前の記事ですが、一部削りました。
挙げる速度や降ろす速度についての内容です。
伴走、という言葉は、どうも自分を硬くします。合わせる、ではなく、合うのです。

繰り返しの話になりますが、学ぶ=真似るではありません。
これだと、感じることができないし、そもそも真似る相手と同じ感性がなければ、叶いません。
同じ感性じゃないのに真似れば、、、どうなるでしょう。。。苦痛でたまらない義務感になるでしょう。

だから、、、落下の速度に合わせる、というのは、自分を硬くします。
それよりも大事なことって何でしょうか???



重りを感じること。(重さを受けた)自分を感じること。今を感じること。



つまり、、、認めることや自分に寄り添うこと。そこだと思います。
その結果として、、、下がりながら挙がってしまい、下がることで上がっていき、
でも下がるわけではなく、、、下げたり上げたりが自在になる。

厳密には、感覚で申せば、、、

下がりながら挙がる、というよりも、
下がるだけ、落ちるだけ、とそこで止めてるぐらい。
なのに、、、って感じでしょうか???


結果として、、、重りの速度に背いた動きを自分から自然と避けるようになる。
言い換えれば、、、頑張って動かすことがなくなるので、、、うまくいきます。
合わせる、という思考だと、感じることがおろそかになります。
真似てはいけないのです。

頑張らない選択。心地良い選択。
それは、、、重いと認めること。つまり「感じること」。
認めたことで、、、自分が軽やかになります。「そうかそうか!そうだったんだね、ムリもないよ」

その「軽くなった気持ち」が、そのまま動作に反映されるものではないでしょうか???




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