瞬発力を養成するために・・・・・・・・

要点は、上リンク記事をご覧ください。


・・・


今回はその補足と大事なエッセンス。掘り下げた話。
先に、案外うまくいった感じがするこの動画から。
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瞬発力、と聞いた時点で、
「特別意識」というか「今を変えなければいけない意識」というか、
そういった「世襲」が働くのでしょうか???

上のリンクでは、その世襲をぶち壊すことを述べてきました。
「瞬間のなか」にも「ながれ」がある。
いえ、、、「ながれ」が基準となった「瞬間」でしかないのです。

でもその「ながれ」をこれまた「特別意識」してしまっては、元も子もありません。
「ながれ」や「一定感」を得たいのです。
掘り下げれば、、、「世襲」でもある「そういう変化」を「なくした」ほうが「うまくいく」

変えなければいけない、という瞬発力は、力み以外の何者でもありません。
日常生活でもそういうのが力みの原因でもあります。
それを取り除くこと。すると今度は「じゃあ、、、どうやって動けばいいの???」

これこそ「世襲」だと思います。

余談ですが、世襲という言葉を辞書で調べたわけではないのですが、
私の感じとしては、「世間が自分に襲い掛かるもの」「世間に自分が襲われるもの」
そういう解釈をしています。

ほんとうは、、、初めから動きができていて、動くものが動くだけであって、
止まったものを動かす、だから力が要る。操作が要る、という思考を、私は信じていません。
初めから動けているのです。静止とは、固定ではないのです。動作のひとつなのです。

ましてや重力が働いています。すでに「動いている」のです。
「落ちる」「落ちたことで、動けてしまう」「すでに揺らいで(動けて)いる」
私がウエイトで言う「(重さを)受けたまま動けてしまう」

これこそ、、、瞬発力の基本ではないでしょうか???

だから、、、先の動画のようなことも自然と叶うし、尖ったムリのある力みにはならないのです。
だから、、、玄人めいたながれを瞬間のなかに感じ取れるのです。

繰り返しますが、、、ながれを特別意識してはいけない。
これだとまさに、すり足走行みたいな話になってしまいます。
がっちがちで不自然な動きになってしまいます。

そうではなく、、、
素直に感じ、受け取めること。そのままでいること。
ようは、、、完全に「信じきること」

素質というのは、、、「信じきる能力」でしかない、と思います。
変化を我慢することではなく、
信じきって動じない感じ。(くどいが、、、感情と人間性をなくした我慢とは違う)



感じたこと。実感。素直さ。



それだけだと思えてなりません。




いえ、、、ね、、、走ってて気づいたんですけど、、、

最近は、着地というあの短い時間(瞬間)にも“ながれ”ってあるんだってこと。
弾む感じ、とか色々考え方があるそうですが、弾みはするのですが、、、
その弾みのなかにも“ながれ”ってあるんじゃないか???って感じ。

歩く動きがそのまま走る動きになってしまう。
もちろんカタチだけで模倣するだけでは、すり足走行になってしまう。
そうじゃなく、、、瞬間のなかにもながれってあるんじゃないの???ってこと。

じつはこれは、走ること以外ではすでに感じ取っていたことです。
そしてこれまで、そういう指導をしてきたのです。

こういったボックスジャンプでは、とがったような短い着地を意識したりする。
でも私はむしろ、、、その短さを長く感じる。でもつぶれて踏んで止まってしまうでもなく。
古い動画ですが、、、サボり症(笑)のため、一度しか跳びません。。。瞬き厳禁(笑)
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どこかこう、、、「針で突付く感じ」ではなく、「ラウンドする」「ローリングする」というか。。。



そしてよく瞬発力養成目的であつかわれるこういう種目。
バーが腰を通過するあたりで「一気にギアを入れて、瞬間的に」・・・・といわれます。
しかし私は、、、これこそ「しっかりながれを感じ取るもの」だと思っています。
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だから、、、何でもかんでも「爆発的爆発的・・・・」となってしまう。
そうやって神経系が磨かれる、というのは、「生理学」でいえることです。
しかし、、、その瞬発力が「ホンモノ」になってくれば、、、それが「スローモーション」に映る。
そういう話は、私も体験してますし、全日本クラスのうちの生徒さんもそう言ってたし。



そう考えれば、、、本気で瞬発力を磨くのであれば、、、



先に、、、「ながれ」「ラウンド」「ローリング」「積数」を刻むべきであって、
遅くてもいいから、まずは動きを磨く。
生理学で見れば真逆でしょう。しかし、、、、王道へつくには、先にその基本があるべきです。

「これができなければ、それをやってはいけない」
みたいになってしまうのでは、いつになってもそれができません。
永久にできませんし、永久にその立ち位置にこれません。

自信の持ち方と一緒です。そういうやり方では、自分がありません。
これを遂げなければ自信がもてない。遂げてもまた次、、、となるか、その圧力で遂げない。
いすれにしても永遠に自信がもてません。



先に王道という答えに准じ、やっていく。
先に自信を持つから、結果も栄えてくる、と一緒で。
プロセスは大事なのですが、、、ミスミス自分の価値を低く見積もるのはどうかと思います。

「これができなくても、それをやる資格はあります」

「でも、、、簡単なところから」

そういうプロセスが大事です。
「ハードルを下げて成功癖」とは、そういう意味です。
普通の遅い動きのスクワットでも、じゅうぶん、、、瞬発力のエッセンスが磨かれます。

体重の何倍分の重量を挙げれて、瞬発力養成メニューを行う資格が整った、、、ではなく。
で、仮にその資格を得られました。そこで瞬発力、と張り切るはかりに尖ったものを求め、
いつになったらながれがつかめるんだろう。。。でも、、、と・り・あ・え・ず・・・・・・か。。。。。

これだとおかしい、と、なんとなくわかったでしょうか???

それでも結局、、、、それでもわかる人やわからない人がいます。
ぶっちゃけこれって、、、運動暦じゃないもんね。。。
感情レベルや人間性だったりしますもんね。。。

「感情を捨てて機械的になる=人間性を捨てる」という意味でしょうから。。。
そういう狭い機械的視野が、能力を滅ぼしていると思います。
ようは、、、自分で自分を縛っているんです。

思うんです。
特別な人が特別なんじゃなく、特別だと思うから特別な人に映るんじゃないかと。
あえて「特別な人」と言わせてもらえれば、
そういう人ほど、普通で王道でまっすぐじゃないかと。。。




さらに詳しくは、こちらから





トップページにはいくつかの動画を載せています。
見ててどうですか???どう感じますか???
思うんです。手厳しい人もいるかもしれませんが、普通に見れば、

「うまく行ってる動き」

ではないでしょうか???そのひとつをここに掲げておきます。

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うまくいってるんです。ようは。。。



筋力で抗ったり、我慢で力んだり、操作法に縛られたりではなく、
どこか自然でしょう???どこかムリがないでしょう???
うまくいくというのは、そういうことだと思うんです。間違いなくそう思うんです。



こういうふうに。。。
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私の動きは、十年以上も「落ちる」という表現をしてきました。

この意味にも誤解があり、重力がキーワードではあるのですが、
決して「重力に支配された動き」ではないのです。
もちろん、「重力に抗う動き」「自己本位な動き」ではありません。

具体的には、「固める」「踏む」「蹴る」「引っ張る」「押す」「曲げる」「伸ばす」「回す」「ひねる」
あるいは「連動させようとする」「体の細部をどうこうしようとする」などをしない感じ。
何かをしてないけど、どうにかなっている。そういう動きでしょう???



重力が働く環境は、絶対です。
なのにそれを無視して抗えば、勝てたとしても、その我慢が積もっていきます。
不安の裏返しにも思えます。「どうしてそんな頑張るの???」と思えてしまうのです。
でも、重力になすすべなく支配されるがまま、でもありません。



支配するも支配されるもないのです。



うまくいく方法、、、それは、自立すること。



支配したりされたりするのではなく、そこで調和することです。



自立してるからこそ、、、(その意志があるおかげで)そうしようとするのです。
自立できないから、重力を支配したりされたりして筋力で自立しようとするのです。
闘って自立しようとするのです。いえ、もはや自立ではありません。相手ありきになっています。



その重力との調和にたいし、支配されることじゃないのか???と思ってしまう。
これは、重力を支配しようとする裏返しです。闘うことの裏返しです。
自立していない裏返しです。自分を信頼できていない裏返しです。

勝つか負けるかになっている。
ようは、それは、相手に対して。あるいは自分を客観した自分(ようは相手)に対して。
ようは、闘っている。



自立してるということは、
動きで言えば、闘わず、すでに叶っている次元の高い状態。
筋力に頼らず、自然体、それでいて満足が実現している、ということ。

他者をどうにかしようとして立つことが自立ではなく、
他者関係なく、自分が心地良い選択をして立つことが自立です。
そういう環境です。自分も環境のひとつです。

「環境を知り、いばらを避けたい」「闘わず、犠牲にもならず、友好的に事を運ばせる」
という自分意志あるいは自由意志が、自立の証です。
それが自然であり、自立ではないでしょうか???



つまり、自立してるから、、、自然とそこへなじんだほうが賢いと身体が感じます。
自分からそうしようと身体が反応します。心が反応します。
だから、とてもシンプルで、複雑に考えたりしません。それでうまくいくのです。

自立してないから、、、闘ってでも勝とうとします。負けてはいけないと踏ん張ります。
自立してないから、、、無力になってしまいます。しかも、いけないと思ってしまいますます無力に。
自立してないから、、、「自分が!」「自分が!」と独りよがりになり、自分が見えません。
そうやって過剰な筋力強化に励んだりします。しなければいけない、と思ってしまいます。



あの明ちゃん体操(先日の記事)を見て、
あれだけですごい意味合いを感じた方は、自分を大事にしてる人だと思います。
軸というのは、固めて「自分が」「自分が」と自分も周りも見えてない力んだ状態ではありません。
そういうのを「自立」というのではありません。私には「我慢したむなしさ」にも映るぐらいです。



自分から、自分意志や自由意志を持って、心地いい側を選択すること。



それが、、、自立できてる証です。



重力と、「ともだち」に、なるのです。








あほや言うたら、あかん。。。



・・・



硬い頭をほぐした自分でいたいから。。。



でなきゃ、力んだり、大人の思考で醒めてしまうから。。。
トレーナーは、、、鬼軍曹じゃないからね。。。
ちょいとしたエンターテイナーだからね。。。



・・・



ポイントは、感じること。素直さ。それだけです。
大人の思考を捨て、常識を忘れ、力をいれず、ひとたび「今」を感じましょう。
抵抗せず、戦わず逃げず、受け容れてみましょう。



大人や力みを捨てて、、、リラックスし、心を軽く、素直に感じ入れ、取り込みましょう。。。



【レッスン1】重りは、動きのせんせいです。その重りの真下に入る運動です。
あえて重りは、体から少しずれたところに上げます。
すると、これでは「重い」「きつい」「つらい」と体と心が反応します。

だから体は、、、そう反応します。

それだけのことなんですが、
力んでしまうと、これ(アンバランス)を我慢して支えてしまうのです。
我慢をせず、素直に感じ、反応してみましょう。

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バージョンアップした移動型の2(ツー)も。
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*土台の上にものを乗せるんじゃなく、てっぺんの真下にそれが来るものなんですね。
前者だと、力んでてもやってしまう「我慢の動き」。後者のように素直になりましょう。
重さを受けてる最中も、脱力して支えてる感じ。真下に来てる感じ。心地いい感じを満喫します。



【レッスン2】重りは動きのせんせい。重りは静止物ではなく、落下物。動いています。
さきほどの運動も、落下という動的なもの。だから体も、そっちに反応したんですね。。。
そのレッスンを先にした体は、やや素直にもなっています。

今度はよりその動的な部分を強調。

落下という「動きそのもの」を感じ、調和し、なじむだけ。一緒になるだけ。友人になる感じ。
落下にたいし、闘う必要もなく、過敏に防御する必要もない。支配する・支配されるでもなく。
力を入れず、ただただ「動的な落下」を受け容れてみましょう。

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*先日の記事のけんだまの動画が、原型になります。
別の動画にしましたが、こういう対峙が大事です。
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水面が揺れない動きが、理想です。水面が揺れる動き、、、それは、我慢の動き。負担も大きい。
負担をかけずに大きな出力は、、、可能です。むしろ、王道です。
頑張らない。心地よく。素直に。心地よくないのなら逆におかしいと感じたり修正したくもなるもの。



「でも、、、」を捨て、素直に感じましょう。。。それが、答えです。




トレーニングとは、自分を苛め抜くもの。だから、休養と栄養というトライアングルが大事。

思考で考えたらもっともでしょうが、
感情でこれを見つめたら、ちょっとおっかない気がしませんか???
正しい正しくないの問題じゃありません。気持ちの問題です。

多くがこのように、気持ちに蓋をしています。
怖いからでしょう。蓋が取れたら自分がどうなってしまうか、が。
蓋を取ることができない「理由」があるからです。その「理由」を肯定しましょう。

こうやって「肯定」した瞬間、、、肯定癖が始まります。軽くなります。



そして、多くが気持ちに「蓋」をしていることに気づいていません。
いえ、、、「気づこうとしていない」ほうが正確です。記憶を消すかのように。
蓋を取れない「理由」があるからです。潜在意識の仕業だといわれています。

ですが、、、(重りを素直に)実感してみて、あまりにスムーズにできてしまった瞬間、、、、



「あれ???自分は今まで、、、いっぱい我慢してきたんだ。。。。」



と気づくことでしょう。潜在意識が蘇る瞬間。潜在意識まで心地よくなる瞬間です。
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そうしたら、、、これまでの自分を否定せず、むしろ肯定してあげて欲しいものです。
そうなる「理由」があったのですから。。。
あいまいでいい。だって膨大な情報を誇る潜在意識の仕業ですから。「理由」があった、で留める。



そういう軽さは、体にも刻まれ、
「頑張りたくない」「うまくいきたい」
という両方の潜在意識の希望が、、、トレーニング以外の時間でも叶っていくわけなのです。
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これは、重り【プレート】の重さをまったく感じずに挙げてる様子。
正確には、、、
力を入れず、重さを体で受け止めれば、、、逆に挙がってくれるもの。
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そうです。普通に考えたら、重さを受けたら「挙がってこない」

だから「筋力を使って」挙げるんでしょう???
それがトレーニングなんでしょう???それがトレーニングの目的なんでしょう???
という普通の感想が飛び交います。

ですが、、、小さな落下でも受ければ、自然と「力がもらえる」ものなんです。
私はこの力のことを、、、今後、、、「ながれの力」と呼ぶことにします。
この「ながれの力」は、力が入っていれば、感じられませんし、拾うこともできません。
力が入っていない。それだけじゃなく、、、重力も受ける。正しく受ける。

以前は
「浮力を拾っている」「意志力だ」「重りにモーターがついている感じ」
としていた時期もありました。ですが、浮力だけではなく、あらゆる方向に拾えていて、
動きたい方向へアシストされる感じになります。

ですので、「ながれの力」を「意識」してしまうのは間違い。
これだと、「力み」「力んだ身体操作」となってしまいます。
重力を受ける。感じる。調和する。そのためにも「力は入れない」・・・・・その結果です。

結果ですので、、、結果を感じるだけでいいのです。
もし注意を払うなら、、、力を入れないことや余計なことをしないこと。そこに注意を払います。
結果、、、重力を受けることができ、しかもその結果、、、、なぜだか動けてしまっている。

ロウイングの動きなんかではそれが顕著にでていますし、
ランジやジャンプ動画でもそういう部分が出ています。(トップページを参考)
結論は、、、「自然に」です。

ですが、、、その「自然に」には、「魔法がかったもの」がある。それが自然です。

「ながれの力」があるんだ、ということです。
それを拾うためにも、、、重力は大切な仲間です。
そう、、、楽して動けてしまう。楽して機能してしまう。

体で実感を繰り返し、継続していくことで、体に刻まれます。




幸運体質について触れましたが、私思うんです。

いろんなトレーニング法がありますよね。でもこれらの正誤にあるんじゃなく、
どんなトレーニング法も、うわべやカタチだけを見て、真似事でできたとしても、
意味がないはばかりか、退行のおそれさえもあります。

ようは焦りで真似事をして学ぶぐらいに「今や過去の自分を否定」してる状態なら、
何をやっても「同じ残念な結末」になると思うのです。
そういうからだの使い方にもなるし、だから大事なことが吸収できず、成果が出ない。

情報が絶えないのは、そこが解決しないからではないでしょうか???

ほんとうは、複雑に考える必要などなく、本人が変わることで会得できるものであって、
本人が根元から変われば、
シンプルに理解できたり体得できたりするものだと思うのです。

そのためでもあるその「幸運体質」だったり「自己肯定感」だったりも同様です。これこそ、です。
これこそうわべだけでポジティブになるのではなく、根本から。
うそ臭いことじゃなく、根元から(プラスにもマイナスにも)自分を肯定でき、認め、愛せること。

有料の指導者が必要な理由。その価格の意味や価値は、そこにある!!
根本入力の設定を変えてあげられるそのきっかけ。
それを「運動という専門領域」でかなえるのが、私のような指導者です。そういうものだと思います。

・・・・
・・・・

さて、、、余談が多くなりましたが、、、
その「学び方ひとつ」で理解も変わってしまいますよ、ということを、紹介します。


・・・


年末に撮影したランジ(フォワードランジ)というエクササイズの動画です。
どちらか片足を一歩前に踏みこんで着き、すぐ最初の立ち位置に戻る運動です。


先にスムーズで見破れない動きとなっている成功例を。よけいなものをくっつけていません。
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ではわかりやすく、失敗例を。自分を否定するちと、こういう動きになるんだと思います。
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ではわかりやすく、ふたたび成功例を。癒してあげ、自分を肯定できたとき、自分が目覚めます。
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ライディングというか、重力に乗り込むのですが、
先日も触れたように「乗り込もうとする」そういう「自己否定感」だと、足から踏んでしまいます。
二番目の失敗動画の動きですね。

ですが、、、脱力し、重力を受け容れられれば、、、乗り込めてしまうというおまけがつく。

しかし、、、

自己否定すると、「力で踏んだほうが、、、」と思考したり、力んだりしてしまいます。
ですが自分を肯定すると、肯定できるようになってくると、、、
リラックスを感じるだけで、その肯定的な乗り込みが、すごいスピードを生むこともわかります。



【関連】バランスについて2016・12
この記事も、まさに、、、下地として「自己肯定」があるかどうか、、、なんです



・・・


ウエイトも、戻す動きのほうが大事なぐらい。

でもその戻す動きは、
・通称でいうネガティブレップのように粘って粘って力んで戻すのではなく、
・あるいはかくんと重さを交わしてしまう危険でケガの伴う動きでもなく、
自由自在の速度で戻せ、速くも遅くもでき、しかも両者が同じメカニズム・同じ動きになるのです。
(その最速が、クリーンやスナッチなどの動きになるのですが)

こういったことも、、、根本からの自己肯定ありきの話。
それがあるかないか、で解釈も大きく変わる。その例です。
2つ「・」で掲げたその「・・・・でもなく」という誤解になるのは、自己否定からだということです。

ここまでのウエイトの話は後日、記事にします。




静止とは、固定というか、がっちがちに固まった様ではなく、
むしろ揺らぎが釣り合った具合。
あるいは、いつでも動作として崩せるぐらいのゆとり。

動作とは、止まったものを力づくで動かそう!動かそう!と頑張るものではなく、
むしろ、その静止の時点で動けているわけですから。。。
「動くものだから、動くんだよ」ってな感じ。

静止状態と、歩行やランニングなどの推進状態では、同じバランスではないはず。
でも、力で前に持っていくことも、たしかにできます。が、、、(以下略)
リラックスしてますと、小さな遊び心が、揺らぎを活かそうと身体が反応し、
自然と比重の変化がおきます。

膝を前に持っていって力ずくで推進、、、じゃなく、
その崩れたバランスに伴った釣り合いを、求めていくのです。
でもそれで、、、つんのめらないから、、、バランスなのです。



静止も動作も、、、自己実現。



年末の動画を久々に見たら、なかなかの推進じゃないか???と思いました。

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この動画の「画」が、個人的に気に入っています。
硬さがほとんどなく、固まっておらず、解放感があふれ、やさしい、やわらかい。。。
自己実現そのもので。。。まっすぐなのは、そうしようと固めたのではなく、たまたまです。。。

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その「たまたま」が「常時」ということ。。。
それが「自己実現」
それが、今日でいう「静は動なり、動は静なり」ということです。





憎しみや怒りに任せて行動したり、戦ったり奪い合ったり痛めてでも力づくで勝とうとする。
でもほんとうは、、、そうやって感情的になるから、ほんとうの実力が出ないのです。
運動も動作もトレーニングも一緒です。

感情的にならず、自分のことに一生懸命でいたいもの

特急列車のように駅を次々通過してしまえば、大事なものが置き去りにされます。
特急列車が当たり前になって、「目的のためには手段を選ばない」よりも、
しっかり「手段」は選びたいもの。

自分でしっかり感じたいもの。

瞬発力に関係ない人でも、このことはとても大切。
ましてや瞬発力を要するなら、、、これこそ一番忘れてはいけないこと。
「リラックスこそ、瞬発力だ!」と私は言い切ります。

見返りを求め、他者への目線が基準になる。
誰かが認めてくれないと、自分でいられない。
他人がいないと、感じられない。

これではいっこうに、、、不安というネガティブパワーに襲われます。
行動(感じるという)ができないから、思考ばかりに走り、迷いや悩みが次々に生まれます。
それだけ誰かの基準が自分になってしまい、自分がなく、自分を失い、力んで彷徨った状態。

そうやって、力むことが当たり前になり、次から次へと「力むもの」を求めてしまうのです。

大事なのは、、、自分を持つこと。自分のことを感じること。今を感じること。
特急列車のように過ぎ去る前に、いくつもいくつも「ポジティブになれるヒント」が埋もれている。
「瞬発力こそ、、、スローモーション」・・・そう言っても、言い過ぎではない。

だって、、、リラックスしたときが、一番自分で感じられるから。

我慢が当たり前にあると、力んででも我慢して挙げてしまいます。動いてしまいます。
そういう我慢によって満たされることが当たり前になるから、「我慢」を求めたくなります。
それが「力む人」「感じられない人」「自分がない人」

私は、、、自分を持ちたいだけで、自分を守りたいだけで、
重りだって、「軽くても、重い」と感じられてるから、だから、軽やかに挙がるのです。
たとえば、すくんだ肩を脱力すれば、それが重力を感じた証。

私は、ウエイトトレー二ングで、それと同じことを引き出していて、
リラックスと落ちることを、感じることを、実現させています。
心は見えないものでも、形として動作に表れます。その形を変えれば心も変わる。
そう思いますし、そういうことをうちは、やっているのです。


先日紹介したこのようなお遊戯では、
重りの重さを我慢せず重いと認めることで、力を入れずにすいすい挙がってしまう。
そういう実現。ポジティブへの切り替えを促しています。

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つまり、、、やわらかい瞬発力も、あるんだということです。




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そういう鍛え方が、こういう動きを作ってくれます。

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これは、ほんの遊び心です。

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たとえば、こういう動きのメカニズムがあって、
それを実現させるためにこういうことを意識しましょう???みたいな。。。
そういうのを、、、「うちは」とっくの昔に辞めてるんですね。



私の理想は、、、



自然にしていたら、、、そういうメカニズムも、、、自然と叶っていくじゃないですか???



という話です。



・・・・




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私の動作は、、、



重力・時間と調和した動き。



余計な力が要らない、やさしい動き。



重力に乗り込めてしまう動き。



重力を楽しむ動き。



それだけなんです。それで勝手に叶っていくんです。そういうものなんです。



・・・・



思考による分析を捨てて、



ようは、分析結果という実態のない演繹で作り上げるのではなく、



分析しない。考えない。



感じよう!!実感しよう!!



それだけなんです!!



・・・・



あ、そうそう、、、ちょっと加筆。。。



どうすれば自然になれるか???



今のそれが自然なのか???



そこがわからない、わかりにくいはずです。



やり方はふたつある。



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