2014.11.22 熟練と開眼
内部注意がパフォーマンスを向上させないことがすでにエビデンス化されています。
同エビデンスでは、熟練者においてもそうで、
熟練者においてはむしろニュートラルで向上が見られた、と。

・自分の筋や骨や関節に注意を促す動作を「内部注意」
・バーベルなどの重りや道具側への注意を促す「外部注意」
・いずれも注意も促さない「ニュートラル」


なので、うちなる細かい意識や感覚に支配されれば、動きの精度は落ちる。
ウエイトでいうならば、重りにモーターがついているかのように挙がっていくのがウエイトたる姿で、
身体の組織をどうこうしよう、とするのは、内部注意になり、動きのロスになる。

通常だったら、どこどこの筋を使いなさい、意識しなさい、この関節を使って動きなさい、といわれるのが、ほんとうは通常ではなかったということ。感じなさい、と感受性を高めることも、通常ではなかったのです。むしろ、いかに「無感覚」で動かせているか。注意を外部に持っていく。「身体を使え」から「重りが動け」へ。その「重りが動け」というのを、筋力や意識という「手動で動かす」のではなく、「手動(筋力や意識)を脱し」「重りが電動のように動けてしまっている」のが、うちのトレーニングになります。だから、、、違うのです!!すべてが!!そして、ついてくるのです。バランスも機能もさまざまな能力も。つまり、身体が賢くなる。


そこで、重りがあれば対象物があるので、わかりやすい。ここまでは「トレーニング場でのこと」
じゃあ、重りがなくなった日常やスポーツでは、いちいち身体を重さという外部として感じなければいけないのか。そこに「一歩誤れば内部注意になる」という警鐘がある。



もうすでに、トレーニングによって「身体がひとつの観念を覚える」のですから。
思いが伝わって動けてしまう、、、という観念です。
好きなように動かしても、そのとおりによくかゆいところに手が届くように動けてしまう、
それでいて、、、整っている。




そこが、真の熟練であり、トレーニングを正しく行えばついてくる正しい効果なのです。
何も筋力で動きを作りなさい、という稚拙な自動化を言っているのではない。これは内部注意だからだ。
トレーニングから離れ、重りという道具がないのならば、もういいじゃないか!自由で!!


だから、自由にかゆいところに自然と手が届くのですから。


それが実用性であり、
それでうまく動けなければ、トレーニングのやり方に問題があるのです



そして、もっとすごいのは、「実用性」としてあっさりとスポーツへ日常へつながっていくこと。
むしろ、点と点をつなげるような」余計な工夫をしないこと!!トレーニングで自然と身体は「賢く」なっています。ジムを出たら、忘れて自由に動いてみてください。
かゆいところに手が届く動きが実現していくことでしょう。こんな日進月歩な継続だったのです!!



これが現時点の見解です。



関連記事
スポンサーサイト
Secret