年内最後の記事です。今回は、豪華拡大版!!

ですがその話は、日常会話レベルから始まります。

先日は雨天のため、自転車通勤ではなく、電車通勤でした。ローカルな話になりますが、大阪市内を一周するJRの大阪環状線に乗ったのですが、運良く「新型車両」に乗ることができました。新型車両は、快速バージョンではなく、普通車バージョンの新型。すっごく未来型で、通常は一両に扉が4つあるところが3つ。悠々座れる感じ。イスの端っこも工夫があって、横からの視界が入らない個室な雰囲気も感じられた。何でも掲示板には24日デビューとか書かれていて、デビュー間もない新車に乗れたのでした。

新型だけあって、快速の車両と同じで、アナウンスも車掌の声ではなく、英語バージョンの放送もありました。その英語の放送を聴いたとき、、、、おやっと思う瞬間がありました。ま、私は英語、まったく無知で、苦手ですが、、、いつもは駅に到着するとき「アライブ」という表現をしていて、それになじんでいたので、余計に感じたのですが、、、その日の英語放送は、、、「アライブ」ではなく「RIDING(ライディング)」と表現していました。

英語の放送も次から次へ変わっていき、ラフになったり表現が変わってきたり、英語のことはまったくわからないのですが、変わっていく、ということは、改善点があるから、変わっていく。つまりそれだけ「ネイティブなもの」を選んだ結果なのだろうか???と解らないなりに想像をしていました。でも、「駅に到着する」が「ライディング」。つまり「駅に乗り込む」「またぎこむ」。なんとも右脳的な表現ではないだろうか。。。でもそれ以上に、、、ライダーみたいな「かっこよさ」も感じたりもした。それでその「ライディング」がずっと心に響いてしまっていて。。。形式ばったアライブにたいし、かっこいいライディング。

そのかっこいい「ライディング」が、、、あることを、あるヒントを教えてくれたのでした。


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俺の動きも、、、そのかっこいい「ライディング」じゃないか???と。
そう、、、またがる感じ。
バイクにライディング。馬にライディング。それと一緒で。。。


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足で踏ん張らないことを謳った先日。この補足になってしまうのですが、、、
「ライディング」「またいでしまう」してしまえば、、、踏ん張ることもなくなる。
でも、「乗り込む」にも誤解があって、、、足へ乗り込むでは、結局、、、踏ん張ってしまいます。
低い部分にまたぐ、、、では、結局、踏ん張ってしまいます。



じゃあ、、、

重力という動いているものに

乗り込んでみれば???




たったこれだけで、、、
脱力も落下も伴った半歩早い乗りこみが、叶ってしまうのです。
かっこいいライダーのごとく。。。

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先日のランジもそう。。。踏ん張らず、気分だけでも、かっこいいライダーを!!

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前の記事では「踏ん張らないのは、足だけではない」と触れ、そのことを今日公開すると告げました。
それで、以下のリンクも掲げました。
なので、、、今日の記事内容は、以下の記事を総括し、さらに上をいく内容を期待したかと思います。

実際に私も、そのつもりでリンクを掲げ、そのつもりでいてました。

バランスについて2016・12(バランスは、我慢ではありません。揺らぎです)
動作以外のことについて(ハードルを下げ、勝ち癖を手に入れよう)
勝ち癖をつけるために(しがらみから解放されれば、、、あなたが輝く!)
逃避力(怖ければ、、、逃げればいいのです!許せば、、、変わる!!)
期待に応えない教え方(頑張りすぎてたんですよ、あなた)
初期設定が違う!初期設定を変えよう(我慢が当たり前になっていませんか???)
報われるか否かの違い(これ以上は、、、しない)
達観するには、実感が不可欠(少しずつでいいのです!満たされる実感を刻め!!)



しかし、その時点ですでに気が変わっており、あることに気づいたのでした。
それと、今回の「ライディング」とが一致します。
「踏ん張らないのは、足だけではない」であれば、、、リンクだけでじゅうぶんだと思ったのでした。

もうそれ以上はいらない。

私も気づいたからです。「ブログやニーズ、そして読者さんにしがみついていたかも」って。
また、読者さんをも「ブログにしがみつかせている」気がしたのです。
ほんとうは、、、、しがみつく前に行動を促す、ようは感じてもらうことが第一なのに。。。と。



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苦言を言います。

あほでもできるように、あほでもわかるように、事務化・システム化が進みます。
感性で伝わるはずのものでも、あほでもわかるように事務化・システム化されます。
ですが、その事務化には、手間がかかります。できる人間がバカを見ます。苦労を強いられます。

でもこれでは、、、あほはあほのままです。感じることができません。
でも、あほを満たすことを止められません。止まることがありません。
これが、踏ん張るということです。
これが、しがみつくということです。



踏ん張る理由。
ここまででだいたい伝わったと思いますが、、、
まじめに紐解いていきますと、、、、









負い目があることを我慢して、
何かにしがみついてるから。




負い目があるのに、ゴマかして、もみ消すその姿勢に、
多くの方々が、悲鳴を上げるのだと思うのです。




でも、、、動作でいう今回のかっこいい「ライディング」のように、
時間とも重力とも調和してしまいような、
つまりは、、、いばらを初めからかいくぐりさえすれば、、、

踏ん張る必要もなくなるのです。



そもそも、踏ん張るのは、、、強がってるからだと思います。



そして、、、強がってるわけだから、、、自分にウソをついて、我慢させ、
事務的な何かにしがみつかせている。そう思うのです。
「筋力」にしがみついたり、、、
「根性」にしがみついたり、、、

それでもしうまく行かなければ、、、自分には手厳しい評価を下し、自分を責めます。



トレーニング指導も私は来年、ついに20周年になります。
いろんな人をみてきました。そして自分も、成長させてもらいました。
その経験だけで申しますと、、、若かった私も含め、、、「踏ん張りすぎてたな、、、」

もちろん、
何もしなければ、、、何も変わりません。
ただ、、、それを気負いでやってしまう。そういう例がほとんどのように思えたのです。

もっと力があれば
もっと根性があれば

じゃあ、、、
力がない
根性がない
を認めてしまえばどうだろうか???

それだけで、、、何かが変わってこないだろうか???
心が軽くなって、、、行動形式に変化が生まれたりしないだろうか???
少なくとも、、、「自分を愛せた」ことになりませんか???

これ以上、、、しがみつかなくても良くなりませんか???

じゃあ、、、愛する自分を満たす手段を、探そう、行動しよう、って思えてきませんか???
いばらを避けよう、とか。

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あほでもわかる世の中では、こういうことがもみ消しにされます。
あほでもわかることほど、怖いものもありません。
それだけ「我慢」し、踏ん張ってしまい、しがみつかせているから。



世の中と争う気はありません。
ただ、あほのままにさせる踏ん張りをなくしたい。
世間があほでも自分には関係ないし、自分はこうありたい。感性であふれていたい。

それが、、、「私の動き」「私が編み出した動作法」なのです。

そして、、、
いばらを踏まないように、、、「ライディング」をしてしまう。
踏む前に、、、「ライディング」してしまう。かっこいい「ライダー」に。

動作ばかりか、自分を持つというそういう気持ちや感情だけで、、、
行動や考えがシンプルになり、自分に優位になれ、あわてなくなります。
あわてなくなることで、ものごとも良く見えてきます。
ものごとの具体性までわかるようになってきます。あほではなくなるのですから。

踏ん張る。しがみつく。
これで、自分が持てるでしょうか???あほのままですよね。
だから、具体性が欠けてしまい、丸投げの質問にもなってしまう。

たしかに今の世の中、人を、しがみつかせたり、踏んばらせてしまうものだと思います。
あほにやさいい世の中ですから。
だからこそ、、、少しづつ、、、やわらげていくのです。

「白か黒か」・・・・いきなりつっかえ棒を取り払うような判断になるのも、
踏ん張る人やしがみつく人、あほな人の例だと思う。
少しでもできたら、良し。その継続です。私の指導は、そこを求めています。

実際に、治療やお薬でも、徐々にやわらげていくでしょう。




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私のブログの頻度が増したのも、そういうことじゃないか、、、って。
でも、、、
「私はこう感じます」「私はこう考えてます」「だから私は、こうします」
これは謳っていきます。でもそれ以上のことはしない。今までどおりです。

ただ、、、、頻度はやっぱり減らします。

そして、、、あほあほあほあほ・・・・と散々申しましたが、、、信じていますから。



あほになりたくない人だって
いっぱいいることも!!




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たかがトレーニング。

たしかにそうです。
でも、筋肉や神経系のことや呼吸器循環器系のことだけを考えているのではありません。
その中に隠されている行間を、私は読み取るようにしています。あほから脱するためにも。

でも、、、そういうことは、、、

運動・トレー二ング・スポーツを問わず、

さまざまなことに共通する部分も持ち合わせていると思います。




そして、、、しがみつく前に、行動しよう。




つまり、、、感じよう。
我慢ではなく、素直に感じよう。
それが自分を愛することになると思います。あほから解放されることになります。




すべてはそこから始まるような気がします。




重りという「相方」は、、、、




どんな自分でもわかってくれ、寄り添うように見守る「もうひとりの自分」が姿を変えたもの。




そう思えてなりません。




少なくとも、、、重りとしてだけではなく、
もう一人の自分がほんとうにいるような気もしなくはないです。




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来年もどうぞよろしく。




「達観」がスローガンです。




ライダーになりませんか???





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