2017.03.03 進化
落ちるという私が作った動作法を私が提唱しています。10年以上も続いてます。でも、10数年前の「落ちる」と今の「落ちる」では、根本では一致しても、やはり変化というか進化というか、改善もあるし発見もあるし、抽象が現実味や具現性を帯びたりするようになってきたと思います。重力と時間にかみ合う動きですが、重力とかみ合えば時間ともかみ合える、とも言い換えることだってできます。そういうことを、ウエイトトレーニングやその技術、いえ重さの感じ方が教えてくれたりします。

感じ方だって、最初に感じた感じ方と、経験を積んだ感じ方では、大きく異なっていきます。しかし、最初のころは、簡単な感じ方でじゅうぶんです。それよりもまずは、「我慢せずに、感じること」「争わず、味わうこと」だと思います。このブログでは、私の最近の感じ方を紹介したことがありますが、いきなりそれをやるのではなく、それこそ落下するりんごをどうキャッチしたら手が痛くないか、あたりから始めるとか。

一気に完成させよう、とするのは、一気に「だめだ」「まだだ」を実現させてしまいます。
「まだだ」ではなく「いまは」を実感することで、そこであえて止まることで、達成感を味わえます。
「いまは」の達成感。そのプロセスです。

感じ方に従順になる、ということは、自分がわかる、ということです。
自分の愛し方がわかる、自分の肯定の仕方がわかる、ということ。
考えてしまえば、いくらでもたくさんのものが作り出せるでしょう。でもそこには実体がない。
実体はおろか、自分がない。仕方なく学ぶもの、なら、それは必要なものか、問うべきです。

体で感知する。

その感情を味わう。

結局、トレーニングというのは、それだけのような気がします。
それのために、トレーニングがあるのです。
体を賢くさせる。自分で感じる。自分を肯定する。

その肯定度合いを高めていく。



あとはその人の感性が、さらに先へと突き進ませるのだと思います。
「こうなるのが、当たり前」「こうするのが、当たり前」という発想を捨て、
「こう感じた」と言える自分でいたいですね。




自転車(27インチ)を飛び越えた大人気ない43歳です。
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でも見て欲しかったのは、、、、案外、ジャンプの前後でもある最初と最後の歩く動きです。
「着く前に、、、着けている」かのようなそういう感じ。
「着いてから、蹴る」じゃなく、「着く前に着き、着いたときにはもう蹴れている事後処理」

でもジャンプ動作も、よく見たら、、、
「今!跳ぶ」ジャンプじゃないはずで、
「跳ぶ前から、それをやっています」

・・・・

スクワットの戻す動きとかもそうですが、

時間や重力のながれが、まるで「ベルトコンベアーのよう」に「上から下へ」ながれていて、
そのコンベアーに「タイミング」を合わすには、
自然と体はそうしませんか??そうなりませんか??

というふうな歩き方やしゃがみ方や跳び方や動き方になりますよ。

という話です。これは、スクワットではありませんけど。。。
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それぐらい、、、余計な動きをいかに省くかです。
もうその余計な身体操作は、ほんとうに余計ですので、要りません。
エスカレーターに乗るあの自然なタイミングです。




けっこうアップ数が多い動画でした。よかったらどうぞ。
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スナッチだったんですが、挙げてないスナッチ。でも挙がってしまってるスナッチ。
ジャンプ動作が入るリフティング、という解釈をされるリフティングですが、
私の解釈は、そうではありません。

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思うのですが、、、運動やトレーニングに限った話でさせていただきますが、
学習というのは、、、「何か、新しいものを、付け足すもの」と思われてしまい、
「新しい何か」を「得よう」としてしまうのではないでしょうか???

私は、この業界の専門として意見を言いますが、





「新しい何か」を「得る」には、、、
「気づかなかった何か」を「捨てること」
これが「先」です。いえ、それだけでいい。






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人は、気づかないうちに、余計な動きをしています。
私から見れば、、、「どうして自分の体を信じてあげられないんだろう???」
と不思議に思えるほどです。

重力が働く環境。時間が流れる状況。これは不変です。
でも同時にいえるのは、
「これらを受け容れれば、うまくいく」ということです。

ですので、方法論至上主義や損得勘定になって「単に力を抜けばいい」のではない。
方法論至上主義や損得勘定になるということは、「感覚や感情を捨てている」ということ。
大事なのは、、、「今、あるそのことを」「感じること」「受け容れること」

そのためにも、、、その余計な身体操作が、ほんとうに余計なのです。

大人になるにつれ、力任せに解決したり、思考でまかなったりします。
でも、、、重力や時間を受け容れ、感じ取れれば、、、いえ、、、楽しめれば、、、
「何が余計で、どういうことが必要なのか」が見えてくるものなんです。


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人が人として、感覚を持ち、感情を抱くという普通の「人間性」を重んじれば、、、
それが「自分を信頼する力」になり、「肯定的な力」になり、「自己実現」につながっていく。
以上、、、私が感じる、この分野における「理想で、楽しく、好転する学習方法」を述べました。

注目してることや関心が、一線を引いたものだ、ということです。




これは、アスリート向けの内容かもしれませんが、
動きの知恵は、すべての人に通ずると思いますので、
実用面で参考になるとは思いますので、紹介します。

思考で考えてしまうと、もしかしたら、
「瞬発力=パワー」みたいになったり、
「瞬発力=筋力×距離÷時間」「瞬発力=筋力×速度」となってしまったりするでしょうが、

力や計算式だけでは解決できない実感というものがあります。
なぜなら、、、時間が常に流れていて、その瞬間だけを区切ることができないからです。
多くの方がそこを誤解するために、所謂「二段モーション」「二重のキック」になってしまう。

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見た目は、すごく短時間に着地してすぐに切り替えしているように映るでしょう。
しかしその実感は、、、「切り返しもせず、けりもせず、着いただけ」
実際に、、、リラックスができていると、筋感覚としてそれがわかるはずです。
「着くだけなのに、、、じゅうぶん、、、蹴れている」「だから、慣性だけでいい」

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「瞬間のなかにもながれがある」とはそういうことです。
見た目の華やかさに目を奪われて、短い着地と切り返し動作を行うことは、理に適っていない。
そう「実感」できれば、、、と思います。

重さを認めず、自分を癒さず我慢して、戦いに挑むその行動に、人としての感性を感じません。
重さを受けて、重くっていいんだ、と許し、自分を癒してあげること。
こういう運動でも、、、切り替えして跳んでいないのに、その基本が築かれていきます。

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普通のスクワットのように「着いたまま」の運動でも、、、
じゅうぶんに、、、、
ジャンプ動作の基礎は、、、築かれていきます。

もちろん、、、、
あえて厳しく言わせてもらえれば、、、あほみたいに切り返す力んだ動作ではないことが必須。
言い換えれば、、、重さを認め、ゆるし、自分を癒す動作であることが、必須。




【関連】静は動なり 動は静なり(プレ編)





重力というのは、私たちに不思議な神秘をもたらせてくれているように感じます。

たとえば、普通に買い物をします。買い物袋に商品を入れます。それを手で持ち帰ります。
誰もが経験することでしょう。このとき、たとえば水とか重いものを入れたとき。。。。。
たいていは普通にぶら下げて持ち運ぶでしょう。腕力で持ったりしないはずです。

ここまでは普通ですね。

しかし、移動中、自転車にしろ、車にしろ、
一度降ろした袋をふたたび持ち上げるときが必ずどこかでやってきます。
このときです。。。どうやって持ち上げますか???

腕力で持ち上げますか???

私なら、、、




ぶら下げたまま持ち上がってくれるようにします。すっごく軽いですよ。
逆に力で挙げてしまうと、その力がさらなる重りになって、肩とか痛めそうです。
でも普通はそうやって「力で」持ち上げていると思いますが。。。。どうでしょう???




繰り返します。
私なら、、、重さを受け容れたまま上がってくれるように動かします。
そのためにも、力は極力「入れない」のです。
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腕力など筋力で動かせば、、、こうはラクラクとはいきません。
こういうラクラクだと、終わったあともすっごく軽いし。。。
だから、、、ウエイトトレーニングでも、そういうふうに動いてみるんですね。。。

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ようは、、、落下という「動くもの」を受け容れたほうが自然で、
だから止まったり固まったりしないのです。
重力って、、、すごいでしょう???

うちは「落ちる」っていう名称が代名詞になってるように、
自然と重力を受けてたほうが動けるよ。。。。ってな動きです。
ジャンプなど他の動画も参照ください。跳ばないのに跳べてるジャンプですから。。。

多くが、「足から上へ上へ」と伝える手法かもしれませんが、
私は「争う」「あがく」「勝とうとする」ことをせず、「順応すること」を選んでいます。
ですので、下から上へ伝えなくとも、出力せずとも、「落ちること」で叶っていく。
上から下へ自然と。あとは体に任せて。。。頑張らずにうまくいくほうを選択するのです。

もしかしたらわたしたちに、、、
「フォースの力」とやらを教えてくれてたりして???笑
2017年年末に上映らしいですよ。。。。エイト。。。



ただ、、、バーベルが初めから床に着いていて、
床からスタートするウエイト種目だと、はじめから着いてて落下してません。
こういうときは、出だしの動きが大変難しい。

ですが、、、キーワード「静は動なり 動は静なり」
・固めて止めるでなく、動かさんと動かすでなし。
・その静止は動的(動作の延長)であって、その動作は静的(静止の延長)で自然。

つまり、あくまで、「着いてても落下のうち」だと感じ取れるか、にかかっています。
着いてても落下を感じ取る手法としては、、、感覚でいえば、「あそび」を大事にします。
これは、自然にできていたことを自分で頭で整理した話ですが、、、

シャフトにも「あそび」があって、指でシャフトをフック(ようは、握らないが、放さない)して、
バーベル(プレート)が床から浮かない程度にぶら下げれば、、、
そこがスタートになります。

つまり、、、振り子のような「エネルギー保存の法則」を活かしています。
「静」と「動」の合計が一致し、ただ「静」「動」の比率だけが変化する感じ。
物理の法則だけに、意識しなくても自然とそうなるものです。
だから、気張ってあげたり見え見えの爆発力に、動きの品質を感じないのです。

あと、クリーンのセカンドも、その「あそび」の扱いひとつじゃないか、って感じもします。
ファーストで挙げてる最中は、「シャフトが上、プレートが下」という位置関係です。
セカンドでは動くながれが止まったり遅くなったりした反動じゃないかな(?)と。

言ってしまえば、、、自然発生的な感じだということです。
ようは、、、落ち続ければ、結果になる。そういう感じです。

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2017.02.05 自分軸で動く
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さ、、、、自転車は27インチ。何がおきるでしょうか???43歳のアクショ~ン!!
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足掻いた動作ではないでしょう???
足掻く、ということは、誰かや何かに対して行うことです。
「誰かや何か」が主語や中心になってしまい、自分がその主語に支配されてしまう感じ。
勝つか負けるか、になってしまう。支配するか支配されるになってしまう。

むかつく相手がいます。むかつくことをされました。生意気だから、絞めたくなります。
これが、足掻くという意味です。
でも相手を絞めたとしても、相手は憎しみを持つし、自分も傷つくし、勝てた気にもなれません。

同じむかつく相手がいて、自分はどうだったのか???どう感じたのか???
自分が傷ついた。自分が悔しかった。自分が悲しかった。自分が嫌だと思った。自分の腹が立った。
これは、自分軸の癒しです。自分が守られる。そう伝えればますます癒しや自負にもなる。



争いじゃなく、解決を求める
自分の価値を下げない




動作には重力がついてまわります。
その重力が主語になれば足掻きになりますが、
自分が主語になって、重力を感じれば、どうでしょうか???

「重くっていいんだ。落下するんだ」からはじまり、
「動きの軸や方向やながれがわかる」へと続き、
「重力を受けたほうが、動きやすかったんだ」へと発展する。

ウエイトトレーニングの重りは、そういう「自分軸」の「感じ方」を磨くもの。
足掻いて動かすものではありません。解決ではなく戦いになるのは、自立できてないから。
足掻くから、傷ついてしまい、痛めてしまい、苦しんでしまうのです。

我慢せず、自分のことをいっぱい癒しましょう。。。
そこから、解決へと導かれていくような気がします。



重力とともだちになる





瞬発力を養成するために・・・・・・・・

要点は、上リンク記事をご覧ください。


・・・


今回はその補足と大事なエッセンス。掘り下げた話。
先に、案外うまくいった感じがするこの動画から。
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瞬発力、と聞いた時点で、
「特別意識」というか「今を変えなければいけない意識」というか、
そういった「世襲」が働くのでしょうか???

上のリンクでは、その世襲をぶち壊すことを述べてきました。
「瞬間のなか」にも「ながれ」がある。
いえ、、、「ながれ」が基準となった「瞬間」でしかないのです。

でもその「ながれ」をこれまた「特別意識」してしまっては、元も子もありません。
「ながれ」や「一定感」を得たいのです。
掘り下げれば、、、「世襲」でもある「そういう変化」を「なくした」ほうが「うまくいく」

変えなければいけない、という瞬発力は、力み以外の何者でもありません。
日常生活でもそういうのが力みの原因でもあります。
それを取り除くこと。すると今度は「じゃあ、、、どうやって動けばいいの???」

これこそ「世襲」だと思います。

余談ですが、世襲という言葉を辞書で調べたわけではないのですが、
私の感じとしては、「世間が自分に襲い掛かるもの」「世間に自分が襲われるもの」
そういう解釈をしています。

ほんとうは、、、初めから動きができていて、動くものが動くだけであって、
止まったものを動かす、だから力が要る。操作が要る、という思考を、私は信じていません。
初めから動けているのです。静止とは、固定ではないのです。動作のひとつなのです。

ましてや重力が働いています。すでに「動いている」のです。
「落ちる」「落ちたことで、動けてしまう」「すでに揺らいで(動けて)いる」
私がウエイトで言う「(重さを)受けたまま動けてしまう」

これこそ、、、瞬発力の基本ではないでしょうか???

だから、、、先の動画のようなことも自然と叶うし、尖ったムリのある力みにはならないのです。
だから、、、玄人めいたながれを瞬間のなかに感じ取れるのです。

繰り返しますが、、、ながれを特別意識してはいけない。
これだとまさに、すり足走行みたいな話になってしまいます。
がっちがちで不自然な動きになってしまいます。

そうではなく、、、
素直に感じ、受け取めること。そのままでいること。
ようは、、、完全に「信じきること」

素質というのは、、、「信じきる能力」でしかない、と思います。
変化を我慢することではなく、
信じきって動じない感じ。(くどいが、、、感情と人間性をなくした我慢とは違う)



感じたこと。実感。素直さ。



それだけだと思えてなりません。




いえ、、、ね、、、走ってて気づいたんですけど、、、

最近は、着地というあの短い時間(瞬間)にも“ながれ”ってあるんだってこと。
弾む感じ、とか色々考え方があるそうですが、弾みはするのですが、、、
その弾みのなかにも“ながれ”ってあるんじゃないか???って感じ。

歩く動きがそのまま走る動きになってしまう。
もちろんカタチだけで模倣するだけでは、すり足走行になってしまう。
そうじゃなく、、、瞬間のなかにもながれってあるんじゃないの???ってこと。

じつはこれは、走ること以外ではすでに感じ取っていたことです。
そしてこれまで、そういう指導をしてきたのです。

こういったボックスジャンプでは、とがったような短い着地を意識したりする。
でも私はむしろ、、、その短さを長く感じる。でもつぶれて踏んで止まってしまうでもなく。
古い動画ですが、、、サボり症(笑)のため、一度しか跳びません。。。瞬き厳禁(笑)
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どこかこう、、、「針で突付く感じ」ではなく、「ラウンドする」「ローリングする」というか。。。



そしてよく瞬発力養成目的であつかわれるこういう種目。
バーが腰を通過するあたりで「一気にギアを入れて、瞬間的に」・・・・といわれます。
しかし私は、、、これこそ「しっかりながれを感じ取るもの」だと思っています。
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だから、、、何でもかんでも「爆発的爆発的・・・・」となってしまう。
そうやって神経系が磨かれる、というのは、「生理学」でいえることです。
しかし、、、その瞬発力が「ホンモノ」になってくれば、、、それが「スローモーション」に映る。
そういう話は、私も体験してますし、全日本クラスのうちの生徒さんもそう言ってたし。



そう考えれば、、、本気で瞬発力を磨くのであれば、、、



先に、、、「ながれ」「ラウンド」「ローリング」「積数」を刻むべきであって、
遅くてもいいから、まずは動きを磨く。
生理学で見れば真逆でしょう。しかし、、、、王道へつくには、先にその基本があるべきです。

「これができなければ、それをやってはいけない」
みたいになってしまうのでは、いつになってもそれができません。
永久にできませんし、永久にその立ち位置にこれません。

自信の持ち方と一緒です。そういうやり方では、自分がありません。
これを遂げなければ自信がもてない。遂げてもまた次、、、となるか、その圧力で遂げない。
いすれにしても永遠に自信がもてません。



先に王道という答えに准じ、やっていく。
先に自信を持つから、結果も栄えてくる、と一緒で。
プロセスは大事なのですが、、、ミスミス自分の価値を低く見積もるのはどうかと思います。

「これができなくても、それをやる資格はあります」

「でも、、、簡単なところから」

そういうプロセスが大事です。
「ハードルを下げて成功癖」とは、そういう意味です。
普通の遅い動きのスクワットでも、じゅうぶん、、、瞬発力のエッセンスが磨かれます。

体重の何倍分の重量を挙げれて、瞬発力養成メニューを行う資格が整った、、、ではなく。
で、仮にその資格を得られました。そこで瞬発力、と張り切るはかりに尖ったものを求め、
いつになったらながれがつかめるんだろう。。。でも、、、と・り・あ・え・ず・・・・・・か。。。。。

これだとおかしい、と、なんとなくわかったでしょうか???

それでも結局、、、、それでもわかる人やわからない人がいます。
ぶっちゃけこれって、、、運動暦じゃないもんね。。。
感情レベルや人間性だったりしますもんね。。。

「感情を捨てて機械的になる=人間性を捨てる」という意味でしょうから。。。
そういう狭い機械的視野が、能力を滅ぼしていると思います。
ようは、、、自分で自分を縛っているんです。

思うんです。
特別な人が特別なんじゃなく、特別だと思うから特別な人に映るんじゃないかと。
あえて「特別な人」と言わせてもらえれば、
そういう人ほど、普通で王道でまっすぐじゃないかと。。。




さらに詳しくは、こちらから





トップページにはいくつかの動画を載せています。
見ててどうですか???どう感じますか???
思うんです。手厳しい人もいるかもしれませんが、普通に見れば、

「うまく行ってる動き」

ではないでしょうか???そのひとつをここに掲げておきます。

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うまくいってるんです。ようは。。。



筋力で抗ったり、我慢で力んだり、操作法に縛られたりではなく、
どこか自然でしょう???どこかムリがないでしょう???
うまくいくというのは、そういうことだと思うんです。間違いなくそう思うんです。



こういうふうに。。。
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私の動きは、十年以上も「落ちる」という表現をしてきました。

この意味にも誤解があり、重力がキーワードではあるのですが、
決して「重力に支配された動き」ではないのです。
もちろん、「重力に抗う動き」「自己本位な動き」ではありません。

具体的には、「固める」「踏む」「蹴る」「引っ張る」「押す」「曲げる」「伸ばす」「回す」「ひねる」
あるいは「連動させようとする」「体の細部をどうこうしようとする」などをしない感じ。
何かをしてないけど、どうにかなっている。そういう動きでしょう???



重力が働く環境は、絶対です。
なのにそれを無視して抗えば、勝てたとしても、その我慢が積もっていきます。
不安の裏返しにも思えます。「どうしてそんな頑張るの???」と思えてしまうのです。
でも、重力になすすべなく支配されるがまま、でもありません。



支配するも支配されるもないのです。



うまくいく方法、、、それは、自立すること。



支配したりされたりするのではなく、そこで調和することです。



自立してるからこそ、、、(その意志があるおかげで)そうしようとするのです。
自立できないから、重力を支配したりされたりして筋力で自立しようとするのです。
闘って自立しようとするのです。いえ、もはや自立ではありません。相手ありきになっています。



その重力との調和にたいし、支配されることじゃないのか???と思ってしまう。
これは、重力を支配しようとする裏返しです。闘うことの裏返しです。
自立していない裏返しです。自分を信頼できていない裏返しです。

勝つか負けるかになっている。
ようは、それは、相手に対して。あるいは自分を客観した自分(ようは相手)に対して。
ようは、闘っている。



自立してるということは、
動きで言えば、闘わず、すでに叶っている次元の高い状態。
筋力に頼らず、自然体、それでいて満足が実現している、ということ。

他者をどうにかしようとして立つことが自立ではなく、
他者関係なく、自分が心地良い選択をして立つことが自立です。
そういう環境です。自分も環境のひとつです。

「環境を知り、いばらを避けたい」「闘わず、犠牲にもならず、友好的に事を運ばせる」
という自分意志あるいは自由意志が、自立の証です。
それが自然であり、自立ではないでしょうか???



つまり、自立してるから、、、自然とそこへなじんだほうが賢いと身体が感じます。
自分からそうしようと身体が反応します。心が反応します。
だから、とてもシンプルで、複雑に考えたりしません。それでうまくいくのです。

自立してないから、、、闘ってでも勝とうとします。負けてはいけないと踏ん張ります。
自立してないから、、、無力になってしまいます。しかも、いけないと思ってしまいますます無力に。
自立してないから、、、「自分が!」「自分が!」と独りよがりになり、自分が見えません。
そうやって過剰な筋力強化に励んだりします。しなければいけない、と思ってしまいます。



あの明ちゃん体操(先日の記事)を見て、
あれだけですごい意味合いを感じた方は、自分を大事にしてる人だと思います。
軸というのは、固めて「自分が」「自分が」と自分も周りも見えてない力んだ状態ではありません。
そういうのを「自立」というのではありません。私には「我慢したむなしさ」にも映るぐらいです。



自分から、自分意志や自由意志を持って、心地いい側を選択すること。



それが、、、自立できてる証です。



重力と、「ともだち」に、なるのです。








あほや言うたら、あかん。。。



・・・



硬い頭をほぐした自分でいたいから。。。



でなきゃ、力んだり、大人の思考で醒めてしまうから。。。
トレーナーは、、、鬼軍曹じゃないからね。。。
ちょいとしたエンターテイナーだからね。。。



・・・



ポイントは、感じること。素直さ。それだけです。
大人の思考を捨て、常識を忘れ、力をいれず、ひとたび「今」を感じましょう。
抵抗せず、戦わず逃げず、受け容れてみましょう。



大人や力みを捨てて、、、リラックスし、心を軽く、素直に感じ入れ、取り込みましょう。。。



【レッスン1】重りは、動きのせんせいです。その重りの真下に入る運動です。
あえて重りは、体から少しずれたところに上げます。
すると、これでは「重い」「きつい」「つらい」と体と心が反応します。

だから体は、、、そう反応します。

それだけのことなんですが、
力んでしまうと、これ(アンバランス)を我慢して支えてしまうのです。
我慢をせず、素直に感じ、反応してみましょう。

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バージョンアップした移動型の2(ツー)も。
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*土台の上にものを乗せるんじゃなく、てっぺんの真下にそれが来るものなんですね。
前者だと、力んでてもやってしまう「我慢の動き」。後者のように素直になりましょう。
重さを受けてる最中も、脱力して支えてる感じ。真下に来てる感じ。心地いい感じを満喫します。



【レッスン2】重りは動きのせんせい。重りは静止物ではなく、落下物。動いています。
さきほどの運動も、落下という動的なもの。だから体も、そっちに反応したんですね。。。
そのレッスンを先にした体は、やや素直にもなっています。

今度はよりその動的な部分を強調。

落下という「動きそのもの」を感じ、調和し、なじむだけ。一緒になるだけ。友人になる感じ。
落下にたいし、闘う必要もなく、過敏に防御する必要もない。支配する・支配されるでもなく。
力を入れず、ただただ「動的な落下」を受け容れてみましょう。

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*先日の記事のけんだまの動画が、原型になります。
別の動画にしましたが、こういう対峙が大事です。
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水面が揺れない動きが、理想です。水面が揺れる動き、、、それは、我慢の動き。負担も大きい。
負担をかけずに大きな出力は、、、可能です。むしろ、王道です。
頑張らない。心地よく。素直に。心地よくないのなら逆におかしいと感じたり修正したくもなるもの。



「でも、、、」を捨て、素直に感じましょう。。。それが、答えです。