まずはご案内から。

ホームページに日記というかブログのようなものも始めました。
ブログは専門的なものが多いですが、
こちらは「心のツボを刺激する」ようなものになってます。
こちらをクリック


もうひとつ、パーソナルトレーニングに新メニュー。その名も【エキスパートクラス】
競技者や指導者などが対象。通常クラス以上の質と内容。
内容も、より高度なものを求めます。徹底的にやります!!
効果などのリターンも大きいでしょう。

90分 15000円、割引はございません。

そのエキスパートクラスにちなんでの内容が今回。
[広告 ] VPS



フロントスクワットに見る
「あそこまでしゃがんで、しゃがみきって、切り返さずに、立ち上がれる」
これは、、、筋力ではありません。技術です。

こういう技術は、とても高度で、多くが力んで脚力で蹴ってしまします。
でも、、、どんな高度なものでも、基礎があります。
【エキスパートクラス】ではそういう部分を求めます。

基礎が、基礎で、終わらない。

クリーンとかスナッチ、そういうたぐいも、力みじゃなく、技術を習得しましょう。
技術ありきの、筋力やパワーです。
そういう部分に妥協はしません。



基礎はこういうエクササイズにあります。
[広告 ] VPS




余裕でしょう???おもりは決して「発泡スチロール」じゃありませんからね。。。笑
でもこういう馬鹿にしそうな運動でも、こうしてやれば、馬鹿にはできないでしょう???
この「おもり」が「発泡スチロール」に見えてしまう技術。

それが、さっきのフロントスクワットの技術です。

もっとも普通のスクワットもやりますよ。
でもあのスクワットで筋肉に負担がなく挙げられてこそ、本物です。
真似て、できるものじゃありません。

でも、、、基本を押さえれば、、、できるものなのです。



もっとも、、、ものごとには一方があれば、他方も存在し、
一方がなければ、他方も存在しない。そういう古来の考え方があります。
落下には、浮上が伴い、
浮上には、落下が伴う

沈んで、ぼてーっとなって広がるような心身の下がり方じゃなく、
気張って、焦って、テンパって高揚するでもなく、
あるんですよね。。。



宇宙的になるけど、自分って、この世の自分だけじゃないっていうか。
ハイヤーセルフ?だったかな???
空高いところに、無限の自分・神の自分がいる???

運気がよかったり、引き寄せ上手な人は、ハイヤーセルフとの連絡が良い、だとか。
だから、天に向かう姿勢ってのは、ポジティブで、、、幸運的で、、、
力を入れずに、天に向かう力ってのが、あるのかもしれないですね。。。



2017.04.16 宇宙的な発想
私の動きや動作の考え方は、ほかにはない、とよく言われます。
たしかに「体の使い方」に着目する人らは多いと思います。
しかし、私のように、西洋的なバーベル運動で動作を磨く、というのは、ないような気がします。

でも、、、宇宙的に考えれば、、、、すごく自然だと思ってます。
ここでは、私が知る限りの宇宙論を述べ、話を展開します。

無意識の領域って、すっごく大きく広大で、顕在意識は氷山の一角。
たとえていうならば、、、広大な海。
そう、、、無数の陸地じゃなく、広大な海だと考えましょう。

もらい泣き、とか、空気を感じて距離を置くとか、、、そういうのも無意識が感じることで、
共鳴とかいうらしいですが、
ようは、、、自分一人だけじゃなく、すべてがつながってる。広大な海のなかで。

運動でも、ようは、、、調和が乱れたときに、けがをしたり、うまくいかなかったりします。
共鳴などの反応は、調和を求めた無意識からのシグナル。
調和しない抗い足掻き我慢などは、そういう科学的発想は、そろそろ限界なんだ、ということ。

もっとも、我慢したり偽ったりしたら、その感情も相手に伝わるから、、、結果もね。。。。
これは不調和から。
かたちに従うだけ、指示待ち状態で、感じないのも、いま現代にかけてること。

さて、、、、あっちこっちに話が散らばりましたが、、、

思うんです。

我々は、、、調和機能を備えていて、、、それは、重力や時間のながれにたいしても。。。
不調和を起こすから、、、問題が起きるって。。。
そう、、、逆らってまで科学的にパワーを出しても、、、
ようは、、、打ち勝つ。抗う。

これはある意味不調和を自分から起こす。
だから結果、、、その悲鳴は無意識に刻まれる。

バーベル運動を、力んで筋力に頼って、筋力強化だけのためにする。
でもそれは、、、そうやってつけたものは、無意識が喜んでいるのか。。。
感情に問えばいいのです。無理してたら、、、喜んでいないってこと。

無意識からの情報なんです。感情は。

でもそれでバーベル運動が否定されるのは、、、残念だ。

バーベルを否定するということは、重力を否定することです。
その重力には時間のながれも伴います。
固めてバランスをとるんじゃなく、、、動的なながれを感じることじゃないかな。。。

その調和は、体が知っているはずで、
そういう動きを私は、多くの方に引き出してきた、そのお手伝いをしてきた。
我々は、、、調和を求めている。
支配被支配、ゼロか100か、じゃなく、中庸というか、

好きこそものの上手なれ。

そのとおりです。その好きには、我慢がないからです。
自分の感情に見合う行動ができてる。
調和なんですね。。。これも。。。だから、学習の仕方もうまいだろうし。

・・・

・・・

工夫をして、思考に走り、効率ばかり求め、考える。損得勘定に走る。
でもそれ以上に大事なことが抜け落ちていませんか???
今、私のブログを見た人は、きっとあなたが求めたもの、だったりしませんか。。。

私がこうして働く限り、

きっと必要とされる場が来る。

かたちばかりの裁きじゃなく、
愛のある見方。
これからも続けていきたい。




思考で裁かず、軽やかに。。。







あるCMではありませんが、最近の時流かもしれませんが、、、
「競うことに興味がない」
私はこれについて、賛成ではあるけど、部分的には賛成していない点があります。

力んで我慢して抗ってまで頑張らない私のやりかた。
でもそこには、、、大事な根底。根本があります。

[広告 ] VPS



競うこと自体は否定していません。
でも、、、競う競わない以上に大事なこと。
いいえ、、、正しく競うとは、、、、つまりは、、、

・・・

・・・

人をどうこうする、という感情的じゃなく、
自分が最大に発揮できるかどうか。
自分に集中できるかどうか




競わない競わない、、、
でも自分が自分のために向上してるかどうか。
自分に一生懸命かどうか。

それが、結果的にいい競いかたになるし、自分が向上するのです。



私の挙げ方は、そういう挙げ方だし、そういうやり方です。
重りをどうこうしたい、、、じゃなく、、、自分が最大限に出せるかどうか。
自分で、、、感じていくかどうか。。。

他人軸になって、それに打ち勝つための、思考や戦略じゃなく、
自分軸になって、自分でうちから感じていくことで、どう自分が活かされるか。

[広告 ] VPS




重さを自分が感じることで、自分で感じることで、
どうすれば一番うまくいくか、を、感じ取れるのです。
「受け止めることで、引き出される」

だからそこには、、、戦いもないし、我慢もありません。
動きを覚えなければ、、、という余計な義務もありません。
忘れていいのです。覚えなくてもいいのです。

ただただ、、、自分が自分で自分のために、感じていくこと。
それが記憶であり、知恵でもある。
でもどうして、こんな簡単なことができないのか。。。



考えてしまうからです。



いばらを選ぶからです。



もっと、世間軸に基準を合わすのではなく、自分軸になって、
私のやり方がぶれないのは、ある意味、インストラクションでもあります。
競うことが目的じゃなく、目的を達成することが大事です。
競うのは、自分の内面のこと。自分が向上できたかどうか。

その内面を磨くのです。

自分の感じ方を、、、磨くのです。




自分がおいかけてるものを、前回紹介しました。
次回記載するとしたら、「芯があって軸が通る」みたいなことを書く予定でした。
でもおいかけてみて、いろんなことがわかりました。

おいかけた動き。
[広告 ] VPS


従来の動き。
[広告 ] VPS




ひとことで、、、

上の動画は、動きが硬い。

それが結論です。



そういうことがわかったのです。



芯も軸も捨てて、感じるままに。



これが現時点での結論です。



中心もリラックスしたいものです。



2017.03.20 感じ方の開拓
これは、今では却下した内容です。
でもいろんなことがわかりました。
こういうのも、大きな収穫。
... 続きを読む
2017.03.18 温まる選択
私の考え出した動作は、やはり他にはないものかもしれません。
常識で「考えられる」ことを選択せず、本心で感じられる選択をしているから。
でも、「感じ方もどき」には注意を払う必要があるように思います。

つい世間に歩調を合わせ、それと照らし合わせるという答え合わせにあるのではなく、
先入観を捨てて、今を感じ、自分で感じることが重要です。
私の動画は、自分でいうのも何ですが、ストレスがないやわらかい動きだと思います。

論理で動きを作ることは、たしかにできます。
しかし、
感じ方で感ずることのほうが、正解に近いのではないか、

ウエイトトレーニング、ようは、おもり。これは、動きの先生です。そう思います。
我々に「感じる選択」をさせてくれるのです。
元は、どこで感じるのか、どう認め、尊重しあえばいいのか。
犠牲や我慢、あるいは支配、ではないと思います。

自然体。
それを教えてくれる「自然物」(おもり)
結局、それだけのような気が今ではしています。

感じるためにも、リラックス。
感じられれば、さらにリラックス。
意志もはぐくまれ、そうしたい、これが理想だ、となってくる。

それだけのような気がします。



マイノリティかもしれませんが、
だからこそ価値があるかもしれないし、
本当の意味で、運動を愛する人間として、つとめていきたいです。
いいえ、、、つとめます。



個人的な話、いや、動けて動けて、快適なんですよ。。。
(っていつものことかいって話になりそうですが、、、いつも以上に、、、という意味で)

たまに走ってみたりするんですが、、、
鎖骨も肩甲骨も上腕も遊離したかのような腕振りになって、
やばいぐらい身体が軽い(と感じる)んですよ。。。速い動きにも対応しやすくなってきて。。。

ただ、、、

と、ここからが本題です。

その肩甲骨とか股関節とか、ようは中心部位を意識してしまうと、、、硬くなるのよね。。。
できた結果から原因をそれに求めると、失敗するよね。。。
ようは、、、「結果」で起こることを「原因」としないこと。

脱力(リラックス)して、落ちるからこそ、叶うのです。
たしかに中心を使おうとして、中心は使えますよ。でも、落ちないからね。力んでるからね。
それより、感じられてないでしょう。だって「体へ意識を課して」「思考してる」んですから。

まっさらな感覚が大事で、
思考で作られた感覚や感情に、だまされてはいけません。


「思考」を捨てて、「感じ」ましょう。
「感じる」にも、まずは「リラックス」しましょう。
それが「正しい原因」となって「結果」を導きます。


現在進行形で改善中のスナッチ。画だけみたら溜めてるように映りますが、原因は、違います。
[広告 ] VPS


(画が気に入りませんが)クリーンはやや慣れただけあって、ほ~らこんな感じ。
[広告 ] VPS

2017.03.03 進化
落ちるという私が作った動作法を私が提唱しています。10年以上も続いてます。でも、10数年前の「落ちる」と今の「落ちる」では、根本では一致しても、やはり変化というか進化というか、改善もあるし発見もあるし、抽象が現実味や具現性を帯びたりするようになってきたと思います。重力と時間にかみ合う動きですが、重力とかみ合えば時間ともかみ合える、とも言い換えることだってできます。そういうことを、ウエイトトレーニングやその技術、いえ重さの感じ方が教えてくれたりします。

感じ方だって、最初に感じた感じ方と、経験を積んだ感じ方では、大きく異なっていきます。しかし、最初のころは、簡単な感じ方でじゅうぶんです。それよりもまずは、「我慢せずに、感じること」「争わず、味わうこと」だと思います。このブログでは、私の最近の感じ方を紹介したことがありますが、いきなりそれをやるのではなく、それこそ落下するりんごをどうキャッチしたら手が痛くないか、あたりから始めるとか。

一気に完成させよう、とするのは、一気に「だめだ」「まだだ」を実現させてしまいます。
「まだだ」ではなく「いまは」を実感することで、そこであえて止まることで、達成感を味わえます。
「いまは」の達成感。そのプロセスです。

感じ方に従順になる、ということは、自分がわかる、ということです。
自分の愛し方がわかる、自分の肯定の仕方がわかる、ということ。
考えてしまえば、いくらでもたくさんのものが作り出せるでしょう。でもそこには実体がない。
実体はおろか、自分がない。仕方なく学ぶもの、なら、それは必要なものか、問うべきです。

体で感知する。

その感情を味わう。

結局、トレーニングというのは、それだけのような気がします。
それのために、トレーニングがあるのです。
体を賢くさせる。自分で感じる。自分を肯定する。

その肯定度合いを高めていく。



あとはその人の感性が、さらに先へと突き進ませるのだと思います。
「こうなるのが、当たり前」「こうするのが、当たり前」という発想を捨て、
「こう感じた」と言える自分でいたいですね。




自転車(27インチ)を飛び越えた大人気ない43歳です。
[広告 ] VPS




でも見て欲しかったのは、、、、案外、ジャンプの前後でもある最初と最後の歩く動きです。
「着く前に、、、着けている」かのようなそういう感じ。
「着いてから、蹴る」じゃなく、「着く前に着き、着いたときにはもう蹴れている事後処理」

でもジャンプ動作も、よく見たら、、、
「今!跳ぶ」ジャンプじゃないはずで、
「跳ぶ前から、それをやっています」

・・・・

スクワットの戻す動きとかもそうですが、

時間や重力のながれが、まるで「ベルトコンベアーのよう」に「上から下へ」ながれていて、
そのコンベアーに「タイミング」を合わすには、
自然と体はそうしませんか??そうなりませんか??

というふうな歩き方やしゃがみ方や跳び方や動き方になりますよ。

という話です。これは、スクワットではありませんけど。。。
[広告 ] VPS




・・・・
・・・・


それぐらい、、、余計な動きをいかに省くかです。
もうその余計な身体操作は、ほんとうに余計ですので、要りません。
エスカレーターに乗るあの自然なタイミングです。




けっこうアップ数が多い動画でした。よかったらどうぞ。
[広告 ] VPS



スナッチだったんですが、挙げてないスナッチ。でも挙がってしまってるスナッチ。
ジャンプ動作が入るリフティング、という解釈をされるリフティングですが、
私の解釈は、そうではありません。

・・・・
・・・・
・・・・

思うのですが、、、運動やトレーニングに限った話でさせていただきますが、
学習というのは、、、「何か、新しいものを、付け足すもの」と思われてしまい、
「新しい何か」を「得よう」としてしまうのではないでしょうか???

私は、この業界の専門として意見を言いますが、





「新しい何か」を「得る」には、、、
「気づかなかった何か」を「捨てること」
これが「先」です。いえ、それだけでいい。






・・・・
・・・・
・・・・


人は、気づかないうちに、余計な動きをしています。
私から見れば、、、「どうして自分の体を信じてあげられないんだろう???」
と不思議に思えるほどです。

重力が働く環境。時間が流れる状況。これは不変です。
でも同時にいえるのは、
「これらを受け容れれば、うまくいく」ということです。

ですので、方法論至上主義や損得勘定になって「単に力を抜けばいい」のではない。
方法論至上主義や損得勘定になるということは、「感覚や感情を捨てている」ということ。
大事なのは、、、「今、あるそのことを」「感じること」「受け容れること」

そのためにも、、、その余計な身体操作が、ほんとうに余計なのです。

大人になるにつれ、力任せに解決したり、思考でまかなったりします。
でも、、、重力や時間を受け容れ、感じ取れれば、、、いえ、、、楽しめれば、、、
「何が余計で、どういうことが必要なのか」が見えてくるものなんです。


・・・・
・・・・
・・・・


人が人として、感覚を持ち、感情を抱くという普通の「人間性」を重んじれば、、、
それが「自分を信頼する力」になり、「肯定的な力」になり、「自己実現」につながっていく。
以上、、、私が感じる、この分野における「理想で、楽しく、好転する学習方法」を述べました。

注目してることや関心が、一線を引いたものだ、ということです。