バーベルダンベルなどの運動では、絶対的な基本があります。それは、、、「天井を向いた部位に効く」というか、ようは「高い部分からそれが起きる」のです。バーベルを担ぐスクワットでは、担いだことで動きが導かれます。「担げば、動ける」それが私の感覚です。足から上へ上へと逆らうものではないのです。高い部分から、それが起きる。

しかし、こういうふうに「バーベルをぶら下げる種目」の場合、わたしはこれまで、お客様への説得に悩みました。担いだときのようにバーベルが高い位置にあるのとは訳が違うような気がしたから。時々自分でも「感じることよりも、定義に無理やり当てはめて」しまってるのでは、と葛藤もありました。それでも私は、バーベルが低い位置にある「ぶら下げ」でも、「担いだときと一緒だ」と頑なに助言してきました。

それでよかったのです。それが正しかったのです

どういうことか、といいますと、
「バーベルによって下方(地面側)に引っ張られる」のではなく、
「天井を向いた高い部位から(高い部分から)落ちるんだ」と。

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繰り返しますが、バーベルを担いでいないので、バーベルが高い位置にはありません。こういうときこそ、下方へ吸い寄せられる感じは、NGです。これだと動きの順序を誤り、重力と調和しない動きになります。下手すれば「手挙げ動作」にもなりかねません。

「いちばん高い部分から。。。」

そうでなければ、手挙げになります。


なぜなら、、、バーベルをぶら下げてるのは、、、体の構造からも、
手ではなく、、、腕でもなく、、、もっと体の中心側だったりするからです。
平たくは、、、天井を向いた部位。そこからぶら下げているのです。


クリーンでシュラッグ動作(肩がすくむ動作)が入るのも、手挙げしない理想のメカニズム。
でもシュラッグ動作を意識するのではなく、天井を向いた部分から落ちる(ぶら下げる)こと。
それが基本。高い部分や根元の部分から重さを感じ取れるか。ようは「リラックス」が大事。

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ロウイング(背中の種目・漕ぐような動き))のような種目でも、
「どうしてぶら下げただけなのに、肩甲骨から始動する動きになっちゃうの???」
と不思議に思うかもしれませんが、根元や高い部分から重さを感知できてるから、です。
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手挙げするかしないか、という「カタチ」だけの修正なら、誰でも思いつきます。
プロは、、、根本を見抜くのです。
感じること。そこが基本です。



高い位置で担ごうが、
低い位置でぶら下げようが、
基本は同じ。




ウエイトトレーニングをする理由はさまざまです。競技力を高めたい。ダイエットしたい。体型を整えたい。筋肉をつけたい。機能的になりたい。運動不足解消やストレス解消。などなど。そして、たしかにやり方や考え方もいろいろあって、その用途に合わせたやり方や考え方を選ぶことになるのでしょう。

ここまでは普通の内容です。
しかし、こういったことを触れても、
本人の感じ方の良い悪いで、理解のされ方もがらりと変わってきます。

「やりさえすれば、結果が出る」みたいに考えていると、おそらく結果も出にくく、やってる最中もいまひとつ充実もしないでしょう。そこには「感じる」ということが欠如してるからです。「感じる」ということが欠如してると、自分で判断できてない、という意味ですので、「正しい判断力」が芽生えません。「耐えれば結果が出る」・・・これが、耐えても耐えても結果が出ない一番の理由だと思います。

では、どのように感じればいいのでしょう???トレーニングとは痛める要素。だから休養と栄養が大事。そう思いこんでトレーニング中は「いためること」「いじめること」を感じればいいのでしょうか???たしかに体は作られます。しかし、機能という面では間違いなく低下します。それは、やっててそういう動きを(自覚があるなしに関わらず)感じてるからです。でも、これも「感じ方が悪い」と、「その苦痛や違和感」に「疑問すら」感じません。歯を食いしばる。おなかを力ませる。筋肉が焼け付くようにパンプアップ。体の発達にはいいでしょう。しかし、機能では、そういう動きが刻まれます。耐える能力がぐんぐん身につきます。しかし、同時にいえるのは、「危機を感じる能力」や「判断力」が低下する。そう思います。

やる最中の実感が大事です。ようは、どう動いたのか、が大事です。それが、もっとも理に適う動きであることが、最重要だと感じます。重さが過負荷としてかかるウエイトトレーニング。それだけでじゅうぶん、体も発達はします。それだけではありません。「動作の記憶」もされていきます。良くも悪くも。「挙げなければいけない」という思考は、「挙がらない」という感情の表れです。

交感神経優位が悪いわけではありません。それが「ポジティブ」に働くか「ネガティブ」に働くか。そっちが大事です。やる気がみなぎる。楽しくて仕方ない。そういうときは「ポジティブ」になっています。だから、「しんどくなったら、休む」「おかしいと気づいたら、立ち止まる」などの判断ができます。このときは、自信を持って休んでいる。休むことを許している。だから、思い切り休めている。これは、ポジティブな副交感神経優位ということです。反対に「不安でやっていたら」、それはネガティブな交感神経優位。「抗う」「闘う」「我慢する」これらも一緒。だから休むときにも罪悪感を感じます。副交感神経優位への切り替えもしにくく、ストレスも溜まるでしょう。さらに今度は、覇気がなくなり、気力の低下。これはネガティブな副交感神経優位。脱力もこのように誤解されても困ります。

どうせ重りを扱うなら、私なら、「やる気がみなぎる」「楽しくて楽しくて」「不思議で面白くて」「快適で」という手法を選びます。不安の裏返しで動かすのではなく、「信じる気持ちを持って」やるのです。無意識に人の思うことは、無限です。でもその無意識が現実を生むこと。私のなかでは、重りの重さを、普通に受ければ、普通に挙がってくれる。理屈もなく動いてくれる。考えないほうが、その思考を捨てたほうが、自然体でうまくいく。そういうものだと思います。受け容れないから、筋力で戦ってしまうのです。だから、苦痛になる。硬くなる。実用性が生まれない。重りを受け入れ、自分と重りを信じきれば、重りが動きを運んでくれるもの。だから快適で、楽しくなる。でも充実する。温まる。ポジティブな意識が、ポジティブな結果を生むのです。そう感じます。

どういう気持ちで取り組むか。それによって、結果もがらりと変わるし、人としてのあり方や生き方まで影響を及ぼすと思う。あるいは、生き方どおりのやり方にもなってしまうのかもしれませんが。。。「結果のためなら手段をいとわない」という生き方なら、そういうやり方を選ぶのだと思います。でも生き方がそうであるように、「本人の素直な感じ方」が低く、「我慢」と「争い」で生きるので、おだやかではないでしょう。いつも負けてる気分で生きてるような気がします。私には耐え難いことです。感じ方を捨てて、ねばならない風の思考に走り、いばらをわざわざ選ぶのではなく、感じ方を大事にし、いばらを避ける判断力にしたがって行動したほうが、日々のプロセスに満ち足りるし、つまりそれは、日々勝ち癖を刻むことになり、いつまでも向上することを意味します。

うちは、結果もそうですが、ある会員様のことば「これまで習い事という習い事は1~2ヶ月も続かなかったけど、こんなにも長くしかも我慢がなく続いているのは、(このトレーニングが)初めてだ」など、プロセスを大事にしてるから、結果もでるし、しかも楽しく継続できる。我慢でそのばしのぎ風。それが悪いとは言いませんが、我慢のない、豊かで、それでいて好転していくやり方だって、あるんです。そういうものだと、トレーニングの世界を通じてですが、思います。気張らない。踏ん張らない。我慢しない。いばらを選ばすして、それは実現してもいい。罪悪感なく、叶って良い。




プレ編なのに後日になってしまいましたが。。。
本編では、買い物袋の話をしました。
重い水とか入れ袋。どうやって持ち上げますか???という話でした。

改めて、重力ってすごいんですよ。間違いなく。
「それを受け容れた人に、力をくれる」と言うのが私の実感です。
そこで、今、事後処理のようなプレ編を申しているのですが、

現場ではむしろ、こちらのほうを先に、やってもらってる感じです。
事務的に、お硬~く、文字だけで、左脳思考論理的に言うならば、
「戻す動きが基本で、挙げる動きが構成される」

でもこれ、、、右脳的感覚的ニュアンス実感で感じる話となれば、
感じ方の能力ひとつで理解の仕方もがらりと変わります。

ようは、「思考的義務感による力み」なのか「感受性と協調によるリラックス」なのか。

本編でいう買い物袋の話も、、、元は、こういうことから派生したのです。
「落下中に、体は、学んでいて、上昇も、同じように、してくれる」
見え見えの切り替えしではなく、やわらかいながれが、大事です。
「ワンテンポ早く」「すでに」「できている」・・・・・意識と無意識の領域でポジティブになっていく。

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ウエイトでいうならば、過去にも掲げましたが、改めて掲げます。
面倒なのでフロントスクワットにしました。
最初のクリーンが、自分でも気に入っています。
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どうでしょう???
速さ(動作速度)も自由自在って感じがしませんか???
これこそ、、、ほんとうの速度です。

静は動なり(初めから、動けている。すでに、ながれがある)
動は静なり(そのながれがあるから、自由自在に変化できる)
速く動かそう!と頑張るのではなく、切り返そう!と気張るのでもありません。
すでにそれは、、、叶っているのです。



もっというならば、、、
挙げるという動きは、存在しない
これが私の結論です。ですが、これも、、、感じ方ひとつです。



落下の仕方。ようは、落ち方ひとつです。
受け容れ方ひとつです。
受け容れずに事務的に落下するだけでは、こうはいきません。
大事なのは、、、感受性と感覚、実感です。



静は動なり 動は静なり 2017・2(本編)はこちら
【過去記事】動作速度について




いや、、、すっごく軽かったし、自分でも良かったほうだと思うんです。
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自身でもデッドリフトでは、良い時なんかは、、、
シャフトに触れただけでその触れた感触だけで自然と挙がってくれる感じがあって、
もちろん、力は入れないし、力が入れば動きが明らかに鈍りますからね。

何というか、、、人はそもそも「感覚で生きている」ような気がして、
大人の思考によって、「争ったり」「我慢したり」してしまうことで、
余計な操作法が生まれたような気がします。操作法でなければ罪悪感、みたいにも。

操作法自体を悪く言うつもりはありませんが、
思考で判断すれば、そうならざるを得ないのだと思いますので、
そういう意味では適切な判断だと思います。

でも、、、私のなかでは、素直に重さを感じただけで、それでじゅうぶんで、
あとは身体がなんとかしてくれないものだろうか???
それが、ほんとうの意味での体のしくみではないだろうか???そう思います。

「あ、重いな」(触れた感触)
「あれ、挙がったな」「動いたな」(不思議な感触)

重さを認めないその思考が、体を筋力で固まらせているように思えてならないのです。
「重い=闘う」となって、そうやって運動することで発散することもできるのでしょうが、
私には苦痛です。

だって、もっとシンプルでラクで心地良いやり方があるのに、わざわざ・・・・って思いますからね。

感じるためには、力みを捨て、思考を捨てる。
「感じよう・・・」じゃなく、構えないで自然に。。。。
「自然発生的」っていうんですか???

動画ではクリーンが間に入りましたが、
ジャンプしたような動きに映りますが、自身はそういう気はさらさらありません。
着きなおした感じ???重さを感じなおした感じ???でしょうか???

重力が鉛直落下するのは、承知のこと。
でもこれこそ、、、「承知」なんですから、、、意識しなくても、、、って話です。
それが、、、感じるというか、自然発生的というか。

ただ、、、落ちるというだけで、動きやすく、挙がりやすくなる、というのは、
実感がすべてだと思います。
その実感を、わがパーソナルトレーニングで行っています。

そういう動きで運動すれば、、、体のコンディションは、、、どうなっていくでしょうか???
スポーツなどの実用面でどうなっていくでしょうか???
ぜひわがパーソナルで味わって欲しいと思います。




こういうことを書くとき、申すとき、ようは、自分が成長できたとき、
その嬉しさはあるのですが、
同時に感じるのは、、、、、、、、、、

半分はおわびの気持ち、半分はわくわくした気持ち。
まあ、より良くなる、あるいはもっとシンプルになっていく、と解釈ください。



硬さに気づいたんですね。。。スナッチやクリーンとかで。
結論はそういうことで、今までやってきたスクワットとか、落ちることが大事で、
求心はね、、、案外「二の次」って話になるんです。。。ほら、、、言い憎い。。。笑。



うちははじめてのお客様にはたいていやってもらってること。
だいたい、以下の動画にあるようなこういうことをやってもらいます。

動画では「剣玉」を使い、糸の張りを一定に保ったまま上下させただけ。
力は入れず、糸の張りが乱れないよう、鉛直を保とうとします。
そしたら???持った左腕だけが???

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軽くなっているんです。右腕よりも遥かに。。。
動画では撮影してませんが、右腕も同じようやってみると、、、
右腕もちゃんと、、、軽くなってて、左右とも同じぐらいかる~くなってるんです。

(現場では、重りを使ったり、水の入ったペットボトルを使うこともあります)



記事をひとつ削除したのですが、その削除した記事にあった動画。
重りさんをこっち側へ引き寄せてやってみたんですね。。。
たしかに挙がりやすかったんですよ。。。しかし、、、、

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終えたあと、、、あろうことか、、、腕がさほど軽くなってない。。。
けんだまのときと比べたら、ぜんぜん、、、硬かったんですね。。。

そこで、、、

じゃあ、、、原点に還って、、、、鉛直を受けて、落ちて、求心を捨てて。。。
そしたらこれがまた案外すこすこ軽く挙がってくれまして。。。
終わったあと、腕を回すと、、、、すっごく軽くなってたんですね!!

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ふたつのスナッチ動画、
動作もやっぱ、後者のほうが自然で、やわらかい。
やってても、窮屈感がなかったし、、、自然と求心もしてた気もする。



落ちること。
重さを受けて、感じること。
たったこれだけなんですね。。。

そこへ歩み寄ろう、としてしまうのは、
もちろん歩み寄らず離れていてはいけませんが、、、
歩み寄りこそ、、、しないぐらいの自然さ。鉛直を感じることに実直であること。

終わってみれば、、、

やっぱシンプル。。。



自虐の気分もあるが、、、
でもまたこれで、、、一段成長できました。
私でも、こういうことはありますし、指導者なら変化は「するもの」です。

シンプル化という大きな変化になりました。
いえ、、、変化しない変化というか。。。
ま、、、感じ方が良くなったことで、余計なものがまたひとつ、、、剥がれ落ちた感じ。

考えちゃ、、、だめですね、、、笑。感じることを阻害しちゃうから。。。



しかし、、、



改めて、、、



思い知らされましたね、、、



重力って、すごいですよね。。。






いつもは本業ではないクリーンやスナッチが中心でしたが、
今日は、本業のデッドリフトだけの動画です。90kgでしたが。。。
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たしかにたかが90kgですけど、
いつもの動画(60kgか70kg)と同じ動きだということを見て欲しかっただけです。
不思議でしょう???

やってて私も不思議なんです(笑)

いえ、、、この不思議感が、、、やめられないのです(笑)

ケガもなく、終わった後にすっごく軽くなることも、わかるでしょう???(笑)



今までは、どう感じていたのか、どう感じるべきか、とかを書いてしまった気がしたのですが、
それは、良くないことです。そう思いました。
だってやってる本人は、、、別段、、、感じようとかしてないわけです。
実際指導中、、、見本をやってみてから、答えをいうぐらいです。

何が言いたいのか、というと、



「感じること」こそ、「結果だ」ということ。



言われてみれば、当たり前ですよね。。。
でもその時点で、すでに、やらされ感になっていたり、力で操作しようとしたりします。
「どう動かせば良いのか」という「情報」が欲しい???



でも指導者の立場から、、、それがいちばんいけないんだと思います。
私はデッドリフトなどウエイトトレーニングをやる際、、、その気持ちはだいたいこんな感じ。
それは、、、



「どれどれ・・・・・」



力を入れず、自然体。重りと正面から向き合う。ただそれだけです。
「どれどれ・・・・」
なんです。



だから、、、重さの感じ方がわかり、調和の仕方もわかってくるのです。
構えたり、闘ったり、過剰に防御したりせず、
「どれどれ・・・・・」



最低限に必要なことは、「力を入れないこと」と「重りに近づくこと」
あとは「どれどれ・・・・」じゃないでしょうか???
結果がついてきます。その結果が「等速」であったりします。



「どれどれ・・・・」



その感じ方を、楽しみましょう。。。




ウエイトトレーニングに関して、、、私が個人的に思うこと。
それは、、、「技術は、幸運にも、、、やってくるものだ」ということ。

戦わず、力を入れずに、重さを受け容れれば、挙がってくれるし、
その重さを受け容れるために、重りに近づきたいのですが、
その歩みよりは、、、バーべル側からこっちに来てくれるものだ、ということ。

いつもの動画より10kgアップ。でも一緒でした。
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技術を追い求め「ねばならない」だとすると、
「その力み」との「バランス」を取るように、「何かの代償」がついてまわる。
バーベルを下手に自力でひきつければ、バランスを乱し、後方に転等する危険もある。

でも、バーベルから自分側へ来てくれることで、
結果的に、バーベルを体で前後から挟み込める感じになってくれる。
「体-バーベル-体」というふうに。

でもこれを自分で強要してバーベルを前後から挟み込もうとしたら、力みます。
そうではなく、技術に支配されないリラックスが、自然に技術を作る。
リラックスと自然にというバランス。

ようは、、、「バランス関係」なんだ、と。

これまで述べてきたように、
頑張って力んで戦ったとしても、それに見合うバランスがもれなくついてくる、ということ。
筋力で戦って勝っても勝っても、、、ケガや(満たされない)不安などがついてくる。

幸運にも、、、
戦わず、抱えていたものを手放すようにしたそのバランスに見合う結果になったのが、
うちのやり方だと思う。「手放すこと」と「すごい魔法」との「バランス関係」なんです。



スターウォーズじゃありませんが、、、



「フォースの力を信じよ」とまではいいませんが、、、笑



抱えていたものを手放せるほどの「自分がある」「自分に気づく」
そういう豊かなものを、これからも自分に築いていき、
発信し、伝えていきたい。



そのフォースの力(笑)とやらを信じるためにも、活かすためにも、
過去の自分のパターンを変える必要があります。
苛め抜く(犠牲・崇拝)ことをやればやるほど、自分の価値が下がり、格差が広がる。
ようは、頑張らずにうまく人との差がどんどん広がる。これもバランス関係。

その過去の負け癖のパターンから手放すには、我慢から手放すこと。
常識目線ではなく、自分の感じ方を肯定すること。うまくいってもいいだん、と。
そのために、、、過去の自分のパターンを変える。いえ、過去のことを肯定すること。

いっぱい苦しんだ。。。よく頑張った。。。持ちこたえた。。。もう充分です。。。

うまくいく相手への憎しみじゃなく、自分へ向けたいたわる気持ち。
でもそれが、ウエイトトレーニングの技術へつながるし、
それが、、、さまざまな豊かさへつながっていくと思う。

自分を肯定できるようになる。

【関連記事】
幸運体質の作り方
幸運体質(別館)力みが取れない人へ






2017.01.15 道(どう)
武道や相撲道みたいに、
私個人的には、ウエイトトレーニングにも道(どう)があっていいと思うひとりです。
これを記事にしようと思ったきっかけは、

先日相を見ていて、ゲストのさだま○しさんがおっしゃったことに一部共感することがあって。。。
相撲って、勝ってもおおはしゃぎせず、敗者も思いやる心もある、と。
すべてに共感したわけではないんです。ただ、私がいいたいのは・・・・・・・・。




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ウエイトでいうと、重りが60kgだとして、
挙げたいなら、60kgを超える力で勝たなければ挙がらない。
逆に60kg未満の力だと、挙がらない。

頭で考えたらそうです。あるいは力みで考えたらこうです。
つまり、相手に勝つか負けるか。負けたならもっと力を鍛える、というふうに。。。
ですが上の動画を見て、何か感じませんか???

ましてやクリーンです。瞬発力ですので、
60kgどころか、もっと大きな出力をしないと「高速」で「爆発的に」挙がってくれません。
でも動画を見て、、、何か感じませんか???

・・・・
・・・・
・・・・

勝つか負けるか。
正しいか間違ってるか。
全部か無か。
成功か失敗か。

でもほんとうにあるのは、、、そういう1刀両断ではなく、ただの事実だけ。
私は少なくとも、、、そういう思考ではなく、
その事実(重りがあるという)を感じただけであって、、、



0kgに限りなく近い脱力で、挙がってしまう。



ようは、、、相手にたいして戦ってないのです。
自分のことに、一生懸命になっているのです。
自分でその事実を感じること、自分がリラックスすることとかに集中してるというか。。。



だから、はじめから勝ちも負けもないし、成功も失敗もない。一刀両断ではないんですね。
だからこそ、見た目は大勝(おおがち)してるように映ります。
でもその心は、、、、(略)、、、、ということなんです。

繰り返しますが、、、、初めから、勝ちも負けもないのです。勝者も敗者もいないのです。
ただ、結果や事実があるだけです。私でいうならば、あっさり挙がってしまったこと。

でも、一刀両断思考になれば、、、戦うことになります。力んで、傷ついて。。。
勝った喜びと同時に、敗者をいたわることが、できるでしょうか???
あるいは勝たねばいけないというプレッシャーです。楽しくはないし、自分がだせない。
負けたらかっこ悪い。。。これまたプレッシャーです。。。

ほんとうは、、、どういう気持ちで挑むべきか。。。

それを「ウエイト」が教えてくれてるように思えてならないのです。



ですので、究極をいうと、、、

挙がらなくてもいいのです。
戻す動きだけでも、、、すばらしいやり方にもなるし(粘ったネガティブレップじゃなく)
それと向き合い、自分が調和しただけで、、、立派なウエイトです。

挙がってもいい。挙がらなくても良い。
その中庸な気持ちが、挙がってしまったを生んだりもしますし、
挙がらずに感じ取る、調和するだけでいい。それは、失敗でも負けでもないのです。

それが究極です。挙がってなくても大勝してるようにさえも映ってしまうほどの。。。

と、余談でした。


・・・
・・・
・・・

思うんです。そういう大勝をしてると、自分のことを肯定できるようになるものです。
それができないでいる人を見ると、自分のことのように感じたりもするものです。
自分への肯定は、相手への肯定にもなる。それが、共感というものかもしれません。

嬉しい感情を出すことは、悪いことではないと思っています。
でもそれは、、、相手に打ち勝ったものじゃなく、自分の達成感に幸福を感じて、のこと。
相手への敬意を忘れてはいけないんだと思います。

そして、、、スポーツにしろトレーニングにしろ、
打ち勝つことを目的に、計算で思考で論理で片付ける前に、
こういうスピリッツを磨いたほうがいいのでは???と思えてならないのです。

・・・
・・・
・・・

また、力んでは結果がでない、と考えるのではなく、
おそらくそういう思考が義務感になって、
かえって自分に負けたりして力んでしまいます。

「勝つか負けるか、でやってるんじゃない」
「自分に一生懸命になるために、やってるんだ」
「自分のために、やってるんだ」

という気持ちも、大事だと思います。

頑張ったけど癒しになった、という運動効果であったり、
勝ったけど、敗者をいたわることにもつながったり(初めから勝ちも負けもないのですし)、
にもなるのかもしれない。

感情を出さない相撲(のしきたり)に、これまで私も疑問に感じたりしていたんですが、、、、
自分のウエイトと照らし合わせれば、、、
少しだけ通ずる部分を感じたのでした。




私の動きです。完成すれば、あなたの動きにもなります。真似じゃなく、あなたの脱力に。

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今となっては、、、私の場合は「力が抜けるのが当たり前」になっていて、
「信じきっている」というか、「信じる信じないのレベルを超えている」「当たり前レベル」。
電気が流れていて、コンセントに差し込めば器機が使えるのが普通であって、
いちいち信じる信じないという目線で確かめたりはしないでしょう。というレベルのようで。

でも、、、普通は、、、そうはいきません。

一番のやり方は、、、「リアルに今、感じること」「奇跡やマジックを体で楽しむこと」です。
でも、、、それでいまくいっても、後々力んでしまう依存。
そうやって行ったり来たりを繰り返し観念をしていくから、できていくのですが、、、

そのやり方を活かすためにも、、、幸運体質というのがキーワードになります。

力が抜けることで、感じられます。でも抜けない人。今できても後日力んでしまう人。
(最終的には身体が脱力を覚えてしまうのですが。。。。。)
そういう人へは、「自分を肯定する」ということが鍵になります。そう思います。

・・
・・
・・



力むことで、、、自分を守ってたんですよね。



・・
・・
・・


すっと入っていきませんか???

正しいか間違ってるか、はいいのです。
それは力んだ思考の仕業です。
それより自分を肯定するかどうか。肯定感を、実感できたかどうか。



「力を抜け、入れるな」
たしかに感じられます。それでうまくいくこともある。
でもそういう人は、自分を肯定しています。純粋で余計なものをくっつけていません。

しかし多くが、、、自分を否定している。
余談ですが、言い訳が多いのも、自分を肯定できず否定してるから。自分を愛していないから。
ミスった自分をいとおしく思えてないから。。。ミスこそ肯定することで、改善になるのです。

正しいか間違ってるかはいいとして、まずは肯定してみる。
「力むことで、自分を守ってきた」
「戦うことで、自分を守ってきた」
「そうするしか、自分にはなかったんだ」

あと、きつかった。しんどかった。なども認めてあげたり、、、
それでも今までなんとかやってこれたんだ、と肯定してあげたり、、、
正誤の「思考」というものさしじゃなく、いたわる「感情」というものさしで見れたら。。。




新しい自分を感じることも、、、、
つまづいてしまったときの立ち直りにも、、、



スタートは、、、
自分を肯定することかもしれませんね。。。





自分を否定してる状態で、脱力したら、誤った力の抜き方にもなるし、
そうなることまで思考するから、かえって脱力できないのです。
真似事で抜くだけでは危険ですし、理想の動きや調和の取れた動きはまず実現しないでしょう。

でも、どの人も本来、子供の心を持っているはず。。。(ウォルトディズニーいわく)

うちのお客様でいえば、、、大人を残して子供らしさが引き出されて豊かになっていってます。



“視野が狭い”と書かれた通信簿(正しい愛し方と受け容れ方で私が救われた日)



力を入れて頑張るもの???
筋力を鍛えるもの???
筋力を使いやすくするもの???

私は、、、ウエイトトレーニングはそういうものではない、と言い切ります。
機能とは、、、筋力に頼らないこと。頼らないことで機能させるもの。解放させるもの。

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動画では、最後にクリーンを持ってきました。これには意図があります。

クリーン以外の普通のウエイトでは、バーベルをすっと持っています。力を入れないことで、素直に重力を感じられます。「重いんだ」を認められます。じゃあ、、、その「重いんだ」という「落下」に「乗り込んでしまう」ことで、かなりの脱力とうまい動作が実現します。力を入れないことで、重さを感じ、受け容れられることで、挙がっていきます。このときもかなりの脱力です。

しかし、最後のクリーンでは、、、
その脱力をさらに凌駕してしまう脱力と宇宙感ある挙がり方が実現します。
重力すら解放され、バーから手が離れんばかりの勢いなのに、挙がってしまう。
もし逆に「ぐっ」と握ったり、腹に力が入ったりすれば、このような動きにはなりません。

ただ、、、普通のウエイトでは、重力を感じるべきです。
自己本位な力の抜き方は、危険ですし、かえって力みの原因にもなる。
クリーンでさえも、結局は重力に乗り込めているから、重力から解放された感じになる、と思います。
でも、、、「重力に乗り込む」という意識ではなく、「脱力」し、重さを感じれば、「乗り込める」もの。

「乗り込もう」とする「原因」ではなく、「乗りこめた」という「結果」
でなければ、、、その「乗り込む」は、「力み」ですから。



基本は、、、力を入れない。リラックス。
それが「感じる」ことを生み、「受け容れ」を促し、「適応」と「調和」が動きを実現する。
そう今では感じています。