こういうことを書くとき、申すとき、ようは、自分が成長できたとき、
その嬉しさはあるのですが、
同時に感じるのは、、、、、、、、、、

半分はおわびの気持ち、半分はわくわくした気持ち。
まあ、より良くなる、あるいはもっとシンプルになっていく、と解釈ください。



硬さに気づいたんですね。。。スナッチやクリーンとかで。
結論はそういうことで、今までやってきたスクワットとか、落ちることが大事で、
求心はね、、、案外「二の次」って話になるんです。。。ほら、、、言い憎い。。。笑。



うちははじめてのお客様にはたいていやってもらってること。
だいたい、以下の動画にあるようなこういうことをやってもらいます。

動画では「剣玉」を使い、糸の張りを一定に保ったまま上下させただけ。
力は入れず、糸の張りが乱れないよう、鉛直を保とうとします。
そしたら???持った左腕だけが???

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軽くなっているんです。右腕よりも遥かに。。。
動画では撮影してませんが、右腕も同じようやってみると、、、
右腕もちゃんと、、、軽くなってて、左右とも同じぐらいかる~くなってるんです。

(現場では、重りを使ったり、水の入ったペットボトルを使うこともあります)



記事をひとつ削除したのですが、その削除した記事にあった動画。
重りさんをこっち側へ引き寄せてやってみたんですね。。。
たしかに挙がりやすかったんですよ。。。しかし、、、、

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終えたあと、、、あろうことか、、、腕がさほど軽くなってない。。。
けんだまのときと比べたら、ぜんぜん、、、硬かったんですね。。。

そこで、、、

じゃあ、、、原点に還って、、、、鉛直を受けて、落ちて、求心を捨てて。。。
そしたらこれがまた案外すこすこ軽く挙がってくれまして。。。
終わったあと、腕を回すと、、、、すっごく軽くなってたんですね!!

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ふたつのスナッチ動画、
動作もやっぱ、後者のほうが自然で、やわらかい。
やってても、窮屈感がなかったし、、、自然と求心もしてた気もする。



落ちること。
重さを受けて、感じること。
たったこれだけなんですね。。。

そこへ歩み寄ろう、としてしまうのは、
もちろん歩み寄らず離れていてはいけませんが、、、
歩み寄りこそ、、、しないぐらいの自然さ。鉛直を感じることに実直であること。

終わってみれば、、、

やっぱシンプル。。。



自虐の気分もあるが、、、
でもまたこれで、、、一段成長できました。
私でも、こういうことはありますし、指導者なら変化は「するもの」です。

シンプル化という大きな変化になりました。
いえ、、、変化しない変化というか。。。
ま、、、感じ方が良くなったことで、余計なものがまたひとつ、、、剥がれ落ちた感じ。

考えちゃ、、、だめですね、、、笑。感じることを阻害しちゃうから。。。



しかし、、、



改めて、、、



思い知らされましたね、、、



重力って、すごいですよね。。。






いつもは本業ではないクリーンやスナッチが中心でしたが、
今日は、本業のデッドリフトだけの動画です。90kgでしたが。。。
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たしかにたかが90kgですけど、
いつもの動画(60kgか70kg)と同じ動きだということを見て欲しかっただけです。
不思議でしょう???

やってて私も不思議なんです(笑)

いえ、、、この不思議感が、、、やめられないのです(笑)

ケガもなく、終わった後にすっごく軽くなることも、わかるでしょう???(笑)



今までは、どう感じていたのか、どう感じるべきか、とかを書いてしまった気がしたのですが、
それは、良くないことです。そう思いました。
だってやってる本人は、、、別段、、、感じようとかしてないわけです。
実際指導中、、、見本をやってみてから、答えをいうぐらいです。

何が言いたいのか、というと、



「感じること」こそ、「結果だ」ということ。



言われてみれば、当たり前ですよね。。。
でもその時点で、すでに、やらされ感になっていたり、力で操作しようとしたりします。
「どう動かせば良いのか」という「情報」が欲しい???



でも指導者の立場から、、、それがいちばんいけないんだと思います。
私はデッドリフトなどウエイトトレーニングをやる際、、、その気持ちはだいたいこんな感じ。
それは、、、



「どれどれ・・・・・」



力を入れず、自然体。重りと正面から向き合う。ただそれだけです。
「どれどれ・・・・」
なんです。



だから、、、重さの感じ方がわかり、調和の仕方もわかってくるのです。
構えたり、闘ったり、過剰に防御したりせず、
「どれどれ・・・・・」



最低限に必要なことは、「力を入れないこと」と「重りに近づくこと」
あとは「どれどれ・・・・」じゃないでしょうか???
結果がついてきます。その結果が「等速」であったりします。



「どれどれ・・・・」



その感じ方を、楽しみましょう。。。




ウエイトトレーニングに関して、、、私が個人的に思うこと。
それは、、、「技術は、幸運にも、、、やってくるものだ」ということ。

戦わず、力を入れずに、重さを受け容れれば、挙がってくれるし、
その重さを受け容れるために、重りに近づきたいのですが、
その歩みよりは、、、バーべル側からこっちに来てくれるものだ、ということ。

いつもの動画より10kgアップ。でも一緒でした。
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技術を追い求め「ねばならない」だとすると、
「その力み」との「バランス」を取るように、「何かの代償」がついてまわる。
バーベルを下手に自力でひきつければ、バランスを乱し、後方に転等する危険もある。

でも、バーベルから自分側へ来てくれることで、
結果的に、バーベルを体で前後から挟み込める感じになってくれる。
「体-バーベル-体」というふうに。

でもこれを自分で強要してバーベルを前後から挟み込もうとしたら、力みます。
そうではなく、技術に支配されないリラックスが、自然に技術を作る。
リラックスと自然にというバランス。

ようは、、、「バランス関係」なんだ、と。

これまで述べてきたように、
頑張って力んで戦ったとしても、それに見合うバランスがもれなくついてくる、ということ。
筋力で戦って勝っても勝っても、、、ケガや(満たされない)不安などがついてくる。

幸運にも、、、
戦わず、抱えていたものを手放すようにしたそのバランスに見合う結果になったのが、
うちのやり方だと思う。「手放すこと」と「すごい魔法」との「バランス関係」なんです。



スターウォーズじゃありませんが、、、



「フォースの力を信じよ」とまではいいませんが、、、笑



抱えていたものを手放せるほどの「自分がある」「自分に気づく」
そういう豊かなものを、これからも自分に築いていき、
発信し、伝えていきたい。



そのフォースの力(笑)とやらを信じるためにも、活かすためにも、
過去の自分のパターンを変える必要があります。
苛め抜く(犠牲・崇拝)ことをやればやるほど、自分の価値が下がり、格差が広がる。
ようは、頑張らずにうまく人との差がどんどん広がる。これもバランス関係。

その過去の負け癖のパターンから手放すには、我慢から手放すこと。
常識目線ではなく、自分の感じ方を肯定すること。うまくいってもいいだん、と。
そのために、、、過去の自分のパターンを変える。いえ、過去のことを肯定すること。

いっぱい苦しんだ。。。よく頑張った。。。持ちこたえた。。。もう充分です。。。

うまくいく相手への憎しみじゃなく、自分へ向けたいたわる気持ち。
でもそれが、ウエイトトレーニングの技術へつながるし、
それが、、、さまざまな豊かさへつながっていくと思う。

自分を肯定できるようになる。

【関連記事】
幸運体質の作り方
幸運体質(別館)力みが取れない人へ






2017.01.15 道(どう)
武道や相撲道みたいに、
私個人的には、ウエイトトレーニングにも道(どう)があっていいと思うひとりです。
これを記事にしようと思ったきっかけは、

先日相を見ていて、ゲストのさだま○しさんがおっしゃったことに一部共感することがあって。。。
相撲って、勝ってもおおはしゃぎせず、敗者も思いやる心もある、と。
すべてに共感したわけではないんです。ただ、私がいいたいのは・・・・・・・・。




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ウエイトでいうと、重りが60kgだとして、
挙げたいなら、60kgを超える力で勝たなければ挙がらない。
逆に60kg未満の力だと、挙がらない。

頭で考えたらそうです。あるいは力みで考えたらこうです。
つまり、相手に勝つか負けるか。負けたならもっと力を鍛える、というふうに。。。
ですが上の動画を見て、何か感じませんか???

ましてやクリーンです。瞬発力ですので、
60kgどころか、もっと大きな出力をしないと「高速」で「爆発的に」挙がってくれません。
でも動画を見て、、、何か感じませんか???

・・・・
・・・・
・・・・

勝つか負けるか。
正しいか間違ってるか。
全部か無か。
成功か失敗か。

でもほんとうにあるのは、、、そういう1刀両断ではなく、ただの事実だけ。
私は少なくとも、、、そういう思考ではなく、
その事実(重りがあるという)を感じただけであって、、、



0kgに限りなく近い脱力で、挙がってしまう。



ようは、、、相手にたいして戦ってないのです。
自分のことに、一生懸命になっているのです。
自分でその事実を感じること、自分がリラックスすることとかに集中してるというか。。。



だから、はじめから勝ちも負けもないし、成功も失敗もない。一刀両断ではないんですね。
だからこそ、見た目は大勝(おおがち)してるように映ります。
でもその心は、、、、(略)、、、、ということなんです。

繰り返しますが、、、、初めから、勝ちも負けもないのです。勝者も敗者もいないのです。
ただ、結果や事実があるだけです。私でいうならば、あっさり挙がってしまったこと。

でも、一刀両断思考になれば、、、戦うことになります。力んで、傷ついて。。。
勝った喜びと同時に、敗者をいたわることが、できるでしょうか???
あるいは勝たねばいけないというプレッシャーです。楽しくはないし、自分がだせない。
負けたらかっこ悪い。。。これまたプレッシャーです。。。

ほんとうは、、、どういう気持ちで挑むべきか。。。

それを「ウエイト」が教えてくれてるように思えてならないのです。



ですので、究極をいうと、、、

挙がらなくてもいいのです。
戻す動きだけでも、、、すばらしいやり方にもなるし(粘ったネガティブレップじゃなく)
それと向き合い、自分が調和しただけで、、、立派なウエイトです。

挙がってもいい。挙がらなくても良い。
その中庸な気持ちが、挙がってしまったを生んだりもしますし、
挙がらずに感じ取る、調和するだけでいい。それは、失敗でも負けでもないのです。

それが究極です。挙がってなくても大勝してるようにさえも映ってしまうほどの。。。

と、余談でした。


・・・
・・・
・・・

思うんです。そういう大勝をしてると、自分のことを肯定できるようになるものです。
それができないでいる人を見ると、自分のことのように感じたりもするものです。
自分への肯定は、相手への肯定にもなる。それが、共感というものかもしれません。

嬉しい感情を出すことは、悪いことではないと思っています。
でもそれは、、、相手に打ち勝ったものじゃなく、自分の達成感に幸福を感じて、のこと。
相手への敬意を忘れてはいけないんだと思います。

そして、、、スポーツにしろトレーニングにしろ、
打ち勝つことを目的に、計算で思考で論理で片付ける前に、
こういうスピリッツを磨いたほうがいいのでは???と思えてならないのです。

・・・
・・・
・・・

また、力んでは結果がでない、と考えるのではなく、
おそらくそういう思考が義務感になって、
かえって自分に負けたりして力んでしまいます。

「勝つか負けるか、でやってるんじゃない」
「自分に一生懸命になるために、やってるんだ」
「自分のために、やってるんだ」

という気持ちも、大事だと思います。

頑張ったけど癒しになった、という運動効果であったり、
勝ったけど、敗者をいたわることにもつながったり(初めから勝ちも負けもないのですし)、
にもなるのかもしれない。

感情を出さない相撲(のしきたり)に、これまで私も疑問に感じたりしていたんですが、、、、
自分のウエイトと照らし合わせれば、、、
少しだけ通ずる部分を感じたのでした。




私の動きです。完成すれば、あなたの動きにもなります。真似じゃなく、あなたの脱力に。

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今となっては、、、私の場合は「力が抜けるのが当たり前」になっていて、
「信じきっている」というか、「信じる信じないのレベルを超えている」「当たり前レベル」。
電気が流れていて、コンセントに差し込めば器機が使えるのが普通であって、
いちいち信じる信じないという目線で確かめたりはしないでしょう。というレベルのようで。

でも、、、普通は、、、そうはいきません。

一番のやり方は、、、「リアルに今、感じること」「奇跡やマジックを体で楽しむこと」です。
でも、、、それでいまくいっても、後々力んでしまう依存。
そうやって行ったり来たりを繰り返し観念をしていくから、できていくのですが、、、

そのやり方を活かすためにも、、、幸運体質というのがキーワードになります。

力が抜けることで、感じられます。でも抜けない人。今できても後日力んでしまう人。
(最終的には身体が脱力を覚えてしまうのですが。。。。。)
そういう人へは、「自分を肯定する」ということが鍵になります。そう思います。

・・
・・
・・



力むことで、、、自分を守ってたんですよね。



・・
・・
・・


すっと入っていきませんか???

正しいか間違ってるか、はいいのです。
それは力んだ思考の仕業です。
それより自分を肯定するかどうか。肯定感を、実感できたかどうか。



「力を抜け、入れるな」
たしかに感じられます。それでうまくいくこともある。
でもそういう人は、自分を肯定しています。純粋で余計なものをくっつけていません。

しかし多くが、、、自分を否定している。
余談ですが、言い訳が多いのも、自分を肯定できず否定してるから。自分を愛していないから。
ミスった自分をいとおしく思えてないから。。。ミスこそ肯定することで、改善になるのです。

正しいか間違ってるかはいいとして、まずは肯定してみる。
「力むことで、自分を守ってきた」
「戦うことで、自分を守ってきた」
「そうするしか、自分にはなかったんだ」

あと、きつかった。しんどかった。なども認めてあげたり、、、
それでも今までなんとかやってこれたんだ、と肯定してあげたり、、、
正誤の「思考」というものさしじゃなく、いたわる「感情」というものさしで見れたら。。。




新しい自分を感じることも、、、、
つまづいてしまったときの立ち直りにも、、、



スタートは、、、
自分を肯定することかもしれませんね。。。





自分を否定してる状態で、脱力したら、誤った力の抜き方にもなるし、
そうなることまで思考するから、かえって脱力できないのです。
真似事で抜くだけでは危険ですし、理想の動きや調和の取れた動きはまず実現しないでしょう。

でも、どの人も本来、子供の心を持っているはず。。。(ウォルトディズニーいわく)

うちのお客様でいえば、、、大人を残して子供らしさが引き出されて豊かになっていってます。



“視野が狭い”と書かれた通信簿(正しい愛し方と受け容れ方で私が救われた日)



力を入れて頑張るもの???
筋力を鍛えるもの???
筋力を使いやすくするもの???

私は、、、ウエイトトレーニングはそういうものではない、と言い切ります。
機能とは、、、筋力に頼らないこと。頼らないことで機能させるもの。解放させるもの。

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動画では、最後にクリーンを持ってきました。これには意図があります。

クリーン以外の普通のウエイトでは、バーベルをすっと持っています。力を入れないことで、素直に重力を感じられます。「重いんだ」を認められます。じゃあ、、、その「重いんだ」という「落下」に「乗り込んでしまう」ことで、かなりの脱力とうまい動作が実現します。力を入れないことで、重さを感じ、受け容れられることで、挙がっていきます。このときもかなりの脱力です。

しかし、最後のクリーンでは、、、
その脱力をさらに凌駕してしまう脱力と宇宙感ある挙がり方が実現します。
重力すら解放され、バーから手が離れんばかりの勢いなのに、挙がってしまう。
もし逆に「ぐっ」と握ったり、腹に力が入ったりすれば、このような動きにはなりません。

ただ、、、普通のウエイトでは、重力を感じるべきです。
自己本位な力の抜き方は、危険ですし、かえって力みの原因にもなる。
クリーンでさえも、結局は重力に乗り込めているから、重力から解放された感じになる、と思います。
でも、、、「重力に乗り込む」という意識ではなく、「脱力」し、重さを感じれば、「乗り込める」もの。

「乗り込もう」とする「原因」ではなく、「乗りこめた」という「結果」
でなければ、、、その「乗り込む」は、「力み」ですから。



基本は、、、力を入れない。リラックス。
それが「感じる」ことを生み、「受け容れ」を促し、「適応」と「調和」が動きを実現する。
そう今では感じています。




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私の場合やお客様の場合、、、
正直に言えば、、、変な情報に流されることは、ありません!!
過去のことを抱えていても、不変の法則のごとく、ぶれることがないのです。
今更、、、、っていうか。。。



世間がどうだろうと、、、私はこう動く!!



何度も動画を載せ、同じ様な動きにしかなっていない私。
「どういうふうに」同じ動きか???
それは、、、



重りに寄り添う、という動き



戦って動かす人が大半で、
私のような指導者も日本で何人いるか???世界で何人いるか???
戦う人は、戦う対象物に応じて態度を変えます。わかりますか???

それだけ、相手に支配されてるから。相手目線になって、それで対策してるから。
もはや、、、、マジックも楽しさもないのです。
いいえ、、、「自分」がありません!!

それにたいし、私は、、、重りに寄り添う、という戦わない選択をします。
それですごい実現があって、マジック・魔法・奇跡が起こる。
それだけ、確固たる「自分」がある。
「自分を」感じれている。「自分で」感じれている。自分を信頼できている。




(追記)重りに寄り添う、というのは、それだけで挙がりやすいのですが、
同時にいえるのは、重りに支配されていない、ということ。
戦う人ほど、寄り添えば「負け」という「思考」をします。
だから、「勝たねば」と力んでしまいます。でも結果、悲鳴だらけで、「負けている」
極端なんですね。。。「白か黒か」しかないみたいで。

実際に「寄り添う」を実感すればわかりますが、
「自分が」寄り添うので、「自分を」いたわるぐらいになります。
「自分を愛する」「自分をいたわる」「自分を守る」「自分から逃げない」

我が強いのか、意志が強いのか。




マジックマジックと前の記事で触れたそのマジックは、、、



むしろ「普通のこと」だと思いませんか???



相手が仮にああだこうだ、時代がああだこうだ、
でも自然とフィルタリングできていて、自分のことを守れています。
そういう自立心が、育ちます。



そういうきもちと行動が、、、自分を作ってくれます。



だから、、、奇跡や魔法みたいに映る。
奇跡や魔法でもいいんです。
でもそれは、、、とても現実的なこと。



信じる気持ち。



寄り添うことで、、、自立できる。





2016.12.19 求心力
はじめての方は、当日最初の記事(リラックスの威力)を先にご覧ください。

求心、、、ようは、、、重りのほうから自分側へ寄ってくれるということです。
バーベルのほうから、自分側へ(後方に)来てくれるということ。

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「リラックスをする」「感じる」というふうに別々のものとして、
ふたつの相関関係を図るよりも、
ふたつをひとつにしてしまう。



リラックスを、感じる



リラックスした自分を感じる。
たったこれだけです。重りのほうから来てくれるぐらいなので、
それを受ければいい。あるいはむしろ、受けやすい。



自分が変わることで、周りや見える世界が違ってくるものだと思います。



ウエイトでは、そういうことも、よくわかります。



自分が力めば、、、力んだ自分に見合う周囲になります。
やれどもやれども、試練が襲い掛かります。
いつまでも負け癖になります。満たされることがありません。

今の到達にたいし、「やったぁ!」と喜べること。「できた!」と満足する。
そのプロセスを繰り返します。
自分がリラックスすれば、、、リラックスした自分に見合う世界が広がるのだと思います。




はじめての方は、先に一つ前の記事(リラックスの威力)をご覧ください。
リンクをクリックするか、スクロールするかしてください。。。ってめちゃ丁寧やし。。。

・・

この動画は失敗例です。溺れそうな力みようからは、悔しい気分だったりで敗北感たっぷり。
ウエイトという過負荷を、「敗北感」を味わうツールにしている方が多いのでは???
重りに打ち勝っても打ち勝っても、それに見合う苦痛にあえぐ現実が、引き寄せられる例です。

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アドレナリンも全快で、闘う姿勢いっぱいです。
でもどこか、、、闘えば闘うほど、、、自らがさらに傷を負っている姿にも映ります。
でも、トレーニングってそういうものだ、と通常は思ってしまうのでしょう。。。

でも、トレーニングの目的は「何」でしょうか???
敗北感を味わうことで、強くなるのは、、、「我慢強さ」だけではないのでしょうか???
それが、トレーニングの「目的」なのでしょうか???

耐える能力を高めたい???

でもリラックスしてみましょう。
肩の力も抜いて。。。お腹も。足も。お尻も。

・・・
・・・
・・・

・・・


・・・




・・・





耐えなければいけない状況を回避したい、と思えてきませんか???






それが、ほんとうの目的ではありませんか???
ようは、、、耐えて耐えて、負け癖をつけることが目的ではなく、
リラックスを感じ、一段高い自分になって、勝ち癖をつけることに、、、

そこに、、、ほんとうの目的があるのではありませんか???



プロセスが大事、だと何度も申しました。プロセスを感じることが大事だと申してきました。
でもそれは、、、悲壮感ただようようなサクセスストーリーじゃなく、
毎回毎回「勝ち癖」をつけること。そこに、その継続に、意味や価値があるのです。

負け癖がつくかのような挙げ方で、200kgも300kgも挙がったとしても、
それでは実用性に欠けてしまうこと、ケガが絶えないこと、などへ直結するのなら、
意味がありません。




で、そのリラックスを感じる、という勝ち癖は、
ネガティブレップ(挙げた重りを戻すほうの動き)によく表れます。
ここをバカ正直にブレーキ感たっぷりの動きになれば、、、挙げる側も力むでしょう。

でも、、、リラックスを感じて行えば、、、導かれてしまうのです。戻す動きのほうが、これがわかりやすい。

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呼吸について。一般論では、
・挙げる側(ポジティブレップ)では、息を吐く
・戻す側(ネガティブレップ)では、息を吸う
なかには力んで、お腹にも力が入り、息を止めてしまうケースもある。負け癖を刻むかのごとく。

でも私は、、、、たとえばスクワットなら、、、
・始めに息を吸う
・しゃがみも立ち上がりも、息を吐く
・立ち上がったら自然と息が吸え、2レップめへ。

となります。呼吸についてのおおまかな情報は、だいたいで申せば、
・息を吐くことで、リラックス。落ち着かせる
・息を吸うことで、気持ちを引き締めやる気を出す

こう考えれば、、、私のやり方がいかに理にかなっているか、がわかるでしょう。

それだけ戻す動きを息を吸ったり、とめたりするのは、力んだ戻し方をしているのです。
安全は、確保はできるでしょうが、、、敗北感ある力づくの守り方です。
しかも戻しながらバネが溜まることで、一気に力んだ挙げ方にもなるでしょう。
自然に挙がってしまうものに、わざわざもう1モーション加えた「二段モーション」になるのです。
立派な力んだ動きが、完成するのも、うなづけます。



最後に、、、こういうリフティングでは、私はむしろキャッチの部分を大事にしていて、
できれば「ローキャッチ」のほうが、私は理想だと考えています。
ネガティブレップも、ポジティブにリラックスを感じたいものです。

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先日の続きになります。
ではどうして、、、、力んでしまうのでしょう???
その力む理由の一番手は、何でしょう???



私の答えは、、、「我慢」だと思います。



我慢してやってしまおうとする、その行動が、力みの原因ではないか、と。
ウエイトトレーニングでいうならば、認めずに我慢してでもやりきってしまうから、力むのです。
何を認めないか???



弱さです!!



弱さを認めないから、強がって、頑張ってしまうのです。
弱さを認めることが、、、リラックスの理由です。
弱くていいんだ、、、と。我慢しなくていいんだ、と。

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でも、、、弱さを認めることと、軽そうに挙がることとが一致しない。
そう多くは考えてしまうでしょう。
でも、、、じつはすごくシンプルなのです。



少し脱線します。



弱かったら弱いで、認めれば、、、逆に具体性が見えてきます。
弱いとか苦手だとかを認めることに恥じらいなどなく、許せているのですから。
だから、どこまでがわかるけど、どこからがわからない、というふうに。
新しいことを学ぶ際にもそうです。わからない、と認めるから興味がわいて、質問にも具体性が出ます。

ワンマンな人は、弱さを認めません。そう思います。
具体性に欠ける丸投げ質問が多いです。
弱さを認めてないから、自分が変わろうとしません。人にすべて変えてもらおうとします。
興味じゃなく、事務作業になってしまう。

 弱さを認める人は、、、その弱さを否定しません。
 具体性が良く見え、何が大事なのかが、逆に良く見えたりもします。
 弱さを認めない人は、我慢して「覚えよう」「覚えなければ」と思考します。考えます。
 だから、、、学習能力に乏しいのです。質問も丸投げになります。

前者は、、、豊かさを感じる重要性に気づきます。
後者は、、、我慢して感じられなく、思考でどんどん複雑になっていきます。

弱いから、強くならなければ、、、
これでは、強くなっても弱いままです。独裁者になろう、としています。
さきほど掲げたその独裁者思考にも陥りやすいでしょう。

長所は短所の裏返し。
私であれば、機械的に従うことは覚えが悪い。でも創造することに長けている。
右脳的左脳的のどちらが良いか、ではないと思います。

強がって我慢せず、「弱さや未完成」を認めれば、、、
それがリラックスにもつながるし、そのリラックスが、力を拾うという感性につながります。
それだけ「必要なもの」を「具体化」できてくるのですから。。。「頭」ではなく「体で」

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「弱くていいんだ」
そう自分に厳しくしないことで、他者にも厳しくしなくなります。攻撃しなくなります。
そして、、、自分を肯定できるようになります。短所は長所の裏返し。
弱いけど、、、その弱さこそ、、、強さじゃないかって。

それが、、、「リラックス」と「軽そうに挙がる」とがつながる理由です。



また、自分を肯定できてるから、、、相手を攻撃したり、相手を過干渉したりしません。
そういう「距離感覚」が、、、、ウエイトトレーニングでいう「体と重りとの縦の距離」です。
そういう「具体性」までわかるのです。あるいは、そういう気づきや質問になるのです。



できないから、学ぶのですしね。。。
できてたら、必要はないのです。
でも、、、できないから聞いてるんだ!!と丸投げ質問、では困ります。
これは、、、できないと認めていないから、感情的になってしまうのです。

感情は大事です。
でも感情的とは違います。
我慢が人を感情的にさせるのです。

我慢する前の感情が大事です。




色々多岐にわたりました。。。