トップページにはいくつかの動画を載せています。
見ててどうですか???どう感じますか???
思うんです。手厳しい人もいるかもしれませんが、普通に見れば、

「うまく行ってる動き」

ではないでしょうか???そのひとつをここに掲げておきます。

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うまくいってるんです。ようは。。。



筋力で抗ったり、我慢で力んだり、操作法に縛られたりではなく、
どこか自然でしょう???どこかムリがないでしょう???
うまくいくというのは、そういうことだと思うんです。間違いなくそう思うんです。



こういうふうに。。。
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私の動きは、十年以上も「落ちる」という表現をしてきました。

この意味にも誤解があり、重力がキーワードではあるのですが、
決して「重力に支配された動き」ではないのです。
もちろん、「重力に抗う動き」「自己本位な動き」ではありません。

具体的には、「固める」「踏む」「蹴る」「引っ張る」「押す」「曲げる」「伸ばす」「回す」「ひねる」
あるいは「連動させようとする」「体の細部をどうこうしようとする」などをしない感じ。
何かをしてないけど、どうにかなっている。そういう動きでしょう???



重力が働く環境は、絶対です。
なのにそれを無視して抗えば、勝てたとしても、その我慢が積もっていきます。
不安の裏返しにも思えます。「どうしてそんな頑張るの???」と思えてしまうのです。
でも、重力になすすべなく支配されるがまま、でもありません。



支配するも支配されるもないのです。



うまくいく方法、、、それは、自立すること。



支配したりされたりするのではなく、そこで調和することです。



自立してるからこそ、、、(その意志があるおかげで)そうしようとするのです。
自立できないから、重力を支配したりされたりして筋力で自立しようとするのです。
闘って自立しようとするのです。いえ、もはや自立ではありません。相手ありきになっています。



その重力との調和にたいし、支配されることじゃないのか???と思ってしまう。
これは、重力を支配しようとする裏返しです。闘うことの裏返しです。
自立していない裏返しです。自分を信頼できていない裏返しです。

勝つか負けるかになっている。
ようは、それは、相手に対して。あるいは自分を客観した自分(ようは相手)に対して。
ようは、闘っている。



自立してるということは、
動きで言えば、闘わず、すでに叶っている次元の高い状態。
筋力に頼らず、自然体、それでいて満足が実現している、ということ。

他者をどうにかしようとして立つことが自立ではなく、
他者関係なく、自分が心地良い選択をして立つことが自立です。
そういう環境です。自分も環境のひとつです。

「環境を知り、いばらを避けたい」「闘わず、犠牲にもならず、友好的に事を運ばせる」
という自分意志あるいは自由意志が、自立の証です。
それが自然であり、自立ではないでしょうか???



つまり、自立してるから、、、自然とそこへなじんだほうが賢いと身体が感じます。
自分からそうしようと身体が反応します。心が反応します。
だから、とてもシンプルで、複雑に考えたりしません。それでうまくいくのです。

自立してないから、、、闘ってでも勝とうとします。負けてはいけないと踏ん張ります。
自立してないから、、、無力になってしまいます。しかも、いけないと思ってしまいますます無力に。
自立してないから、、、「自分が!」「自分が!」と独りよがりになり、自分が見えません。
そうやって過剰な筋力強化に励んだりします。しなければいけない、と思ってしまいます。



あの明ちゃん体操(先日の記事)を見て、
あれだけですごい意味合いを感じた方は、自分を大事にしてる人だと思います。
軸というのは、固めて「自分が」「自分が」と自分も周りも見えてない力んだ状態ではありません。
そういうのを「自立」というのではありません。私には「我慢したむなしさ」にも映るぐらいです。



自分から、自分意志や自由意志を持って、心地いい側を選択すること。



それが、、、自立できてる証です。



重力と、「ともだち」に、なるのです。




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