「チャイムが鳴ったら、そこで止めて休憩しなさい」

私が小学生のころの恩師の話。
チャイムが鳴ったにも関わらず、
黒板の文字を書き写したり何らかの作業をしていた子らにたいしてよくそう言ってました。

それが定番にもなっていて、
「チャイムが鳴っても止めない子=できない子」というふうに
私のなかで刻まれていったものです。

休み時間は、休むもの。
休み時間にまで勉強をもちこまない。
勉強は、勉強時間に集中するもの。
休み時間は、休むことに割くもの。

・・・
・・・
・・・

あれから30年も経ち、大人になって社会にも出て、ふと振り返ったとき、

あるいはビジネス本など書籍からも知ったりしたことを振り返ったとき、

できる人は、、、どういう行動を取っているだろうか???
豊かな人は、、、どういう行動を取っているだろうか???
休んでいるときなどに、仕事を持ち込んだりするだろうか???

そういう情報を知りたくて、バーゲンセールのように奪いあわんとしている人もいます。
案外、、、小学生の頃の教えに大きなヒントがあったりするものだな、と振り返ります。
ある心理関係の書籍によれば、貧乏体質には3つの原則があると謳っており、
それは、「我慢する・争う・罪悪感を抱く」と書かれてありました。

私のトレーニングも、残業がないトレーニングです。
その時間に凝縮する習慣が、、、それ以外の時間を彩らせるからです。
作業しながら考え事???それは最悪で、作業も中途半端、考え事も中途半端です。
食事はその味覚や食感に酔いしれ、くつろぐならその実感に酔いしれるのです。




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ローカルなラジオ番組(報道番組)を聴いていました。そこでは世界と比べた日本の労働時間などについて語られていました。ゲストの人は、中小企業コンサルの方で、海外あちこちにも調査し、労働体験もされた方でした。日本は労働時間が長いわりには生産性がない、という結論でした。サービス残業などの文化、残業しなければ(残業代がなければ)生活に影響する、などの課題があるその水準を見直すことも大事ではないか、という声。そして、私が知る限り(以前経験した社員業務やサラリーマン時代など総括して)「同じ仕事なのに他人とかぶったり」「意味のないような事務処理に終われたり」「稟議書(すぐに敏速に対応すればいいものでも、上司にまたその上司へ報告報告・・・となって処理が遅れる問題」。ゲストいわく、海外では労働者への権限も多く、責任もあったとのこと。

今の世界で見える目線が現実だ、とするのは早計で、
少し目線を変えただけで、急には解決しなくとも、意見としては出てくるわけで。
やらされ感や義務感ではなく、やりがいへと変わっていくのでは、と共感もした。

私の手法は、世間から見ればあきらかに外れているだろう。でも思います。
動きの生産性をもっと高めれば、、、労働時間じゃないけど、
運動強度や時間だって、もっと少なくできないだろうか???

そんなに重い重量が、、、必要だろうか???と。
そんなにたくさんの種目が、、、必要だろうか???と。
そんなにたくさんの知識や情報が、、、必要だろうか???と。

それよりも、、、気づきが大事じゃないのだろうか???と。

これは指導でずっとやってきたことです。
パワーリフティングをやってる私でさえも、重量へのこだわりがない。
それより、うまく挙げたい、というその能力を磨いているぐらいです。

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まるでバーゲンセールで「奪い合い」をやってるそういう光景みたいになれば、
一歩離れてみればいいんじゃないだろうか???
何でも賞味期限を決めてしまい、初めから資源が限られてるみたいで。。。

宇宙の資源は無限だと知ったことがあります。
無意識と宇宙はつながってる、とも知ったことがあります。

その能力が劣る。だから急いで行う。気張って踏ん張って頑張ってやる。
私なら、、、能力を磨いて、ゆっくり丁寧に行うほうを、選びます。
後者のほうが、、、人間的価値も高いだろう。。。結果も自然と出るだろうし、品質も高いのだから。
前者を見てて、、、リスペクトできるだろうか???




周りがそうやるから、自分も。。。
そういう無責任さが蔓延するから、ますます世の中が支配的になるんだと思う。

「しなければいけない」
「してはいけない」
「すべきだ」「そうあるべきだ」

これらは本当に的を射抜いているのだろうか???

「したいから、する」
「したくないから、しない」「いやだから、変えたい」

このほうがはるかに的を射抜いているとしか思えない。
もちろんその意見も、本心や感情の「品質」次第だが。。。
ようは、、、ポジティブかネガティブかということ。
つまり、、、建設的なのか批判的なのか、ということ。




結局思うのは、、、自分を信じ、貫ききった人が成功してる、ということ。

これは、「学習」や「ものを選ぶこと」においても一緒。

あっちのほうがいい。こっちのほうがいい。そうやってあれこれ探してるうちに、
その「あっち」も未完成。その「こっち」も未完成。選んだことに責任を持てず、集中しないから。
しかもだらだら時間だけが過ぎていく。しかも一貫性がない。

あるいは、「あっち」か「こっち」か二者択一だとして、選んだ側に責任をもてないケース。
「こっちを選んでいれば・・・」と思う人は、
結局その「こっち」を選べば選べばで「あっちにしとけば・・・」となるでしょう。

仮にもっとすごいものがあったとしても、、、選んだことに集中し、信じること。
信じきれること。それができた人が成功してますし、才能や素質ではありません。
私個人的に「教えやすい・教えにくい」の話ではありますが、それが結果に反映されます。
これは身勝手な話ではなく、そういう現実なのです。

考えず、計算したり、どうしようか試したりせず、やらないよりはましか、という打算でもなく、
「今」を無邪気に感じ、楽しむだけ。私もそういう空間作りにしたくてやっています。
そういう楽しめる人は、今できてなくても、「絶対に大丈夫」って思えるものなんです。
私が見てるのは、その人の「ミスり方」です。ミスがいけないのではなく、その作法です。

私が嫌いな言葉は、、、「とりあえず」です。

最後に、私がどうして、世間とは一線引いた目線の指導や考え方なのか。
一貫してるからです。
でもそれでいいと思っています。その一貫から、すごいものが生まれるからです。
その一貫から、品質の向上へつながっていくからです。

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私のなかの「小さな習慣」


それは、、、


おおまかに、、、


「ながら動作をしない」


たとえば、家で食事なら、なるべくテレビを見ながら食べないようにしたりします。
ようは、、、味わいたいのです。後片付けも、後でやるようにします。「後・片付け」だけに。
カフェにいくなら、コーヒーを飲みながら本を読んだり事務をしたりはしません。
コーヒーはちゃんと味わい、コーヒーを飲んだ後に、本を読むようにしています。
たまに近所の温泉に行くときも、余計なことは忘れ、今、その気持ちよさを味わいます。
とくに浸かり始めが、サイコーですね。。。うわ~気持ち良い。。。

歩きスマホは本人はおろか、周りにも危害が及びます。
それだけではなく、ながら操作は、本人が感じることを捨てているようなもの。
今の歌手を悪く言うわけではありませんが、歌うなら歌う、踊るなら踊る、となってないから、
見てる側もいまひとつ、、、何かを感じ取れたり響いてくるものも感じませんし、、、

ウエイトトレーニングのいいところは、、、重りがある、という点です。
操作法に惑わされず、重さを実感し、重力を感じ取れることで、動けていく点です。
その重さを感じ取るために、そこだけに集中できる点です。

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バーベルしか感じてませんので、それをいかに感じ取りたいため、
力は入れませんし、バーベルに歩み寄ります。
歩み寄りに関しては、バーベルを前後から挟み込むのですが、重りが自分側へ来てくれるので、
結果的に「自分→バーベル←自分」というカタチになります。

力を入れて頑張るのは、焦りやテンパリからです。
そういうフラクタル(相似形)は、どこでもつきまといます。
だから、、、感じない。。感じたくない。。。感じられない。。。。

「闘うか、逃げるか」・・・・・という発想です。そういうプロセスができあがってるからです。

あわててことを済まそうとしてる接客とか、そういう人を見て、良い気がしません。
「良い気がしない=その人に良い気がしない」のです。客が大事にされてない。
ひとことで、愛が足りないのです。それも「その人自身がその人にたいして」

自分がされてきたように、相手にするからです。

ディズニー関連の書籍によれば、そこの研修では、
新人はまず「おもてなしを受けること」から始めるそうです。
先輩や上司からもてなされることで、自分がされたように人をもてなすからだそう。

じっくり味わう。闘わず、仲良くする。協力を窺う。そういう目線。
これは、ウエイトトレーニングの話ではあるが、トレーニング以外の時間でも当てはまるし、
良いトレーニングは、人をそうさせるものだと思います。

支配的になって、結果ばかり求めて、手段を問わない運動で、ムリをしてきたのでしょう。
あるいは、そのムリが嫌になった。。。嫌だった。。。我慢しなくては。。。その我慢も嫌。。。
ようは「闘うか逃げるか」

そこじゃなく、、、

素直に味わう。今を味わう。
でもそれでできなくてもいい。できたら尚いいが、できなかったとしても、いい。
ここで「自己肯定」が役に立つ。そう、、、まずは「今」です。

その「今」つまづいたときに、過去を洗い流す。
(今やりながら過去を見てては、今をまったく感じませんし、うまくいきません)
そういうことを強要してたなあ、、、でもそれでよく頑張ってきたよな、、、と肯定する。

ようは、、、一気にできるようになろうとしないこと。
うまくいくそのプロセスを味わうこと。
0%やマイナスだったものが、1%でも成功したら、成功癖の始まりです。

大事なのは、、、
「他人目線」や「偏見ばかりで勝手な厳しい評価」「先入観」「常識」じゃなく、
「自分の満足」です。そこがはじまりです。

前者だと、「ゼロか100か」になり、「闘うか逃げるか」になり、自分を苦しめます。
後者のように、「1~99」を楽しめるようにしていけば、100への道が開かれます。
前者だと、せっかく上り詰めても、頂上を見ては「まだまだだ」と肩を落とします。
後者のように「上り詰めたこと」に「満足や達成感」を味わう。



いつも達成感がある。

そういうプロセスを刻んでいきたいですね。。。



「こんなにうまくいっていいんですか」
「いいんです!いいんです!」

そういう重力の神秘を体に刻み、
鍛え終わったあとに、ものすごく身体が軽く感じられ、癒され、温まり、流れ、
それが日常へ反映されていく。
歩行だけでも日常や家事などでも、その動きのスムーズさについつい実感してしまう。。。

あ、、、でもそういう実感って、、、すごくいいことですからね。。。
そういうプロセス。。。
そしてまた、トレーニングに帰ってきて、またうまくいく。。。また日常やスポーツへ。。。

頑張り方も変わってきて、先入観が剥がれ落ちて、頑張った結果じゃなく、楽しんだ結果。
潜在意識が喜ぶ豊かな感じ。素直になれていく感じ。根元から変わっていく。だんだん。だんだん。
その変化(自己回復)が楽しい。即席結果を義務しないから、楽しく豊かになる。

潜在意識の声は、感情を介して教えてくれるものだから。。。
ようは、プラス感情も育つ。マイナス感情にも素直になれる。ようは、、、肯定癖がつく。。。
そういうフラクタル(相似形)となって、、、日常や“わたしそのもの”の形成まで。。。



楽しいフィットネスライフの誕生です。





2017.01.26 我慢を手放す
スムーズでしょう???
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「うわ~心地良い」
「こんなに心地よくて、いいんですか???」



「いいんです!いいんです!」



動画にもあるように、、、バーべルがとても軽く映りませんか???



もちろん、軽さを演じて力んで抗ってあがいて挙げてしまうものでもありません。
重いものは、重いと感じる。感じる。落下を感じる。鉛直を感じる。
だから、一本自然と入る。それが、、、理想の動きを作る。

拾えないから足掻くのです。固める必要もないのです。



自覚ある顕在意識と無自覚の潜在意識(無意識)。
多くは、この両者が分離しています。
無意識は、とても現実的だと思います。素直な感じです。
でも顕在意識では、思考で色々変幻自在にできます。しかし無意識は、素直です。

「思考が現実化しやすい」
これは、無意識が現実化する、という意味。無意識は計り知れない情報量。
しかも、過去も未来も知り尽くしている。

我慢をすればどうなるのか、潜在意識はきっと知っているのでしょう。

我慢して力んで頑張った。でもきっと心の声は、悲鳴です。
でも忍耐はスバらしい、ともっともな顕在意識です。
結果、、、ケガをしやすかったり、数値分以下で終わる、などの現実化。

私が「自分をいたわる」「自分を肯定する」ことを強調するのも、
そうしたくなる「理由」があったから。
私が今の動きになったのも、「理由」があったから。

きっとそれは、、、無意識の声だったと、今では振り返ります。
私は周りに呑まれません。自分でも、素直なほうだと思っていますし、そういわれます。
重力は、すごい味方だし、それを感じることから背かないことで、
その潜在意識と合致し、うまくいくのかもしれません。

でも多くが、大人の常識で「しなければいけない」になっています。
筋力を使って何でも解決しようとします。思考を使って手段を問わず強制処置します。
ダースベイダー化したようなものです。うまくいくものでも、それに罪悪感を覚え、拒否します。

繰り返しますが、潜在意識は、その行動でどうなってしまうのか、答えを知ってるのです。

だからこそ、、

ほんとうは、どう感じてるのか???

そこにアクセスすること。体でアクセスすること。実感すること。
感じにくいなら、過去を振り返り、責めたり否定したりせず、肯定すること。癒すこと。
それは、潜在意識に近づく目的です。




我慢を手放し、、、前途洋洋な潜在意識に委ねましょう。
潜在意識に近づくためにも、、、実感しましょう。
そして、意志を持ちましょう。

「こうしたい。だから、こうする」
「ああしたくない。だから、ああしない」

もし思考してしまい、計算してしまえば、、、
その過緊張で、うまくいくものもうまくいきません。
潜在意識が、うまくいかないほうを選択するからでしょう。そうやって自分を守ります。
「これでもう、期待に応えなくていいんだ(というからだの症状になった)」みたいに。。。

だからこそ、、、「ほんとうはどうしたいか」と向き合うことが大事だと思います。
そして、希望を持つことに罪悪感を覚えず、
自分のために生きること。

他人のために生きてはいけないと思います。
それが結局、自分がうまくいかなくなるという希望として潜在意識が認識する気がします。
自分を大事にしたうえで、こうしてあげたい、という自分の希望なら素敵ですが。
だから見返りも期待しません。やったことに満足しますから。無垢な心です。