他の記事を見ての通り、、、
私の考え方をご覧の通り、、、
間違いなく、、、私は、、、ポジティブだと思います。

ポジティブといえば誤解されがちなのが、、、
「いつもしゃきしゃき!溌剌と!」「ハイッ!」
みたいな、、、そういうのにあこがれますか???見ていて窒息しそうな無理があるし。

何というか、私の場合は、、、

「頑張って元気になる」のではなく、「頑張らずにすでに元気」という感じです。
「頑張って挙げる」のではなく、「頑張らずにすでに挙がっていく」という感じです。
「頑張って追い求める」のではなく、頑張らずに自然と・・・・」という感じです。

いわば、、、、究極の自己実現。

なのに、、、硬さがない。

頑張ってしまうのは、ネガティブだからだと思います。
しかもそのネガティブを認めず、ごまかして我慢しているように思います。
だから見ていて、窒息しそうになるのではないでしょうか???

ネガティブならそれを認めることで、、、、許すことで、、、愛することで、、、
ラクになります。リラックスできます。感じられるようになります。
この土台こそ、、、ポジティブへの入り口です。

我慢してまでやる、のなら、やらない。このほうがポジティブです。
でも、、、楽しいものなら、、、やってみたくなる。それがポジティブです。
「我慢しなくても、、、やれるはずだ!!」・・・・・・これが私の考え方です。

力を入れない。何かをしない。
感じただけで、、、動けていく。
やる最中も軽く、、、終わったあとは、すごく軽くなる!!
自然体なら、動きが叶う。コンディションまで叶っていく。余計なもの(予備知識)を消していけ。

何よりこういうのは、、、「実感」が大事です。
実感できない元気じゃなく、カタチじゃなく、実感です。
繰り返しますが、、、
我慢を強かなければできないのではなく、我慢は要らない。それで実現する。

そして、用心深く思考でネガティブに迷走する前に、
実感という行動です。
溌剌さは、、、そうやって生まれます。子供のように無邪気にさせてくれます。



ほんとうのポジティブは、、、、



強さを押し付けたり、知識で押さえつけたりすることではなく、



愛をもって、自然体で、希望と奇跡に溢れ、ハッピーでいることです。




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人のためじゃなく、自分のため。
人のことより、自分のこと。
他者目線じゃなく、自分目線。

これは、(以前から掲げていたけど)改めて今年掲げた私のテーマ。

前者(善者)が悪いというわけではありません。
ただ私には、それが自分を苦しめると感じてます。実際に苦しめられたこともあります。
自分でいいじゃないか、とそう思う反面、やはりその前者(善者)が顔を出すときもあります。
そういう人に巡り合ったとき、自分もそうなっていたんじゃないか、と振り返ることもあります。
自分が弱くなって、疲れていくのです。どこか硬くなってしまうのです。




ここで、私が感じた格言を申します。










かっこつけを、やめる!!










これだけで、、、他者目線というプレッシャーから解放され、心が軽くなる気がします。
過剰な責任からも解放され、責任の範囲も自分で決められ、それに集中できます。
「好かれてるかどうか」から解放され、本来の自分で良く、それを発揮しやすくなる気がします。

ようは、、、、自分が持てる気がする。自分目線になれる。自分を大事にできる。
どこにも変えがたいポジティブな自分、ほんとうの自分が目覚める気がする。
(トレーニングも含め)行動も変わり、そう過ごせば、何かが変わってくる気がしている。





以上。。。





【おまけ・1】

「かっこつけじゃなくなる」
「じゃあ、控えめ???」
・・・いや、違う違う!!

これって、、、逆に、、、かっこつけっていうんだと思うよ。。。
したたかで計算高く腹黒くってさ。。。めちゃ、相手目線じゃん???
まさに「好かれてるかどうか」で疲れるし。。。自分を大事にできてない気もしますし。。。



【おまけ・2】

あと、、、ここでいうかっこつけの範囲はすごく大きな枠組みです。たとえば、
父親らしく、母親らしく、男だから、女だから、何十代だから、ベテランだから、など、
社会の通説なども含んでいます。





以上。。。






参考記事(動作以外のことについて)



頑張れど頑張れど、、、、となるのか、
さほど頑張ってないけど、、、やった!どんどん変わっていく!!となるのか、

うちは俄然後者なのですが、
上の参考記事でも示したように、頑張らない趣向です。
でも、それが、成功の秘訣です。

振り返れば、、、

私は、、、

指導者として、、、

扱う重量にしかり、
回数にしかり、
種目数にしかり、

あるべき姿で「毅然と」「こう」していました。

・・・・・

・・・・・

・・・・・



これ以上は、しない!!



・・・


多くが、それ以上のことをやり、やってもやっても満たされない症候群に陥る。
うちは、、、「そこまで」と「達観」させています。
毎回毎回、「達観」しています。



これ以上は、しない



散策や追求も、深みに嵌れば、趣向や主旨がぶれてしまいます。
強化そのものが目的にもなってしまいます。
でも、、、指導の専門として、プロとして、



これ以上は、しない



というのは、基本中の基本だと思います。



毅然と、それを決めてしまう。
それ以下にはなるが、以上にはしない!!



しない!!



この決断力で、自分は、うまくいきました。
この英断を「信じてくださった方」が、成功しています。



これ以上は、、、、しない!!



これが、本番力の強化にもなるし、
毅然とした心を刻みますし、
今にそれだけ集中できます。



これ以上は、、、、しない!!





ちょっと軽い重りで、ラクをしました。私の主観では、こういうことを語っています。
「下げたほうが、、、挙がるよ」「力を入れないほうが、、、挙がるよ」
重りが下がりながらのほうが挙がってしまう「自己信頼」を「実感」しています。

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考えることと感じること。
今なのか、過去なのか、未来なのか。
単純論で片付けますが、、、

実感してるのは、、、「今」しかできません。
「過ぎ去った過去」は感じれませんし、「まだ来ぬ未来」を感じれないはずです。
それは「思考」しているわけであって、その「思考」を「今、感じている」だけのこと。

それだけ、今にフォーカスして「実感」を味わうということは、
そのときは、「過去」へも「未来」へも行かず、今にフォーカスできています。
でも思考すれば、過去や未来へ行きます。
そうやって、まだ来ない不安を今感じたり、過去のトラウマを引きずってしまったりします。

心理でも、感じることとその重要性は謳っています。
最終的には、体へ訴えかけるようなレッスンも紹介されていたりします。
でも、、、これと、、、私が行うウエイトトレーニングの、どこが違うのか???

と感じたのです。

うちでも、できない人は、過去や未来に思考が飛び散っています。
でもできたときは、、、今にフォーカスできていて。。。
うちでは、、、先ほども触れたように、、、、

「力で解決しなくても、いい」
「重さを受け、力を入れず、重りが下がることを受け容れる」
「でも、なぜだか、下がることを受け入れたほうが、下がりながら挙がってしまう」

それだけ、、、ものすごい達観というか、、、
でもこれは、、、「実感」しないと、わかりません。
今、このことを、実感しないと。。。

でも、、、思考は必ず、襲い掛かります。
「こんなに簡単で、、、いいの???」
「追い込んだ実感がないのに、、、いいの???」

そのときは、、、今、せっかく実感したことが、、、パーになっています。
でも、、、大事なのは、、、それも「認めること」
「そうかそうか、、、そういう気分なんだね。ムリもないよ」と受け容れる。

この瞬間、、、、「今」に「フォーカス」してしまうのです。

そうやってまた、次回のトレー二ングで「実感」するのです。
それの繰り返しです。
ただ、、、無理をして納得させようとする。これが一番よくありません。
頭で無理やり整理して、納得させようと。。。これが一番心身に良くない。

わかりやすくいいますが、、、

温泉に行けば、、、掲示板に「効能」が書かれてありますね。。。
その効能を先に読んでしまうと、、、実感が薄れます。
どっぷり浸かって、気持ちよさを実感することが先です。
でなければ、、、先入観で感じてしまうことになります。「今」に「フォーカス」できていません。

悩みの多くは、、、過去や未来から来る思考から襲ってくる、というのが、私の経験則です。
でも、襲ってきたときは、、、認めてあげる。「そうなってしまうのも、無理もないよ」
でもその瞬間、、、今にタイムスリップします。

「でも」
「いっつも」
「すべて」

このみっつの言葉は、、、魔法があると思います。でも良い魔法ではないと思います。
悩みも、、、「いっつも」じゃないはずですし、
不快なものも、、、「すべて」ではないはずです。
この感じになれば、、、今にフォーカスしやすいです。

「でも」は、思考からやってきます。「過去」や「未来」から襲ってきます。
あるいは「他人目線」「常識目線」からも。
「でも」を「じゃあ」「まず」に変えてみると、「今」に「フォーカス」しています。

重りを扱うのも、結局、、、温泉の効能の話と一緒のこと。
効能を知る前に、感じよう。味わおう。先入観を捨てて。
重さを受ければ、、、重りは下がるもの。
でも、、、下がるもの、を受け入れたその達観が、挙げてくれます。

頑張って挙げてしまうその心には、「ねばならない」という義務的思考。
先に温泉の効能を知ってしまって、頑張ってしまった例だと思います。
今を感じていない。だから、思考で頑張ってしまう。それが当たり前になる。
力んでる人は、、、自分が力んでることに気づかないものなんです。
だからこそ、、、今にフォーカスする、というのは、ひとつの魔法かもしれません。

「落ちながら、、、動ける」

闘わないのに、勝ててしまっている。その不思議な達観。それの繰り返しです。
その達観のために、私のウエイトトレー二ングがあります。
「こんなんで、、、いいのです」
「だから、、、恐ろしくやわらかくもなり、体も変わってくる」のです。

今、フォーカスしたその実感。
ファンタジーで、これでいいの???と思えた感じ。
それを笑うぐらいでいい。



無邪気な子供の心。。。



大人は、、、大切なものを、、、失いかけています。



でも、、、なくしてはいません。。。



忘れてただけです。。。



忘れたのなら、、、思い出したときから、また始めれば良い。



そもそも、、、「どのぐらいで自分が変わりますか???」というのが「思考」です。
「未来」から来た思考。過去の不安から来た思考です。
ところで、、、夢のある創作活動に、「ゴール」はあるでしょうか???
どこまでやったら「完成」、、、あるでしょうか???

私でさえも、、、もっともっと成長できると思っているし、若くいたいと思っています。
結果というのは、、、「忘れたころに、自然と訪れます」
いいえ、、、むしろあるていどの結果は、「どのぐらいで変わるか」を「考えなくなったとき」。

つまり、、、毎回毎回の「今」「フォーカス」してる「今」こそ、変われているのです。
そして、、、小さな「できた」を大きな「できた」と達観すること。
その繰り返しだと思います。

山登りでいうならば、頂上から見た自分、だと、これだけ頑張ったのに「まだまだか~」
頑張っても頑張っても、、、「まだまだだ」
でも、中腹で立ち止まり景色を見たとき、「あ、こんなにも登ったんだ(やったぁ!)」
その「今の達観」を「実感すること」。これに勝る薬もないと思えます。



もっとも、トレーニング時間だけがトレーニングではありません。
今を実感し、達観できることは、他にもいっぱいあるはずです。
それを、楽しむのです。

たとえば、、、「食事」や「カフェ」
たとえば、、、「会話」
たとえば、、、

そういうことも、必ず手助けになるはずです。
そして、過去や未来からの思考が襲い掛かり、とめようがなく堂々巡りになったとき、
浜田省吾 DANCE
こちらの歌がお薦めです。



あなたの成長が、どこまで行くのか、、、、



私は楽しみで仕方ないのです。



(追伸)ブログからパーソナルトレーニングの申し込みも可能になりました。
カテゴリー秘密の部屋より
料金も、新設定しています。継続頻度の高い方を優遇しています。
ようは、、、コンスタントに続けて欲しいのです。うまくいって欲しいから。





2016.12.14 私の格言


“できない理由を”探すのではなく、

“できる理由を”探すのです。





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・・・


重さが、挙げてくれるのです。
重りを受けるから、挙がるのです。

重りが自然と自分側へも来てくれるのです。
力が抜けているほうが、動けるのです。
落下に伴って浮力も発生するのです。
着いてる体には反力も拾えているのです。

落下すれば、浮くのです。
落下した重りは自分側へ来てくれるです。
力まないほうが、挙がるのです。



どこどこの筋力が弱いから。。。そこを強くしたい。。。
今よりももっと、、、筋力を強くしたい。。。
たいていはそういう理由でトレーニングを始めたりトレーナーに依頼したりするのでしょう。

でもスポーツをする感性があるなら、リラックスの重要性はわかるはず。
これは、一般フィットネス・健康志向で同じ。代償や犠牲ではなく、豊かさがありきです。
だからうちは「体の使い方」を重視してるのです。しかも「豊かなあり方」としての体の使い方です。

できない理由なら、いくらでも出てくるでしょう。探せば切がないでしょう。
どうしてか???
「考えるから」「思考だから」

でも、、、できる理由は、、、感じるものなのです。
感じるから、、、素直になれ、リラックスもでき、シンプルになるのです。
強いから動ける、のではありません。
動けるから、、、強くなるし機能もするのです。


動けない理由を筋力のせいにして、仮に鋼のような強さを手にしたとして。
あるていどは解決するでしょう。
でも、、、、それで芯が入るでしょうか???

芯がないまま鋼になる。これほどのぬか喜びはないと思います。
(体づくりを主体とするなら、それでも構いませんが・・・)
その芯でさえも、固めてしまったりしてるほどです。
しかも芯がない理由も「体幹の筋力」という始末。

だから、、、感じられないのです。力みすぎて。。。

できない理由を探せば、、、その心自体に、“芯”がありません。
ないものねだりになり、非現実的な思考が廻りに廻ります。
その創造力のすごいことすごいこと。。。



感じる、というのは、、、とても現実的なのです!!



でもその現実的なことから、、、思考では非現実的だと思えることが叶うのです。



私はいつも、、、指導では、、、できる理由を、探しています!!





今回は、、、力みたい人・固めたい人・頑張りたい人が対象ではなく、
そこに疑問を感じ、私みたいに脱力で挙げれる楽しさに価値を感じた方を対象にした内容。
脱力できた実用性に価値を感じる方を対象に。
心地よさや豊さに価値を感じ、人間的な努力をしたい方が対象。

ですので、力みがいけない理由とかは省きます。
そこにたどり着きたい人への内容になります。

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まず、そこに価値を感じたことを、認めてください!!褒めてください!!
今はまだ、力んでいても、いいのです。
でも、そう「行動」できたことを認めてください!!

行動といっても幅は広い。
力みが取れて解決できてなくても、
そう思えたことが、すでに行動です。

次に、、、実際に試してみた人もいるかもしれません。
あるいは開始から浅いクライアントさん。お客さんには直接言ってることなのですが、
これも大事。

自分が力んでいた、と気づいただけでも「大きい」
そうです。変わらなくても、気づくだけでも、、、大きいんです!!
気づいたというのは、何よりも第一歩。大きな一歩です!!
これを、認めてください!!

変わらない人。なぜ変わらないか???理由は簡単。
「(自分を)認めないから」

どうも「認めたら最後」みたいな「勝ち負け」になってしまう誤解があります。
でも、、、
逆に、思い切って、、、「認めてみる」と、、、「心が軽くなるんですよ」

でも、そこで止めてください!!「だからだめなんだ」は不要です。
いえ、、、心が軽くなるから、逆に「肯定的」になるもの。
「あ、、、、力んでたんだ!!そうかそうか・・・・」と思考が止まってくれるのです。

すると今度は、、、できたことの割合が増えていきます。
大いに認めてください!!でも失敗も、認めます。「そうかそうか・・・」と寄り添う。
そうやって、だんだん、理想に近づいていきます。

うまくいっても、認め、好転させる。
うまくいかなくても、認め、癒してあげる。

認めないから、、、変わらないのです。
かえって苦しむのです。
そして、認めるのは、負けを意味するのではありません。癒しと肯定を意味します。

・・・
・・・
・・・

さて、、、なかにはこういう人もいます。
いえ、、、こういう人のほうが多いはず。
「できた感じが体得できてないから、できてる・できてないがわからない」

これはひとことで、「感じ方が悪い」。でもこれこそ「認めてみる」のです!!
「そうかそうか。。。だったら仕方ないよねムリもないよね。。。」
じつはこれがいちばん、威力があります。

思考癖になるから「これでは解決にならない」と考えてしまうのです。
感じ方が悪いぐらい、「リラックスができていない」「力んでいる」のです。
だから、、、そのことを「認める」のです。「そこまで力んでいたんだね。そうかそうか」

認めたときに、悔しさではなく癒しになれば、リラックスの一歩になるでしょう。
認めたときに、諦めではなく癒しになれば、前向きになれます。
でも、、、悔しいことを認めてあげれば、、、癒しになります。
でも、、、諦めたい気持ちも認めてあげれば、、、じゃあ今は休んで、次!!と前向きにも。

ただ、、、認める、というのは、、、いついかなるケースでも、魔法のような気がします。

また、力む理由もさまざまです。
「きれいに動かさなければ。。。」とどこかで自分を縛っている。
「どこどこ関節を意識しなければ。。。」と同じく縛っている。
そういった過去の影響も大きい。でも当たり前になってしまって、気づけないのです。
そこから解決した方も多いです。

できる・できない、よりも、重さをリラックスして受ける。感じる。
まずはそこからなんです。
そこで余計な思考をするから、かばうような力みが起きます。

リラックス。そして、素直に今を感じること。
トレー二ング以外の時間でも、そこを意識して欲しいぐらい。
そうすることで、感度が磨かれ、認め方も一層良くなります。
「どっちに転んでも好転」が、加速する、という意味ですからね。


・・・
・・・
・・・


「私の技術」は、そういう過程で生まれたようなもの。
カタチや形式じゃない「私の技術」が。その進化でしかないのです。
もっともその「私の技術」は、「みなさんひとりひとりの技術」でもあるのです。

方向性としては、、、「心地よさを認めた結果」

つまり、、、自分に正直に「認めた」結果。

その「認め」によって、脱力だけではなく。求心という技術も生まれるのです。

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今回は、、、ほぼほぼ番外編です。
肩の力を抜いてご覧ください。

ただ、すっごく小さいことかもしれないけど、、、じつはすっごく響くことかもしれない。
逆に、すっごく大きなことかもしれないけど、、、でもあまりに身近でちっぽけなことかもしれない。

少し余談を入れます。

基本的に、、、私のスタンスは、、、支配被支配の関係を求めていません。

これまで一度も、、、強制したり命令したりはしてないはずです。
あくまで提案であって、自分はあくまで自分の気持ちを。それを選ぶのは相手次第。自由です。
自分はこう感じている。そういうものを伝えている。あとはそれを自由に翻訳すればいい。

しかしどこか、、、人の心をくすぐるものでもあると思う。
持論が理論化したように思えることであっても、それを見つけたのは私ではあるのだけれど、、、
でもそれは、、、ほんとうは、、、誰しも見つけられることであって、、、
それを見つけるお手伝いをしてるのが、私の仕事。

繰り返しますが、、、支配被支配の関係ではありません。共有だったり親密だったりします。
私は、、、学ぶことは、真似ることではない、と自分の中で断言しています。
だってそれじゃ、、、うわっつらしか学べないと思いませんか???カタチばかりで。。。

ほんとうにできる人っていうのは、、、教えないんですよね。
教える側が話す言葉の中に、聞き手が元々持っていた答えだったりするわけ。
だから、受け手も入っていきやすい。私もそういうものを選んでいます。
教える際の心持としては、きっとこうだと思う、、、「あたなこそ、答えを持ってるよ」

言い換えるなら、、、
この本や歌詞のなかに「“わたし”がいいたかったこと」をわかりやすく代弁してくれてて、、、
そういう響き方や引き込まれ方。




と、少し余談を入れました。でもこの説明こそ、、、後に続く内容に通ずるのです。



さて、その「心技体」という言葉。
どういうふうに神秘なのか???
これに気づいた人がいてたら、、、嬉しいな!!



どう神秘なのか???



それは、、、



「心」「技」「体」ってその漢字のなかにはね、、、



・・・・・・・・



「頭」って漢字がないんですね



・・・



「心」「技」「体」という漢字だけであって、



「頭」って漢字がないこと。頭技体じゃないってこと。。。



・・・



宙に浮いちゃったでしょうか???笑



少しインターバルを入れましょうか。。。
何なら深呼吸でもして。。。
それからもう一度上へスクロールするなり、、、して、、、もういちど、、、

今度は、文字を読むより、空想をイメージするのも良いでしょう。



・・・・



・・・・



話、続けましょう。



もしも、、、

「心技体」が「頭技体」だったら。。。



自分が直感で感じることとしては、、、、、



どこか“ぶれぶれ”じゃないか、、、って。



・・・



繰り返しますが、、、、学ぶは真似るではない、と私は思います。

自己を奪う、というか。どこか自分に責任を持てていない。それを他人に求めるのか、と。
それが、返答に困るような質問範囲が漠然とした質問に表れたりもします。
理解の順序を誤ってしまったりもします。

でもそれだけ、
何者かにおさえつけられてきた、自分で自分を押さえつけてたことで、
自己や自由を奪われたのでは???と思うと、いたわりの気持ちも沸いてきます。



ただ、、、結果的に真似てるようになることはありますよ。
だってその持論は、見つけた人だけじゃなく、
その人じゃなくても見つけられるシンプルなもののはず。自己があるのだから。。。



じゃあ、、、どうして、、、見つけられないのか???



「頭技体」になっているからではないでしょうか???




その先入観だったり、常識だったり、が、人としての感じる能力を奪ってるから。。。
そう私には感じるのです。つまり、、、自己が奪われるから。
でも私は、、、繰り返しますが、、、支配被支配の関係を好みません。
そこまでして、、、自分(の個性)を大事にしながら、相手(の個性)も大事にしたいからです。

ようは、、、相手の持っていた答え(自己)を引き出すサポート。



私のウエイトトレーニングは、、、これまでの常識を超えたものかもしれません。
でも体験した人は、、、不思議なファンタジーを味わいつつも、、、どこか受け容れやすいもの。
どこか強制めいたものがなく、それでいて、自己を大事にできる。

「自己を頼る」ためのサポートをしてるようなもの。それが私のトレーニングだと思う。
(注:「自己に頼る」だと、これもどこか、自己の独り歩きや暴走になると思う。それは困ります)
繰り返しますが、真似るや強制、せんせいがいうから、、、というなくした自己じゃなく、
その文章や歌詞に“わたし”の気持ちを代弁してくれるものがあって。。。。。。っていうか。




そして、、、心の重要性はたしかに言われます。
メンタルでも、頭だけのうわべじゃなく、心から変わることが大事でしょう。
心技体って、、、、ほんとうに、、、どこかこう、、、純粋(ピュア)な感じに思えて。。。



以上、、、私が感じたちいさなこと。



でも、ちいさいようで、、、かもしれないし、、、
でも、やっぱりちいさいことかもしれないけれど。。。





トレーニングに限った話ではなく、いろんなことにおいて、
「しなければいけないこと」として認識されてしまうものが多いような気がします。
トレーニングに関してもそう。そこまでの努力って、ほんとうに必要か???って思うのです。

我慢の美徳みたいになってしまって。。。

でも、その「しなければいけないこと」は、
ほんとうに「しなければいけないこと」なのでしょうか???
「してもいいし、しなくてもいいこと」だったりしないのでしょうか???

「してもいいし、しなくてもいい」



そういう気持ちから、、、純粋に「したい」「やりたい」っていう思いがわくんだと思います。
することに抵抗がなくなって、純粋に「したい」って思えます。
犠牲の心がないから、楽しく続けられます。
そういう「旨いプロセス」を刻めるから、かえって上達もします。

ここで誤解を払拭したいのですが、

上達するから楽しいんじゃなく、楽しいから上達するのです。
上達するために犠牲を払うこと、それを促進させる手法や考え方に、ものすごく違和感を感じます。
そういう人は、自らいばらを選んでしまい、そこを乗り越えることに達成感を感じます。
でも、また、次のいばらが、容赦なくやってきます。

楽しいと感じさせるもの。

情報が普及するのはいいのですが、手法ばかりが優先されて、人の心をないがしろにしてる。
運動でいうならば、やる前から色々「考えさせて」しまう。
そういうスタートからは、感じることができません。楽しい、と感じることができません。
楽しい、と思考してるだけであって、心から楽しめていません。

ウエイトトレーニングを指導する立場ではありますが、
何もすべての人にお薦めまではしていません。
ただ、、、こういう世界観もあるんだよ、と発信してるだけです、


挙がらなければいけない、とは一言も言ってないし、
「挙がっても良いし、挙がらなくても良い」のです。でもそれが、動作です。感じる動作です。
そういう気持ちから、挙がってしまうことにつながっていくし、

スクワットはたしかに、キングオブエクササイズ。ベンチプレス・デッドリフトとあわせてビッグ3。
でも、種目自体に意味があるのではなく、どうこなすのか、に意味があって、
バーべルカールだけで腕や肩や背中が軽くなって、(格闘技)シャドーの動きでキレまくった例もある。

種目やメニューという「しなければいけないこと」は、私にいわせてもらえれば、
「してもいいし、しなくてもいい」のです。
ただ、、、他のどの種目よりも全身が使えてしまうから、全身が変わっていくから、
「じゃあ、、、やろうか???」みたいになっていくわけなんです。

繰り返しますが、、、
「意志」は、「義務」から生まれません。
「意志」は、「感情」や「欲求」から生まれます。

ベースにあるのは、中庸な気持ち。
「してもいいし、しなくてもいい」
そういう「ニュートラル」な立ち居地から「計算のないほんとうの感情や欲求」がうまれ、
意志が目覚めるのだと思います。

たとえば、、、

バランスを取るために、腹筋背筋を鍛えましょう。。。とか、、、どうでもいいじゃない???
バランスを取ることこそ、「してもいいし、しなくてもいい」
それぐらいの「ゆるさ」が、整うことへとつながるぐらいです。

バランスこそ力は不要だし、
何でも筋力で解決させよう、とするその思考から解放させ、感じることを刻むべきです。
思考でならいくらでも作りだせる。それが今の情報社会でしょう。

でも、、、結局、、、というのが答えなんですから。。。

バランスはあくまで「揺らぎ」です。「動作の一部」であって、「固定」ではないのです。
多くが、ものごとを、「静止画像的に」捉えています。
しかし、運動は「ながれ」です。時間とともに立体的に作られるもの。

筋力さえつけば、、、
筋肥大さえすれば、、、

これも順序が逆です。動きの精度を悪くしてまでそうしてしまうのは、意志のない判断です。
強化の基本は、「筋力に頼らない動きでどこまで動かせるか」を磨くもの。
ようは、良い動きを磨きながら強化するもの。
筋力に頼った動きをすれば、そういう鍛え方をすれば、、、使えない体になるのはいうまでもありません。

ポンプやエンジンを大ききしてから動きを磨く???
一度落とした悪くした動きを、また整えなおすわけですか???
こういうことも、ああしなければ、、、と思考したから、意志を感じられなくなるのです。

ああしなければ、、、
こうしなければ、、、

その焦りを停止させ、リラックスしてみましょう。
それは、ほんとうに、「しなければいけないこと」なのか、問うてみるのです。
そして、しなければいけないものを解放させていきながら、望むものを選んでいけば、と思います。

「してもいいし、しなくてもいい」




「こいつ、苦手だな」と思ったその相手も、同じことを考えている。みたいな。
「この人、感じのいい人だな」って良い印象を感じたとき、相手も同じことを考えてる、みたいな。
そういうことは、音叉の振動のごとく、、、ですもんね。。。

また、そのときの気分如何では、感じ方も変わり、見た印象も変わります。
同じ言葉を受けたはずなのに、攻撃的に見えたり、逆に親しみに見えたりします。
そういう気分も音叉のごとく、、、にもなるでしょうから。

やはり、リラックスは、最強の薬だと思います。
つまづくときは、たいてい、、、どこかに力が入っています。
腕ががちがち、、、胸が苦しい、、、みぞおちのあたりが、、、

リラックスできてたとき、そういう感情でいるとき、思考も冴えます。
間違いなく、自己信頼が高い状態ではないか、と感じるのです。
呼吸ひとつでも変わります。
うちでいえば、、、なんとウエイトトレーニングで、リラックスが叶います。

感覚的で、感情を大事に。。。

それで大丈夫なの???
そう思う大人の方は多いでしょう。思考で感情を封鎖してるのです。
でも、だからこそ、、、判断基準がとても明確です。



「それが、、、好きか、嫌いか」



多くは、はじめこそそうだったかもしれませんが、
いつしかそれが以下のようにこう変わっていくのです。

「したほうがいいのでは???」
「しなければいけないのでは???」
「してはいけないのでは???」



でも、、、

「それが、好きなんですか???」

って問われたら、、、ぐきっと的を射抜かれた気がしませんか???




でもね、、、嫌いでもいいんですよ!!嫌いになっちゃいけない、なんて言ってません。
ただね、、、深層はもう嫌いで嫌で嫌で、、、なのに、表面上では好きなフリをすることが問題。
ようは、、、うまくできたから好き、、、ならば、できなければ好きではないってことでしょう???
ほんとに好きならば、、、「うまくできなくても好き」だと思いますよ!!



「うまくできない」
それを責める人もいます。そこで、うまくできない自分を責めたりしてませんか???
でもこういう人もいるでしょう。。。「それが向上心なのでは???」

でも、身体の反応は、素直な反応なんですよ!!

身体の調子だってそうでしょう???
乱れれば、素直にでるでしょう???
真っ先に、、、身体に!!正直に!!

それが正直な反応だと思って、「うまくできない」その反応を認めればいいのです。
そもそもそれは、身体の悲鳴でもあるからです。そんな動きは、いやだ!と。
そこで威力を発揮するのが、、、「それが、好きか、嫌いか」に素直に反応すること。

うまくできる、というその「基準」って、、、何でしょうか???

100%できることでしょうか???
カタチどおり正確に、、、ってことでしょうか???
そのカタチって、、、頭で考えたカタチって、、、本心からの理想ですか???

繰り返しますが、、、身体の反応は、正直です。
「したほうがいいのでは???」という本心を我慢させること。
そういう行動になってしまったことが、一番の原因だと私は感じます。

好きか嫌いか、

嫌いであったならば、その範囲のなかで、できることをやろうとします。
嫌だと認めないで、好きだと思い込ませたりして、「したほうがいいのでは」ではありません。
ですので、1%でも向上してたら褒めますし、
時間をかけてゆっくりムリしないようにやると思います。

また、好きであるならば、その好奇心から、発想も変わります。
「しなければいけない」ではありませんので、カタチよりも内容を重視するでしょうし、、、
その基準とする「できた像」そのものが、変わっていくことでしょう。
もちろん、、、できなくても好き、が基本ですから、、、自分へも褒め上手!!



ウエイトは、こんなふうに発揮義務をなくし、操作義務もなくし、自由でありながら、楽しく叶うもの。
自分を持ち、リラックスするからこそ、対人である「バーベル」を見ても、自分を見失わないのです。
だから、、、

力を、入れない
何かを、しない


それが好きな人の発想だということです。

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最後に、、、




「したほうがいいのでは???」

胸のあたりが苦しくなってきませんか???



「してもいいし、しなくてもいい」

どうです!!
こういうリラックスから、できた、という意味も一段違った意味を持ち、
できてない、にしても、また、前向きな意味を与えたりするのです。



ウエイトトレーニングっていうだけで、苛め抜くもの・苦痛を感じるもの、といったマイナス感情を浮かべる方も多いかもしれません。あるいは、トレーニングの上級者になれば、パンプアップといって、その痛みが快感になるようなプラス感情(?)をイメージするかもしれません。しかしうちらは、みてのとおり、苦痛ではなく、このようなプラスの感情を味わいながらやっています。

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結果を出すために、犠牲になる。我慢する。
でもその我慢からでた感情は、
偽りの感情で、本心の感情ではない、と思います。

いつしか我々の生活は、どこか時間にせまられていたり、生産性というベルトコンベアーに乗せられ降りることができなかったり、つらい・くるしい・いらいらする・不安になる・悲しくなるなどのマイナス感情に慣れるばかりか、我慢を強いられ、感情に蓋をせざるを得なくなる。、、、今、自分は、何がしたいんだろう???どうしたいんだろう???作り笑顔。引きつった笑顔。でもその我慢はいつか、思いも寄らないフラストレーションになって爆発する可能性だって。

トレーニングも、そういうものだと思っていませんか???

プラス感情といって、嬉しい・楽しい・うきうきするなどのものから、安心する・ほっこりする・ほのぼのしてきたなどのものもあります。ほんとうは、マイナス感情よりもはるかにいっぱい、プラスの感情を味わう機会が多いのです。しかし、ベルトコンベアーに乗せられた今の情勢が、大事な感情を奪っている可能性が高いと思います。ベルトコンベアーに乗せられ、惰性や義務をエンドレスに吐き出すかのような物事。それを受ける我々は、無抵抗で被害者意識が麻痺したさまになっていく。でも、焦りを取って、ひとつひとつ味わうことで、大切なことに気づいていくものだ、と思います。

トレーニングでいうならば、マニュアルに従うだけの「服従」で行うのではなく、自分が、自分を、自分で感じることが大事。まず、重りを扱って、そのポジションに来れば、軽く感じ、それが安心感になります。そこしかない、という動きになっていく。トレーナーについてもらってたら、それだけで安心感もあるでしょう。そして、いざ動いてみたら、あれ、こんなに快適に・・・・!!って楽しくなってきます。できたことが嬉しくなってきます。苦しいと思っていたものが、価値観が変わり、開けてきて、うきうきしてきます。負担も少なく、終えたら体も軽く感じられ、弛緩され、嬉しくて楽しくて、しかも気張ってないことで、ほっこりもしてきますし、気張らずに叶うことで、一段高い自分にもなれる。ようは、自己信頼です。

技術も、ねばらなないものではなく、「そこに来てしまうもの」「そうなってしまうもの」でもあるから、我慢した見返りじゃなく、やりながら試しながら、楽しめていく感じになっていきます。重りとの一体感。そうです、この一体感に、安心を覚え、満足を覚え、満たされていくのです。一体できないから、不安を覚え、「やってもやっても、まだ到達しない」。でもうちらは、山登りでいう「ゴールじゃなく、中継点で景色をみたときに、「あ、こんなにも登ってきたんだ」満足します。

1%の成功を見れることが、成功の秘訣だといわれます。たとえ99%失敗したとしても、その1%の成功を見れれば、100%の成功をみれたようなものだと。逆に、1%の成功ではなく、99%の失敗を見る人は、仮に99%成功してても、1%の失敗を見てしまうのです。そしてその1%の失敗を、あたかも100%の失敗のように捉えてしまいます。

いばらを歩くことやその美徳よりも、小さな満足を感じ、プラスの感情を拾っていくこと。
でもマイナスの感情がでたときは、我慢せず、吐き出したほうがいい。認めたほうがいい。
トレーニングは、不安だ。いいじゃないでしょうか???そう思っているんだ。それが癒しになります。
自分を癒すこと。感情と向き合うこと。いいえ、、、自分の感覚を自分で感じること。

そう、、、自分で自分の感覚を味わうこと。

これが、自分の心の住み家を自分で満たす意味になります。

すると、、、自分に正直になります。

感じ方が変わってきます。小さなプラス感情にも気づきやすくなります。

朝に窓から差し込んでくる日の光をあびて、気持ち良い。口にごくごく含んだお水がのどを潤し、体へしみこむ。シャワーとともに身体が目覚めていく。体を伸びすれば、気持ちよくなる。。顔を洗ったり、歯を磨いたり、、、通勤のなかでも、たとえば子供や散歩中のかわいい犬などすれ違うたびにほっこりしたり、たとえば花屋さんを通りすぎる際に目に入った花を見て気分がよくなったり、、、、何でもないことでも、いっぱいプラスの感情が感じられます。でも急いていたり、ながら動作だったりすれば、それさえも感じられず、機械のように自動化され、、、そうやって「感じずに」毎日すごしていけば、それが積み重なるのですから。。。でも、ひとつひとつを味わえば、そういう習慣になっていけば、そういうプロセスを刻んでいけば、それほど頑張らなくても、自然と変わっていくもの。

その「味わうこと」「感じること」を、
まさに、その、(私の)ウエイトトレーニングで、やっているのです。




話がグローバルになりましたが、、、決して大げさではありません。
子供の心みたいになれることが、、、豊かさだけではなく、運動効果を上げるコツだと感じるから。
少なくとも、、、うちらでは、、、そうです。類を見ない効果、と謳うのも、そこに秘訣があります。