静止とは、固定というか、がっちがちに固まった様ではなく、
むしろ揺らぎが釣り合った具合。
あるいは、いつでも動作として崩せるぐらいのゆとり。

動作とは、止まったものを力づくで動かそう!動かそう!と頑張るものではなく、
むしろ、その静止の時点で動けているわけですから。。。
「動くものだから、動くんだよ」ってな感じ。

静止状態と、歩行やランニングなどの推進状態では、同じバランスではないはず。
でも、力で前に持っていくことも、たしかにできます。が、、、(以下略)
リラックスしてますと、小さな遊び心が、揺らぎを活かそうと身体が反応し、
自然と比重の変化がおきます。

膝を前に持っていって力ずくで推進、、、じゃなく、
その崩れたバランスに伴った釣り合いを、求めていくのです。
でもそれで、、、つんのめらないから、、、バランスなのです。



静止も動作も、、、自己実現。



年末の動画を久々に見たら、なかなかの推進じゃないか???と思いました。

[広告 ] VPS




この動画の「画」が、個人的に気に入っています。
硬さがほとんどなく、固まっておらず、解放感があふれ、やさしい、やわらかい。。。
自己実現そのもので。。。まっすぐなのは、そうしようと固めたのではなく、たまたまです。。。

[広告 ] VPS






その「たまたま」が「常時」ということ。。。
それが「自己実現」
それが、今日でいう「静は動なり、動は静なり」ということです。





憎しみや怒りに任せて行動したり、戦ったり奪い合ったり痛めてでも力づくで勝とうとする。
でもほんとうは、、、そうやって感情的になるから、ほんとうの実力が出ないのです。
運動も動作もトレーニングも一緒です。

感情的にならず、自分のことに一生懸命でいたいもの

特急列車のように駅を次々通過してしまえば、大事なものが置き去りにされます。
特急列車が当たり前になって、「目的のためには手段を選ばない」よりも、
しっかり「手段」は選びたいもの。

自分でしっかり感じたいもの。

瞬発力に関係ない人でも、このことはとても大切。
ましてや瞬発力を要するなら、、、これこそ一番忘れてはいけないこと。
「リラックスこそ、瞬発力だ!」と私は言い切ります。

見返りを求め、他者への目線が基準になる。
誰かが認めてくれないと、自分でいられない。
他人がいないと、感じられない。

これではいっこうに、、、不安というネガティブパワーに襲われます。
行動(感じるという)ができないから、思考ばかりに走り、迷いや悩みが次々に生まれます。
それだけ誰かの基準が自分になってしまい、自分がなく、自分を失い、力んで彷徨った状態。

そうやって、力むことが当たり前になり、次から次へと「力むもの」を求めてしまうのです。

大事なのは、、、自分を持つこと。自分のことを感じること。今を感じること。
特急列車のように過ぎ去る前に、いくつもいくつも「ポジティブになれるヒント」が埋もれている。
「瞬発力こそ、、、スローモーション」・・・そう言っても、言い過ぎではない。

だって、、、リラックスしたときが、一番自分で感じられるから。

我慢が当たり前にあると、力んででも我慢して挙げてしまいます。動いてしまいます。
そういう我慢によって満たされることが当たり前になるから、「我慢」を求めたくなります。
それが「力む人」「感じられない人」「自分がない人」

私は、、、自分を持ちたいだけで、自分を守りたいだけで、
重りだって、「軽くても、重い」と感じられてるから、だから、軽やかに挙がるのです。
たとえば、すくんだ肩を脱力すれば、それが重力を感じた証。

私は、ウエイトトレー二ングで、それと同じことを引き出していて、
リラックスと落ちることを、感じることを、実現させています。
心は見えないものでも、形として動作に表れます。その形を変えれば心も変わる。
そう思いますし、そういうことをうちは、やっているのです。


先日紹介したこのようなお遊戯では、
重りの重さを我慢せず重いと認めることで、力を入れずにすいすい挙がってしまう。
そういう実現。ポジティブへの切り替えを促しています。

[広告 ] VPS





つまり、、、やわらかい瞬発力も、あるんだということです。




[広告 ] VPS



そういう鍛え方が、こういう動きを作ってくれます。

[広告 ] VPS




これは、ほんの遊び心です。

[広告 ] VPS





たとえば、こういう動きのメカニズムがあって、
それを実現させるためにこういうことを意識しましょう???みたいな。。。
そういうのを、、、「うちは」とっくの昔に辞めてるんですね。



私の理想は、、、



自然にしていたら、、、そういうメカニズムも、、、自然と叶っていくじゃないですか???



という話です。



・・・・




[広告 ] VPS




私の動作は、、、



重力・時間と調和した動き。



余計な力が要らない、やさしい動き。



重力に乗り込めてしまう動き。



重力を楽しむ動き。



それだけなんです。それで勝手に叶っていくんです。そういうものなんです。



・・・・



思考による分析を捨てて、



ようは、分析結果という実態のない演繹で作り上げるのではなく、



分析しない。考えない。



感じよう!!実感しよう!!



それだけなんです!!



・・・・



あ、そうそう、、、ちょっと加筆。。。



どうすれば自然になれるか???



今のそれが自然なのか???



そこがわからない、わかりにくいはずです。



やり方はふたつある。



... 続きを読む
年内最後の記事です。今回は、豪華拡大版!!

ですがその話は、日常会話レベルから始まります。

先日は雨天のため、自転車通勤ではなく、電車通勤でした。ローカルな話になりますが、大阪市内を一周するJRの大阪環状線に乗ったのですが、運良く「新型車両」に乗ることができました。新型車両は、快速バージョンではなく、普通車バージョンの新型。すっごく未来型で、通常は一両に扉が4つあるところが3つ。悠々座れる感じ。イスの端っこも工夫があって、横からの視界が入らない個室な雰囲気も感じられた。何でも掲示板には24日デビューとか書かれていて、デビュー間もない新車に乗れたのでした。

新型だけあって、快速の車両と同じで、アナウンスも車掌の声ではなく、英語バージョンの放送もありました。その英語の放送を聴いたとき、、、、おやっと思う瞬間がありました。ま、私は英語、まったく無知で、苦手ですが、、、いつもは駅に到着するとき「アライブ」という表現をしていて、それになじんでいたので、余計に感じたのですが、、、その日の英語放送は、、、「アライブ」ではなく「RIDING(ライディング)」と表現していました。

英語の放送も次から次へ変わっていき、ラフになったり表現が変わってきたり、英語のことはまったくわからないのですが、変わっていく、ということは、改善点があるから、変わっていく。つまりそれだけ「ネイティブなもの」を選んだ結果なのだろうか???と解らないなりに想像をしていました。でも、「駅に到着する」が「ライディング」。つまり「駅に乗り込む」「またぎこむ」。なんとも右脳的な表現ではないだろうか。。。でもそれ以上に、、、ライダーみたいな「かっこよさ」も感じたりもした。それでその「ライディング」がずっと心に響いてしまっていて。。。形式ばったアライブにたいし、かっこいいライディング。

そのかっこいい「ライディング」が、、、あることを、あるヒントを教えてくれたのでした。


・・・
・・・
・・・


俺の動きも、、、そのかっこいい「ライディング」じゃないか???と。
そう、、、またがる感じ。
バイクにライディング。馬にライディング。それと一緒で。。。


・・・
・・・
・・・


足で踏ん張らないことを謳った先日。この補足になってしまうのですが、、、
「ライディング」「またいでしまう」してしまえば、、、踏ん張ることもなくなる。
でも、「乗り込む」にも誤解があって、、、足へ乗り込むでは、結局、、、踏ん張ってしまいます。
低い部分にまたぐ、、、では、結局、踏ん張ってしまいます。



じゃあ、、、

重力という動いているものに

乗り込んでみれば???




たったこれだけで、、、
脱力も落下も伴った半歩早い乗りこみが、叶ってしまうのです。
かっこいいライダーのごとく。。。

[広告 ] VPS


先日のランジもそう。。。踏ん張らず、気分だけでも、かっこいいライダーを!!

[広告 ] VPS






・・
・・
・・


前の記事では「踏ん張らないのは、足だけではない」と触れ、そのことを今日公開すると告げました。
それで、以下のリンクも掲げました。
なので、、、今日の記事内容は、以下の記事を総括し、さらに上をいく内容を期待したかと思います。

実際に私も、そのつもりでリンクを掲げ、そのつもりでいてました。

バランスについて2016・12(バランスは、我慢ではありません。揺らぎです)
動作以外のことについて(ハードルを下げ、勝ち癖を手に入れよう)
勝ち癖をつけるために(しがらみから解放されれば、、、あなたが輝く!)
逃避力(怖ければ、、、逃げればいいのです!許せば、、、変わる!!)
期待に応えない教え方(頑張りすぎてたんですよ、あなた)
初期設定が違う!初期設定を変えよう(我慢が当たり前になっていませんか???)
報われるか否かの違い(これ以上は、、、しない)
達観するには、実感が不可欠(少しずつでいいのです!満たされる実感を刻め!!)



しかし、その時点ですでに気が変わっており、あることに気づいたのでした。
それと、今回の「ライディング」とが一致します。
「踏ん張らないのは、足だけではない」であれば、、、リンクだけでじゅうぶんだと思ったのでした。

もうそれ以上はいらない。

私も気づいたからです。「ブログやニーズ、そして読者さんにしがみついていたかも」って。
また、読者さんをも「ブログにしがみつかせている」気がしたのです。
ほんとうは、、、、しがみつく前に行動を促す、ようは感じてもらうことが第一なのに。。。と。



・・
・・
・・

... 続きを読む
こういう下半身も使う全身運動では、ある誤解を受けることがあります。
足で踏ん張るものではありません。

[広告 ] VPS



もし足で踏ん張る動きなら、間違いなく「ぎこちない」「暴れた動き」だったりします。
動きの出だしでは、見破られるような動きになります。その充実感は無駄です。
また、足で踏ん張るから、ランジをやるにも、足から出てしまうのでしょう。

[広告 ] VPS




つまり、、、リラックスできてないから、、、「動きがワンテンポ遅れてしまう」のです。
リラックスできていれば、、、おのずと、、、「半歩早い動き」が実現します。
あとは、「どのように動くか」だけです。リラックス。落ちる。あとは自由に。。。

[広告 ] VPS


[広告 ] VPS




参考までに、、、私の感覚ですが、、、

着地足が大事ではなく、滞空足が大事です。着地足の工夫じゃなく、滞空足の意思。
踏ん張らない側が大事なんです。その踏ん張らない側がどっちに行くか。それだけです。
もっとも、、、両方の足とも踏ん張っておらず、脱力して落ちているのですが、、、。



ウエイトも一緒で、
踏ん張る。蹴る。固める。などの力みが「ワンテンポ」動きを遅らせます。
重さに寄り添いリラックスするだけで、、、
半歩早い、スムーズで頑張ってないのに動けてる、そういう動きになります。

「半歩早く」も必要がなくなるぐらいです。



踏ん張らない。



自然体で。。。



数年前から申していたように、、、、
「体重計に乗る感じ」が欲しい。




体重計に乗るとき、踏ん張りますか???
もし踏ん張ってしまったら、、、思いのほか、力も伝わらないでしょう???
力むから、、、伝わらないのです。



結局、一番大事なのは、、、、リラックスというか、、、力みを取る事。

でも、ストレッチでは、その場しのぎで、力んだ動きの解消にはなりません。
力んでしまえば動きにブレーキをかけてしまうこと。それをまず知る。実感する。
そして、力まなければ、、、ブレーキがなくなって、動けること。それを実感する。

その(力まないで動ける)実感を基準にして、判断すること。体で気づくこと。

ウエイトトレーニングは、、、そのためにあるのです。
力んで鍛えてしまっては、そういう伝わらない動きになります。
筋肉をつけるだけならまだいいしょう。それでも機能が低下することは歪めません。

ウエイトは、機能を磨くものです。
力んでやるものではなく、力まず動ける実感を刻みます。学習し、力まないことを記憶します。
正しく刻めば、力むことが不快になるのです。そういう体になっていきます。
(そうじゃないのなら、それは、筋トレです)



【ここまでの内容で関連する記事】

動きの絶対音感
瞬発力は脱力だ




・・・



最後に、、、



踏ん張らないことが重要なのは、
足だけではありません。




ほかにも、、、踏ん張ってしまわないほうがいいのいでは???と気づいた点、ないですか?
このブログを読んでる人なら気づくだろうこと。。。気持ちや行動の部分、動作や鍛え方もそう。
でも、「こうすべき」というカタチではありません。
もっと「寄り添うような何か」があると思います。

次回、年内最後の記事は、その議題にします。お楽しみに。。。
それまでは、以下過去記事なども参考にしてください。



【それに関連する記事】

バランスについて2016・12(バランスは、我慢ではありません。揺らぎです)
動作以外のことについて(ハードルを下げ、勝ち癖を手に入れよう)
勝ち癖をつけるために(しがらみから解放されれば、、、あなたが輝く!)
逃避力(怖ければ、、、逃げればいいのです!許せば、、、変わる!!)
期待に応えない教え方(頑張りすぎてたんですよ、あなた)
初期設定が違う!初期設定を変えよう(我慢が当たり前になっていませんか???)
報われるか否かの違い(これ以上は、、、しない)
達観するには、実感が不可欠(少しずつでいいのです!満たされる実感を刻め!!)





強化=「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」というその先入観。
義務。課題。苛め抜く。気張る。頑張る。戦う。争う。攻撃する。あるいは過剰に防御。
初期の入力設定が、違っているのだと思います。


[広告 ] VPS




できる範囲から見直せばいいのです。
いえ、見直したい人だけ、見直せばいいのです。

「戦っても満たせないもの。勝っても満たせないもの」
そこに気づいたことが、はじまりです。

日本人の所作なのかもしれませんが、、、我慢の文化が根付いていると思えます。
「しなければいけない」
・・・・・・じゃあ、、、したいのですか???したくないのですか???

したくないことを、許してあげる。したくない。しない。
したいことを、許してあげる。したい。する。

リラックスしたその動作は、そういう気持ちから生まれます。
魔法や奇跡は、そういう気持ちや行動から生まれます。
したくないことを許す。なかなかできないと思います。でも、できる範囲からでいいと思います。

だから、、、トレーニングは継続が大事、なんですから。。。

重症の患者に「早く復帰してもらわないと困る」なんて言いますか???
「ゆっくり養生してください」と言ってあげたいですね。

我慢で生まれた産物は、けっこう多い。
初期設定が間違っているから、どんどん蔓延するのです。
でも、少しでも気づいたら、良しとします。

やりたいことを探す。それで見つかれば一番ですが、
難しければ、したくないことを、部分的に許してあげる。
そうやって徐々に、初期設定にたどり着けば、、、と思っています。

したくないことは、しない。
したいことだから、する。

他人や周囲に振り回されず、毅然とできること。
それが「私(指導者武田さん)」を作りましたし、武田流とかそういう流派ではありません。
武田マジックではありますが、、、(笑)
みなさんひとりひとりの「自分流」なんです。そこを間違って欲しくないです。




こういう運動は、お好きですか???
[広告 ] VPS




以下、私の主観。

体幹が強い???
違います。
脱力がうまいだけです。

乱れてもいい。
それぐらいの気持ちが、バランスを作ります。
してもいい。しなくてもいい。中庸の心でしょうか???

脱力する。
息を吐く。
落下する。

これらがすべてイコールになる。
上は、それを味わえるエクササイズだというのが私の認識。

ウエイトもそうですが、、、
バーベル慣れしてない人がバランスを乱す。これを修正するとき。
力で解決して整うケースがほとんどかもしれませんし、そういう強さが良しとされます。

しかしうちは、、、
脱力や落下、重りに寄り添うこと。これによって「本来あるべきバランス」へ導かれます。
うちは、腹圧を高めたりはしません。偽りのバランスだと感じるから。実際に心地良くない。

以上、、、私の主観だけを紹介したまでです。

固めたい人を悪く言うわけではありません。
ベルトを締めて固めてバランスをとればいいです。
不安なら、大いに力んでみればいいでしょう。大いに固めて、その筋力強化に励んでください。

私はただ、そうなんだな、と思うだけで、それ以上は近づきませんし、とめません。

こうしろ、と命じたわけではありませんので、あしからず。



してもいいし、しなくてもいいのです。
でもその自由さから、意志が目覚めるのです。
世間から見てどうか、誰かからいわれてこう、じゃなく、自分の意志です。

あなたがどういおうが、私はこうします。

その結論は、ひとそれぞれ。ただそれだけです。
わたしは「こう」。あなたは「そう」。
「そう」を「こう」にするのは、私の仕事ではありません。






ランジです。前方への推進がわかるエクササイズかもしれません。
先にスムーズで見破れない動きとなっている成功例を。

[広告 ] VPS



ではわかりやすく、失敗例を。

[広告 ] VPS



ではわかりやすく、ふたたび成功例を。

[広告 ] VPS





重力だけじゃなく、時間にも寄り添ってしまいます。
脱力すれば、ストンと落ちます。息を吐けば、ストンと落ちます。
この脱力と落ち具合が基本ですが、それに加え、、、私の場合は、、、

「半歩早く(前へ)動いてみる」

この「動いてみる」は、とても自然で、落ちれば脱力して、自然と早く動く感じです。
あとは、動きの方向だけ見てるだけで、自然です。これ以上落ちたりもしません。
失敗例では、半歩早くは進めておらず、(遅れた)今に動かしています。



だいたいこんな感じです。



ただ、、、
成功例失敗例とも、自分が感じた成功と失敗に従ったものなので、
絶対とはいいません。

価値をどう受け止めるかは、読者さん次第ですので、
成功と失敗はこういうものだ、を強要したわけではありません。
私の主観にもとづいたものですので、あしからず。




これまで、「リラックスの重要性」と「感じることの重要性」を掲げてきました。そして、
「リラックスできたほうが、より感じることができ」「感じられてるときにはリラックスもできている」
というふうに、、、相関関係を謳っていました。

つまり、、、相関関係である以上、
「リラックスという要素」と「感じるという要素」に分けて考えていました。
これについては、その通りだと今でも思っています。

しかし、、、今から謳うのは、、、もっと大切なこと。。。
これまで私は、、、このことを謳っていのだ、こういうことを求めていたのだ、と気づいたのです。
ずばり、、、、「両者を、分けない」「ひとつにする」




つまり、、、




リラックスを、感じる




たったこれだけなのです。じつは。。。
リラックスしてる自分を感じるだけ。
たったこれだけ。。。。そう、、、これだけなので、ホームページも要らないかな(笑)なんて。。。

ただ、、、リラックスの精度の問題じゃなく、リラックスしてることを自分が感じれているか。
そこが大事なんです。

たったこれだけ。リラックスしてる自分を感じたとき、、、表情も変わります。
自然と口角も少し上がっていたりします。だって、、、リラックスを、感じてるんですから。。。(笑)
って笑った瞬間、、、口角が上がるでしょう???笑ってなくても、心が軽くなって。。。
表情がほころぶ感じだけど、緊張が取れて、逆に。。。という感じ。

緊張するから、逆に表情も。。。だと思うのです。あるいは頬が覇気なく下がるだけでもない。
リラックスは、心にも体にも働きかけます。頑張り方や行動まで変わります。
敵を作って闘おうとしなくなります。そのぶん、ストレスが減ります。周りが好意的に映ることも。
あるいは笑顔を繕わなくても自分が逆に好意的に映ってしまうことも。

また、判断力も冴え、他人に振り回されたりもしにくくなります。
「俺は、、、こうなんだ」「俺は、、、これがいい」みたいに。
反射的な判断じゃなく、逆に考え込まない洞察が冴える。自分に素直になれるのでしょうか。

そう、、、ウエイトで扱う重りこそ、、、じつはそうです。
ウエイトも含め、リラックスを感じることで、
気分も良くなるし、、、豊かさ気分っていうんですか???
あるいは、、、一段高い自分を感じる、というか。闘うことなく、始めから勝てているような。。。

体のリラックスは、心のリラックスになり、
心のリラックスは、体のリラックスになります。
でも、、、その両者をつなげるためにも、、、




「リラックス」と「感じる」をひとつに。。。




これが必要だったのかな???
なんて私もずいぶん、、、心の部分で苦しんだから、、、
きっと苦しみ抜いた結果、、、神様がヒントをくれたのかな???
これ、、、体のリラックスを発掘したときも、まったく同じプロセスで。。。
(かつてはすごく力んでいて、体の悲鳴が限界に達したときに、目覚めたんです)




でも、そのきっかけを生んだのは、、、
世間ではなく、「自分が変われば、周りが変わる」「世間に関係なく、自分次第だ」
と思ったことからでした。

じゃあ、自分に何ができるだろうか???

だったら、、、自分を守ろうか!!と。

そこがリラックスのはじまりでした。




リラックスを、感じる。




もちろん、、、そのうえで、五感でいろんなものを感じる。豊かさなどを感じる。重りも感じる。
でもこれらは、リラックスを感じた結果として自然とついてくる気がします。
もちろん、、、リラックス(脱力)によって、、、運動パフォーマンスの向上。出力の増加。
あるいは、、、心地よさ。心地良い集中だったり。。。




もっともできてた部分もあって、うちのお客様なんかは、スクワットにしかり、
「それをやってる動きだけじゃなく、表情まですばらしい」のです。
私も何度かその人に「表情がいいですね!!見ててこちらも嬉しい気分になります」
その「嬉しい」には、本人の満足を感じることと、動きの面での安心感や成長を感じることと。




こちらは一世風靡(いっせいふうび)したある歌手の名曲なのですが、
(半年ほど前、近所の商店街で流れてて(♪)それでブックマークに。。。)
この歌手の表情も、参考になっていて。。。
よかったらどうぞ。昭和となつかしさを味わいましょう。年齢を重ねるって、素敵なことですね。。。
歌もいいのですが、ヒントになったその豊かな表情も(←クリック)




動きは“無邪気に”!論理をあざ笑うがごとく。リラックスを、感じる。
[広告 ] VPS






[広告 ] VPS




さきほどは、力みの理由は我慢にある、と述べました。
でもその我慢を呼び寄せる元は、、、何でしょうか???



・・・
・・・
・・・



自分の感じ方が過去や未来に行ってしまう。
しかも、否定的で思い出したくない過去や、まだ見ぬ不安な未来だったり。
ついさっき受けたトラブルもそうでしょうし。

そういう悩みで頭がいっぱいのとき、、、
確実にいえるのは、、、
今を感じられてない、ということ。

悩み解決のためばかりに視野が狭くなった、まるで焦った危険な車の運転みたいで。
自分がありませんし、今が抜け落ちています。
ウエイトでいえば、、、重さを感じるばかりか、我慢してることさえも感じとれません。

・・・・
・・・・
・・・・

 悩みを聞いてくれた人がいたとします。聞いてくれて、気が晴れました。
 でもいちばん大事なのは、、、聞いてくれた人への感謝になります。
 ひとつの誤解でトラブルが起きました。“相手”は執拗に“わたし”に攻撃します。
 しかし誤解が晴れても、“相手”は“わたし”に謝罪のひとこともありませんでした。

前者の“気が晴れた人”にしかり、後者の“相手”にしかり、今を感じ取れてないのです。
自分がなく、トラブルを好んでしまっていて、プラス感情や温かい心に欠けてるのです。
自分のことに必死になって、でも自分がどこにもない。振り回された自分しかいない。

・・・
・・・
・・・

力みの理由は、我慢だと申しました。
その我慢の理由は、、、
今(の気持ち)を感じ取れないことや温かみに欠けることではないか、と思います。

過去のトラウマや未来への偏見。情報社会ですし。。。そこへの焦り。
周囲と比べた自分への焦り。周囲と比べればますます心が過去や未来に行きそうです。
そう他者目線になって勝った(負かした)と強がることで、負のスパイラルが始まります。

・・・
・・・
・・・

重さを受けた体は、
今を感じさえすれば、、、
必ず、、、「重りが挙げてくれる感覚」になります。

下がってるのに、挙がってしまう。
望んでなくても重り側が自分へ歩み寄ってさえもくれる(クリーンやデッドなど)
はじめから今を感じ、素直に感じ、強がらず、情報通になどならずとも、肩肘張らずとも、

我慢も不要で力みも不要になるのです。




私の考え出したものは、たしかに見かけないものかもしれません。
これまで受けたすべての方において、「こんなのは初めてだ」と言っていただきました。
だからといって、普及しないことや少数派であることで、世間と闘う姿勢になってしまえば、

自分が自ら、、、愛のない世界を引き寄せてしまう。

そういうことにも数年前から気づいています。
自ら「力まないトレーニング」「豊かなトレーニング」を求める以上、
一番の満足は、、、認知度よりも、自分自身へ愛を注ぐことだと改めて認識したいと思う。

そうやって愛の注ぎ方を日々高めていき、
愛のある、豊かで、感謝したくなるようなそういう過ごし方をしたいと思えるのです。
愛のある世界を引き寄せるのも、自分が愛を持つことだと思うから。。。



そういう愛のある人間でいたい。もっとそういう自分を高めていきたい。
そのためにも、、、ちいさな「今」を感じ取れる人間でいたい。
「今」感じた「プラスの感情」を大事にしたい。

今いるその人を大事にしたり、
今感じたことを心地よく感じたり、
一期一会とはいいますが、、、これの深い意味が少し、わかるような気がしたのです。