これまでは、「でも・・・・」という人にたいし、こちらもまじめになってしまい、その人の思うばかりに、「愛のある説得」をしてきました。たしかに最後には、わかってくれたときには、「やってて良かった」って思いました。報われた、って気にもなりました。でも、思ったんです。その間のつらかったことつらかったこと。。。最後の喜びのために、ここまで我慢してたことが、今振り返れば、正しかったのか、わからなくなってきたんです。

うちは、数値を捨ててでも「うごき」を見直します。あるいは初期だからこそ、力に頼らない動きを会得してもらいます。でもなかには、できない言い訳に、本人力みまくっていることを棚に上げて「力がないから」とか、力みまくってることを棚に挙げた「これってどういう意味があるんですか???」という質問など、当トレーニング(の方針)を何だと思ってるんだ、と相手にも自分にも失望したりもした。でもここまで掲げてても、まずは「理解は得られていない」と考えるようにしました。その上で、「でも・・・・」が始まったら、その「でも・・・・」を受け入れます。ただし、「でも・・・・」と言った方の責任のもとで。私の方針を告げた上で、「それでもあなたがこう思うのでしたら、、、あなたの責任の元で」。じゃあ、、、力をつけましょうか。。。それで満足なら、それでいいんです。

最後のためだけのその我慢というプロセスより、我慢のないプロセスを刻もうと思います。
私が、私を、大事にするためです。
でも結果、相手を育むことになり、相手を成長させるんじゃないか、と思います。




関連記事
スポンサーサイト