科学自体は、とても中立だと思う。出てくるデーターは、間違いなく正しいデーターや数値。
あとはそれを「人がどう解釈」するか」であって、あくまでデーターは中立のはず。
そう思う。なので、科学はむしろ味方であって、主観を客観化してくれるありがたいもの。

運動実践者の主観。そして受講者の主観。これまでの実証。

ただ、、、データーには出てこない見えない部分はもちろんあると思う。だから運動なんですけどね。。。
それ自体ですべてがわかるわけではない。でも、出てくるデーター自体は、中立なのだ。
そう考えれば、少し心が軽くなった。

一番よろしくないのは、
データーにない客観目線や分析、あるいは客観から主観を作ろうとする取り組みだと思う。
身体がまっすぐ整っていたなら「体幹が、、、」とか「そういう意識がある」とか。。。
倒されなければ同様に「体幹が、、、」とか。。。「そういう意識はあって、筋力が強い」とか。。。。
あるいは多数結論で体幹体幹とさわぐことで、もともとそうでなかった人までそうなってしまう「正当化」

本人の許可がないのに「こうしてる」「こういう意識を心がけている」とか、
以前はこのことを気にしていたこともあったが、
それを発した人間の価値が下がる、というだけで、
今思えば、、、本人もそれを発した人間も含め、結局は、、、誰も傷はつかないのですよね。。。
(“意味違い”はあるでしょうが)


ただ、、、
運動実践者のセンスある主観が、くすぐるようなデーターをはじき出し、時代を作っていくのでは???
と思える。「????」のようなデータが出てもいいと思う。でもこれが事実ですから。
そういう意味でもデーターは、敵ではありません。とても中立です。あとは主観の問題かと。
かなり心が軽くなりました。

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