静は動なり 動は静なり(プレ編)
静は動なり 動は静なり(本編)

先の記事では感じ方を中心に謳ったのですが、
これも事務的になっては意味合いがずれてきます。
なので、「どういう気持ちで」という部分を今回は謳います。

重りに対峙する気持ちを中心に触れたいのですが、
これはあらゆることに通ずる気がしましたので、「ハートとメンタル」の話になります。
うちではトレーニングを「事務的」には考えてませんし、それが「正しいこと」とは限りません。

いいかえれば、、、「我慢でやるものではない」

まずはこちらの動画をご覧ください。いつもどおりに「簡単」「ラクラク」です。
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「我慢」してることに気づかない方々も多いと思います。
常識や固定観念が浸透してしまい、
「しなければいけないもの」「課さなければいけないもの」と疑わない人も多い。

でも、動画を見て、いかがでしたか???

でも、、、(でもが続いてしまいましたが:笑)

思考が常識化してる我慢の方なら、こう考えてしまうかもしれません。
「じゃあ、、、、どんな手法」「じゃあ、、、どんな技術・テクニック・フォーム・意識」
という「課すもの」「我慢するもの」を得ようとします。

このとき、、、私にはこういう印象を受けてしまいます。
「あなた自身が犠牲になってでも、食らいつきたいのでしょうか???」
「手段を問わず、何が何でも罵倒してでも手に入れたいのでしょうか???」
というふうな、、、「戦う気持ちいっぱいで」「攻撃的な」お気持ちです。

おそらくこういうときは、、、自分を感じられていません。
いばらを選び、闘う気持ちいっぱいで、私さえも怖い印象や恐れる気持ちを感じます。
でもさらにこう畳み掛けるのでしょう。「闘わずして、どうやって手に入れるんだ」

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結論からいえば、そういう気持ちだから、吸収できない。会得が難しい。ということです。
でも今度は、両極端で中間の気持ちがなく、「じゃあ、、、ラクすればいいんだな!」と。
そう、、、判断基準が思考から湧き上がり、感情的で感情に振り回された状態。

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でも安心してください。そういう人でも変われることができますし、
そこまで戦闘的じゃない豊かな人なら、もっと可能性があるということです。
魔法の言葉を紹介します。



重くって、、、いいんだよ



重いことを、我慢しようとしてきたから、
固めてバランスを取ったり、力に過剰に頼りすぎ、
ケガや実用面に活きない、などにさいなまれていたんじゃないでしょうか???

あるいは、我慢がいやだから、避けてきたんじゃないでしょうか???



私はときどき、、、バーベルなどの重りのことを、「重りさん」と記事で触れたことがあります。
「さん」付けしてます。すごい親近感でしょう???
でもこれは、結果論でそうなっただけで、そうしようとしたわけではないんです。

「重くって、、、いいんだよ」

これは、
そう素直に感じて、いいんだよ。
そう素直に認めて、いいんだよ。
というふうに訳せる、いわば、、、「自分を許してあげる魔法」なんです。

これまではもしかしたら、逆に、自分のことを許してあげられずに、
「もっともっと」「まだまだだ」「こんなことでへこたれてどうする」
と自分に厳しかったんじゃないでしょうか???

不思議なんですが、、、

自分のことを許してあげると、対峙する側も許せるようになっていくのです。
そんな自分が素直になっていく過程で、自分の愛し方がわかるようになっていき、
自分の良さにも気づけるようになっていきます。

これが、私が重りのことを、「重りさん」と呼んでしまう理由です。

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重りさんは、たしかに過負荷です。
でも過負荷だからこそ、わたしたちに「感じること」を与えてくれます。
感じられたことで、自分の愛し方がわかっていきます。

それが、、、「自信」というものではないでしょうか???

自分を肯定してあげる。自分を信頼してあげる。
すると、重りさんや重力も「信じられる」ようになっていきます。
こういう心理が、、、私の動作の秘密です。

そして、、、その信頼度が、、、
筋力に頼らないリラックスとスムーズさとやわらかい安定などにつながっていきます。
その信頼度だけで、ほんとうに動けてしまうから、、、ますます「信頼癖」がついていきます。

そればかりか、、、そういう動作で動く鍛えるわけですから、
そういう体にコンディションになっていきます。動けてけがもしない。凝らない。
やればやるほどやわらかく、軽くなっていく。疲れも取れたり。

ますます「重りさ~ん!」って感じになっていきます。



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以上、、、実感が大事、と何度も触れるのは、そういう意図から。
普段から、食事でも義務的に食べるよりも「自分のために、味わって食べる」など、
「自分のことを大事にしてあげる習慣」がとても大事だと思います。

時間に追われるよりも、「休みたいときは休む」「やる時間を決めて、その時間だけやる」
周りや評価に動かされるよりも、「自分がしたい、と思うことを、やれる範囲でやってみる」

私もこのような考えに至ったのも、仮に周囲から「変わってる」「難しい」といわれようが、
それで変わるようなものじゃないし、周囲と闘ってそうしてるんじゃなく、
「闘う以上に、それがあまりに気に入り、豊かで、理想だから」と確信してるからです。

そういう確信があるからこそ、、、こびてまで売り込みはしないのです。
だって、、、その人の領域であって、変わるのはあくまで「その人の意志」ですから。
尊重というか、意志を大事にしたいのです。そう思える自分になっていくものでもあります。




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