???読者さん。。。。
あれほど、、、重力と向き合って、誰より重力に向き合ってきた私の、言葉と題名に。
ってね、、、違うんですよ。。。

ここ数日に書いた
・感じてるような感じてないような
・何を感じるか、という深さよりも、脱力と信頼

この内容そのままなんですね。。。

手放すっていっても、放棄したり、敵対したり、するんじゃありません。親子関係みたいなもんですかね。。。子供が大人になっていくときの親子関係みたいな。親離れ子離れしますが、つながってるでしょう。。。いつまでも幼児のままの親子関係じゃなく、、、という話です。信頼で結ばれてる。でも親にとっては、いつまでも子供は子供。

ここで動画。10kgプレートでお遊戯。
10kgはあるんですよ。。。発泡スチロールじゃありませんからね。。。

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一度は重力を受け止めています。でも動き始めれば、0kgになってるんです。
いつまでも10kgじゃないんです。
かといって、下手な脱力で力を抜くだけでは、こうはいきません。
いえ、力を抜くだけでこれができるのなら、すごいことです。才能があるんだと思います。

うちは、、、才能を磨くトレーニング。わかりましたね。。。

じゃあ、おまけです。
力感がないが、スムーズなのは、重力を手放し、信頼できてるからです。
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だから、重力を受けることは大事。
でも、その重力にいつまでもこだわったりしばられたり、しないことでしょうか。。。
多くが、調和せず力で解決しようとします。
しかし、、、調和すれば、ここまで可能性が広がるのです。

見える力や筋力だけで解決しようとしてては、いつまでもこの領域に立ち入れません。重力は、宇宙の一部だと私は感じます。宇宙は、我々に、いつも力をくれてて、そのサインに気付いた人だけがうまくいく、とか言われます。サインに気付くこと、、、じゃないでしょうか???

サインに気付けば、、、うまくいきます。

ごり押しせずして、、、叶います。

整った体や身体能力、動けるからだ。けがのないストレスフリーな日常や若さ。
ポジティブとは、頑張る気張るという空元気じゃありません。
サインに気付くことだと思います。


ウエイトトレーニングは、力を入れない技術を習得するためにあります。
そういう技術が、実用性となり、怪我のない、こりもない、動きやすい体作りになります。
というのは、、、私の考えです。

ですが、ものごとの偏見をなくし、まっすぐに純粋に重りという自然物と向きあえば、
私のいうことのほうが、的を得ていると思っています。
でも、力を抜けばいい、というものでもありません。これでは怪我もします。

そういう単純な話ではありません。これだとあまりに内容が薄い。

ああすれば、こうなるから、ああしなさい、これで納得できますか???
納得したとしても、それは一時的なしのぐすべ(対処療法)であって、
そういう安易さに見合う事態になって、自分に帰ってくることでしょう。

だから、、、型にはめる人は、型にはまるだけのうわべの満足しかなく、本質が得られない。
大事なのは、本質です。そこを感じる楽しさ。楽しめる能力。
能力という硬いものじゃなく、好奇心だと思います。

硬い、という言葉がでました。感じれない人は硬いのです。
数値だけですべてを判断したり、方程式だけですべてを裁き、暗記や型にします。
「見てるようで、見れてない上司」って疲れますよね。。。そこです。

逆に、「見てないようで、見れている人」って、どうでしょうか???
変な硬さ、型にはまるような窮屈さがなく、無邪気さがありながらも、的を射抜く。
数値に隠れた人の個性や人間性だったりを汲み取れる包容力。。。

私が理想としてるのは、そういう後者のようなあり方です。
苦言をいうと、この内容がわかりにくい、という人は、前者のような人材だと思います。
さて、前置きが長くなりました。


こういうスクワットで、ようは、完全にしゃがみきったあとで、どうしてどうして力を入れないのにすいすい挙がってしまえるのでしょうか???普通なら、絶対に、力んでしまう。あるいは、ものすごい脚力が要るのでは???と浅はかな判断。そこには、感じ方という感じ方があるのです。

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10kgプレートでお遊戯。
脱力して、重さも感じていますが、感じ方という感じ方があるのだということ。
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過去に、私のトレーニングで「感じよう、感じよう、としてるんです」と言って、目を閉じて研ぎ澄ますようなことをして挙げてたんです。結果、硬いものは硬いままで、中身がまったく変わっていない、という例がありました。私も正直、対応に苦戦したのですが、このように、型ではめ込む人は、「両極端」な発想、、、つまり「ゼロか100か」という発想になるのです。

見てるようで見れてない人、じゃなく、
見てないようで見れてる人、のほうがいいじゃないですか???

感じ方も一緒です。

力を抜けばいいんじゃなく、力が抜けてるぐらいの何のしがらみもない状態であること。
力を入れる必要がない、そこへ持っていくのです。
重力が降ってかかります。これを感じなければ、怪我もします。
でも、過剰に感じてしまっても、ぎこちないことになります。

感じない、、、でもない。
感じてるんです。でも、研ぎ澄ますわけじゃなく、
普通にしてるぐらいなのに、かえってよく感じられている。



私は、こういう表現を活用しています。



感じてるような、感じてないような



だから、、、感じられるのです。
だから、、、力を入れるなどの余計なしがらみがなくなるのです。
ゼロか100か、じゃなく、一見いいかげんな表現かもしれませんが、、、

「見てないようで、見れている上司」
みたいになりたいですよね。落下する重りは感じています。
でも落下に支配されないで、
不思議なあがり方をしてしまう。

でも、落下を、感じてはいる。



ま、、、国語力の問題です。



運動は、バカではできないと思います。
脳みそが筋肉では困ります。
筋肉こそ、脳ミソであるべきです。



多くが、こういったトレーニングで、「力を入れること」を学ぼうとします。
その「力を入れる数値や能力」で「能力」を算出しよう、とします。
だから、、、ありきたりの答えしか出ませんし、
そういう官僚的なフォースに押さえつけようものなら、弱者は「ぐう」の一言も出にくいもの。

でも、、、安心してください!!

力を入れる能力で判断できない世界があるのですから!!(力を入れない)

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力を入れてばっかりするから、そこで裁いてしまうから、、、見える世界が狭くなってるだけ。
二階から階下を見下ろしたら、1階でやってることが丸見えで、ちっぽけに映るもの。
力で解決する。力む。だから、、、怪我をするのです。

そもそも、、、いつまでも力を入れ続けることって、できますか???
できないのであれば、、、無理をしているのです。
その「無理能力」を鍛えるのですか???

私なら、、、できる能力を鍛えます。

力を入れなければ、、、、いろんな力を味方にでき、大きな力が出るのです。
結果的に、、、感じています。いろんなものを。不思議な感覚です。
ファンタジーなんです!!

でも、とくに運動はそうで、、、システム化されたものじゃなく、見えない不思議があって、
そこを楽しむもの。だから、分析や深読みはしない。
結果的に、、、体は、、、感じているから。。。何を???それが余計。

三次元だけで思考する。いくらでも思考できますが、どこかファンタジーがない。
限界がくる。あきらめる。
でもほんとうは、、、人は、もっと、、、夢や希望を、謳歌できるのです!!

さ、、、力は入れない!!自然体!!それで、実現するのです!!
信頼。自動化。ファンタジー。
脚力???連動???考えない考えない!!
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2017.06.24 おいしい盲点

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うちはどっちかというと、
機能改善というか、動きを整えたり、いやしたり、怪我しなくなったり、
強さが本物になったり、それでいてやわらかかったり、



そういう路線ではあるのですが、



そういう路線だからこそ、、、



そういう路線ならではの、、、



体づくり、筋肉づくりが、、、



できるのです!!



筋肉を発達させる、あるいは筋肉に効かせる、
ようはやってる最中にどれだけ使いたい筋肉が使えるか。
たいていは、そのために、使いたい筋肉へ意識を集中させたりします。

でもそうやってやれば、、、終わった後、筋肉が固くなります。
それでも柔らくなる方法。終わった後なのに柔らかくなる方法。
しかも筋が適度に使われる方法。

あるのです!!



力を入れす、重さを受けて、下げるように挙げるのです。アップライトロウです。
肩がすくまない、きれいな動きです。
でも肩以外の腕とか僧帽筋上部とか余計な関与がありません。そこ(肩)にヒットします。

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体つきにびっくりしましたか???



そうです。じつは、、、服の中は、こういうことになっていたのす。
背中はやばいでしょう???でも触れば、、、やわらかいんですよ。。。
と余談はいいとして。。。



重さを正しく受け止め、いじめないような挙げ方で、的確にそこにヒットし、
しかもすいすい。。。きれい。。。
終わった後は、、、軽かったですよ。。。緩んでましたよ。。。
ま、、、やってる最中も緩みはありますけどね。



今度はショルダープレス。
数セットやりこんだあとだったので6回目7回目、とくに7回目は、、、それでも、、、
歯を食いしばることなく、逆に力を入れす、下がるように、ゆっくりでも挙がっていきました。

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粘りじゃなく、、、それでも力を入れないポジティブさ。
ゆっくりでも、どこか止まっていない感じ。
終わった後、、、もちろん、、、肩は、、、やわらかくなっていましたよ。。。



基本は、、、全身運動にあります。そのうえでの部位別です。

頭で指令して、その筋肉へ意識を集中させるのは、誰でも思いつくことです。
ですが、不自然だと思いませんか???そういう動かし方を普段しますか???
だから、、、硬くなるのも無理ありません。



でも、「機能性=体が発達しない」ではないのです。



むしろ、、、どこか的確で。。。



いばらを歩くこともなく。。。



以上です。
うちは、体づくりやダイエットをしたい方にもおすすめです。
しかも、、、「機能性」まで‟もれなく”ついてくる。



最後に、ものの見事にかみ合った全身運動でお開きにします。

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ありがとうございました。。。合掌。。。



ま、口数は少ないほうで、しゃべるときはしゃべりますけど(語りますけど:笑)
目立つほうじゃないおとなしいほうですが、それと、明るい暗いは関係なく、
気分が良くなることを選んだり、気分がよくなる行いができることが、明るいことだと思う。

ほっこり天然で、純粋な子供のような、と言われたこともありますが、
喫茶店に行くも、レジのお姉さんから温かく接してくれることが多いのも、
大人になれない、前向きで、気分が良くなるオーラが出てるせいかもしれない。

その俺が、こういう世界で生きてきて、学んできた結果、
仮に器用じゃなくとも、明るい選択をしてしまうまっすぐさがあって。。。
明人さんの明るいトレーニングは、こんな要領でやっています、ってお話しをします。

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けんだまもね、案外重いのよ。。。
しかし、わたしとおもりとの「絶妙な距離感覚」っていうんですか???
伴走っていうか、落下とかみ合っていて、自然で、心地いい。勝手に挙がってくれる。

ほら、こんな風に。。。
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ホームページの日記にも書いたけど、そのままコピーします。


俺、思うのね。。。

「感じること=反応すること」とは限らないってね。。。

これをウエイトトレーニングで言うならば、こう。身体が受けた重さを感じるじゃない。。。でも、それでいいのに、そこで終われば良いのに、過剰反応してしまったらさ、、、そうそう、、、力んだ動きができちゃうよね。一見パワフルで、やりきった充実感、支配欲で制覇した充実感はあるよ。でもこれって、、、子供の喧嘩をムキになって親が反応するのと、変わりあるでしょうか???あるいは、重さを苦だと反応し、過剰に守っちゃったり、過剰に拒否してしまったり、、、でも結局これって、、、「双方の心の距離」が近づくだけ近づいてしまって、抱き合ったぐらいの感じじゃない???

俺、思うの。。。

正しく感じられれば、過剰反応はしないって。

それがいわゆる「自分を肯定する気持ち」「自分を信頼する気持ち」「自分の価値」「高い精神レベル」だったりしないかな???温かく受け止めてあげればいいんです。重りが動作速度や動作のカタチまで作ってくれるぐらいなんですから。

でも、無反応で何も感じないんじゃないよ。これだと堅物で本末転倒。機械的にマニュアルどおり、痛みも何も感じない。怖いよね。。。反応しない、というにもふたとおりあるんだよね。。。きっと。。。動揺しない気持ちは、感じないことにあるんじゃなく、感じることにあるんだ!!




過剰反応しないっていうか、よくこういう質問を受けるの。
「重りは、どういう速度で上げたらいいんですか???」
俺の答えは、、、いえ、答えに行く前に、
「まずは、どういう速度で受けるか、を感じましょうよ」

挙げる基本は、戻すほうやおろすほうだから。
重りの速度で動かしましょう。重りの速度に合わせましょう。
なんですね。動画、みてみたら、速い速度も遅い速度も、同じ速度でやってるでしょう???

そのうえでのことですよ。挙げる速度ってのは。。。
ブレーキをかけるような遅い速度じゃなく、
あがいて気張って狂って過剰反応したかのように速く挙げようってするもんじゃないし。



ただね、、、けんだまとか、りんごを使ったレッスンもやったことがあるけど、、、

形式ばって、鉄の重りに縛られず、温かい気持ちを持つべきです。
事務的・義務感・形式ばった方法論で、がっちがちの運動をしよう、
と力を出すものじゃなく、もっと温かい角度から、徳があるというか、そういう明るい視線。

小ばかにするんじゃなく、
大人のふりして事務的になるんじゃなく、
明るい選択をしていけば、

そういう意識から、

素敵な動作が生まれ、
素敵な強化が芽生え、
素敵な日常へとつながり、
素敵な自分になっていくのではないでしょうか???


ほら、簡単に。
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いきなりですが、、、数年前の屋外動画から。

サボり症(笑)のため、一度しか跳びません。。。瞬き厳禁(笑)
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フォワードランジは、フォワードしよう、、、ではなく、ながれに合って落ちているだけ。
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遊び感覚で、、、一部ポカがありますが、、、

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いかがでしたか???
考えることが白けてくるぐらい、遊び感覚でありながらどこか理にかなってて。。。
それでいて、負担もなく心地よく。。。

うちは、うちのトレーニングでは、
こういうふうな「頑張らない」「考えすぎない」動きを引き出します。
そのためにも、意識の在り方が大事になります。

意識が、はじめから、「戦うこと」「頑張ること」「試練を課すこと」「我慢すること」になってますと、
それらをもっともっとほしがってるという意思表示になって、
「さらなる戦い」「さらなる頑張り」「さらなる試練」「さらなる我慢」となっていきます。
動きを考えるのも一緒です。考えることがほしがる、さらなる迷いを引き寄せる。

ですので、ここは、いちど、、、意識を見直す必要があると思います。
自分を満たすこと。自分に素直であること。自分にも相手にも仲よくすること。
すると、その意識が、さらなる幸運を招き寄せます。

こんなふうに、おもりを受け止める。やさしく受け入れることで、
逆にスムーズで心地よく動かせます。
重い買い物袋なんかは、ぶら下げるように持てば楽。

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もう少し見てみると、

挙げる動きでは、「挙下」ようは、下がることを受け入れたほうが挙がる。
下げるほう、ようは戻すほうは、おもりの落下と伴走するように、呼吸を合わせる。
つまり両者も、、、「落ちる」を伴います。
そこには、「自分への満足」と「戦わない豊かさ」があります。

こんな感じで。
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意識に見合う現実がやってきます。
自然は、自然物は、宇宙の縮小版です。
人の頭で考え得ることにも、限界があります。
いいえ、、、考え得る限界を超えるインスピレーションが大事だと思います。

屋外動画は、こういったウエイトで培った自然の知恵を、発揮した結果。
だから、おもりがなくなれば、あとは自然に動けばいい。
重力と仲よくでき、その重力が、動きを作ってくれます。信じる心。豊かな心です。
私のクライアント様も、それぞれの競技で実力を発揮しています。点と点をつなげないことです。

ここでまた、人の頭で知識を穿り返すと、また、動けなくなっていきます。
あるいは、思考の迷路迷宮にはまり込んでしまいます。
法則に合う合わない以上に大事なのは、、、
それをやってて楽しいか。心地いいか。ということ。

これも誤解があるが、落ちる、という真似事だと、
足で踏んでしまったり、足音をばーーんと叩きつける誤解がある。
うちの動きは、、、ある意味、、、執着を捨てる動き。

これまで知識や教養によってはぐくまれたしがらみを、一切剥いでしまう。
だからこそ、、、素直になれ、単純純粋になれ、理にかなうようになるのです。
トレーニングは、とくにうちのトレーニングは、、、執着をはがすトレーニングなのです。

だから、、、すべきこと、意識の在り方、これらが決まってきますよね。。。



自分がうまくいくために、他を蹴落とすような、そういう挙げ方で鍛えたら、
蹴落としたそのあとで、必ず、自分が蹴落とされるような事態に陥ると思う。
あるいは、さらなる蹴落としたくなるような試練がやってきたり。。。

でも、、、意識の在り方を改善すれば、、、

友好的なものがどんどんやってきて、ものごとがスムーズになり、
鍛えるって、こんなに負担のかからないスムーズなことだったの???
こんなに心地いい楽しいことしてて、それで効果的でうまくいくの???

みたいな好転サイクルになっていくことでしょう。



型にははめず、世間と自分は分離する。

戦うことや意識して反対を押し通すことじゃありません。
これだと立派に距離が近づき抱き合ってる状態。
そうじゃなく、魂が喜ぶような選択を。満足感と友好性を。


これは、瞬発力系のものですが、
どこかやわらかい、激しさやとがった感じがないけどどこかスムーズ。
あ、こんな瞬発力もあるんだ、という、見ていて落ち着く動画です。
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重りと、仲が良さそう、でしょう???
ほんとに仲が、いいんです。
年々よくなっていて、昨年の動画とかに比べたら、精度が増したね。。。

昨日の記事では、意識に関する本から引用し、精神レベルという言葉を用いた。
体にも、体中が複数の命の集まりだとしたら、体というか、筋肉や骨やもろもろ、、、
すべてに精神があるとしたら、そういうとこまでレベルの向上をしてるのかな???

その著書によれば、精神レベルはこれが上限、なんてなく、どこまでも向上できるもの。
心だけじゃなく、体の知恵も、そうなのかな???
と、昨日書ききれなかった分を書いた。

しかし、、、鍛えるって観点が初めから異なるケース。

いや、、、むしろそれが通常か???

ようは、、、負荷をかけて苛め抜く。それに耐えうること。
それによって体が強くなり、大きくなる。
ド根性大根みたいな考え方。

ふつうはそうでしょう。。。

それ自体は間違いじゃないと思うよ。

ただ、、、戦うこと。抗うこと。我慢すること。
そういう能力ばかり身に付き、そういう鍛え方をしていて、
さあ、、、スポーツでいい動きができるでしょうか???
日常を軽やかに過ごせるでしょうか???

それでも「打ち勝つことをやめません」
そればかりか、さらなる敵を求めます。戦いを求めます。
本当の強さって、、、こういうことなのでしょうか???

・・・・

うちのトレーニングは、戦うことじゃなく、親しむことを刻みます。
面白いことに(面白い、というも失礼だが)、週1回のうちのトレーニングしかせず、
ほかのトリートメントはなし。そういうい方がふつうに、「マッサージいらず」になったり、
慢性的な腰痛や肩こりが、、、「あれ、いつの間に・・・」「こんなありがたいことが・・・」

動きやすくなることで、
いつしか「力に頼らない瞬発力」というか、そういう知恵まで刻まれる。
動きにうまさが出る。技術の習得がスムーズになる。

こっちのほうが、、、むしろ、、、理想の強さだったりしないでしょうか???

子供の喧嘩も、子供どうしなら必死でも、大人目線なら、、、気にしない次元。
こういうのが、精神レベルの(高さの)差。
その精神レベルは、徳のある行為でプラスのパワーが高まることで引きあがっていく。

まだ読み始めて間もないので、理解不十分かもしれないことをご容赦いただきたいが、

力んだトレーニングの経験で苦痛を味わったほうが、苦痛だと感じたほうが、
一段高いレベルへ導きやすいし、大人がいきなり正解を言わないほうが育つ。
でも大丈夫。。。初めからうまくいかないし、実際に日常ですでに力んでいるもの。

だから十分に体験はできている。



話があっちこっち。。。学び始め(本ですけど)の段階だから余計に言葉も増える。。。
でも、、、鍛える、という観点も、、、意識改革があってもいい。
すでにあるのかもしれないけど。。。

ただ、、、バーベル運動でのその発想は、なかなかないと思う。

人は、自然には勝てません。自然は宇宙の縮小版。
鉄の重りも、自然の物。
そこから学ぶこと。学べること。たくさんあるのでは???

低い精神レベルで筋力だけで解決するんじゃなく、
もっと高い意識を持てば、、、





ウエイトトレーニングの観点を覆すようなことを申しますが、、、
うちでは十何年もこれが当たり前なのですが、、、、

おもりに対し、戦わず、やさしく向き合う。仲良くする。
自分にも、厳しく、責めたりしないで、やさしくなる。
そういう包容ある気持ちが、そういう精神のレベルに見合う動作(結果)になって応えてくれる。

それがウエイトトレーニング。落ちる、という私の動作法。

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もっとすごいのは、そういう動作を日頃から意識しなくても、
自然に動けば、
自然とそういういい動作になってくれるところ。

掘り下げて動作を考えずして、自然と、しぜ~んと、、、叶ってくれる。

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これは、おまけです。今でも健在でしょう。。。
とくに特別なコンディショニングとかはしてませんよ。
ただ、コンスタントにバーベルと戯れてただけ。普通に過ごしていただけ。

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最近意識に関する本を読み始めて、不思議となじめる自分がいます。
まだまだその領域では初級者ですが、気分が変わりますね。。。ついてることも多い。
でも振り返れば、俺のやってきたものも、動作法や考え方も、似てるんだな~って。

その著者のいう精神レベルやプラスパワーを高めるような気持ちと似た感じで、
俺やクライアントさんは、取り組んでいたのかな???って。
だから、もっとアウトローじゃなく、堂々と、主流だ、と言い切る自信を持ちたい。

しかも私は、こういう動作は、誰かから教わったわけじゃないんです。
ですが、それに出会えたのも、見えない何かがかかわっていて。。。
クライアントからも「有名な先生も(落ちるに)似たようなことを言う」と共通があったり、

いろいろ我々は、きっと、不思議な何かに包まれていて、
自分さえ、愛をもって過ごしていけば、徳のあることをやっていれば、
光が差してくる。それが私が気づいたときにそうなっていた落ちるという動作だったし、
著者の言う意識の世界じゃないかな???って。

平和で友好的。どこか徳がある。
でも犠牲じゃなく、希望はしっかり持っている。
幸せになるために生まれてきた。その能力を兼ね備えて生まれてきた。
何かに見守られている。ウエイトでいうならば、むしろ重力に守られている。

それで、宇宙的やヨガのように映るのでしょうか???私のやり方は。。。

今、指導者の仕事が楽しいのは、自分が運動だけでも幸せを感じてるから。
指導法がやさしく、相手のいいところばかり見えてしまうのも、
過去の経験もありますが、そういうことだったのかもしれない。

こうしなさい、じゃなく、ワクワクするような世界観。
凝り固まったマニュアル的なサービスじゃなく、温まるおもてなし。
意識だけじゃなく、これまで受けた影響も、すべてつながってたのかな???



参考図書:浅見帆帆子「あなたは絶対運がいい」ほか
       


2017.05.30 ありのまま
ふと思い立ったんです。

気づいたら、これが良くて、これがだめだ、って言ってたって。
もちろん、理想を求める姿勢としては間違いではないけど、
それが執着になってしまえば、、、その取り組みを活かす意味でも、、、

原点に戻れば、私の動作は、余計なしがらみをはがしていくことで、光が差してくる感じ。
だから、こうしなさい、じゃないんです。
もっと自然な感じで、人の意識が、動作を実現させる勢い。

その意識とは、意識を課すような義務という意味じゃなく、
プラス思考とでもいいましょうか。
最近、意識に関する本を読んでいて、その人の意識レベルに見合う現実が起きる、とか。

戦うネガティブじゃなく、平和的な実現というか。

おもりを体で受けただけなのに、受けたありのままなのに、
筋力で戦ってないのに、体へ意識を課して動かそう、としてないのに、
という動画をふたつ。

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私の考え方は、宇宙的と言われたこともあるし、ヨガみたい、言われたこともある。
それぐらい高い精神レベル(?)な内容かもしれない。。。
だから、自分の精神も、そういう高いレベルにありたい。そういう行動をしていきたい。

おもりの扱い方があるとすれば、
仲良く。
平和に。
友好的に。
でもこれは、おもりに支配されるんじゃなく、

仲がいいのですから、、、
平和なのですから、、、
友好的なのですから、、、

自分が信じたとおりの「心地いい動き」「負担のない上がり方」
それが「頭で考えた以上の結果として」、はい!っておもりが教えてくれてるような。。。
そういう知恵が体に刻まれていきます。

リラックス。
ああいう形こういう形。
これらがちっぽけになるぐらいの高い精神レベルになっていく。

もしおもりに逆行するような挙げ方をすれば、倍返しで負担がかかる。
でもこれに気づくのも、気づかないのも、意識のレベルかな???みたいな。
ささいなことでも腹が立つのか、小さなことだと気づくのか。
裁かねば、とムキになるのか、相手はこう、自分はそう。と考えるのか。


ただ、自分がやってきた取り組み方は、自分は肯定したいし、肯定していこうと思う。
だからといって、裁いたりするのは、また違うし、
言葉にも、言霊というエネルギーを持つから。。。

いいことを書きたい。
心地よくなることを述べたい。
愉快になることを紹介したい。