スポーツ補強の目的、ダイエットやからだ作り、コンディショニング、など、
さまざまな目的でウエイトトレーニングが用いられます。
でも、、、ウエイトトレーニングは、
「力を入れるもの」「筋力を出して挙げるもの」「きついもの」「耐えるもの」

これが当たり前になっていませんか???

・・・・

世の中、感じる暇を与えずに、「それが当たり前だ」とする勢いも感じます。

トレーニングは、苛めるのが、当たり前。
頑張るのが、当たり前。力で逆らう・闘うのが当たり前。
カタチどおりに従うことが、当たり前。
みんながするから、、、当たり前。。。

そうやって他人からの目線が軸となって自分が決まってしまう。
だから、すでに、自分を感じられず、考えてしまっていて、
さらにひどいのは、そういう思考がどんどん複雑に進化していく点です。

つまり、、、その当たり前の先には、、、
「しなければいけない」「してはいけない」
「したほうがいいのでは」「しないほうがいいのでは」
「すべきなのか」「すべきではないのか」
という思考が待っています。どんどん迷いに嵌っていくのがわかると思います。

本心から遠ざかっていくのですから。


そうやって情報社会ができあがります。思考をどんどん複雑にしていくのです。
でも、、、「当たり前」に慣れた現代人だから、、、ニーズに応えたもの、という解釈になる。
迷わせてばかりななのに、それが深いことだ、みたいになる。

そういう「当たり前」ばかり指導者に求めてきます。

だから私は、、、ときに、、、寂しくもなります。

大多数の人は、、、「学ぶ=真似る」という「他者目線」になっていると思います。
私は断じて、、、真似てはいけない!!自分で感じるのだ!!と語ります。
真似るから、、、自分を見失って、感じられなくなるのです。


質問ひとつとっても、、、
まるで丸投げで、要所要所の質問じゃなく、いきなりすべてを求める返答に困るケースもあります。
でも、自分を持っていれば、聴き方も、「ここまではわかるけど、ここがわからなくて」となるものです。
自分がないから、感じてないから、カタチやマネや模倣を求めるのです。そこに意志はありません。

・・・

やはり、、、自分は、、、感じていたいのです。自分でありたいのです。
「したいから、する」「したくないから、しない」と感じた上での意志でありたいのです。

自分であることのすばらしさを、、、みなさんに伝えているのです。

だって、、、複雑に入り組むこともなく、とってもシンプルなんですから。

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メカニズムも、当たり前目線のような複雑さは、ありません。
義務感ではなく、、、それは自然に叶うことでもあるわけです。
「ねばならない」「したほうが」「こうあるべき」という迷いが、注意点を増やします。

でも本質は、どこにあるでしょうか???
知識ではなく、知恵にあるのではないでしょうか???
重りを感じる。受ける。挙がらなくてもいい。まずは受け容れる。

挙げるのが当たり前、、、じゃないんです。
挙げるために、あちこちを意識させたり、あちこちを筋収縮させたり、、、じゃないんです。
挙げてもいいし、挙げなくても良い。それぐらいの中庸が、挙がることにつながるのです。

姿勢ひとつとってもそう。。。
まっすぐ固めなければいけない、じゃなく、
自然にしてればまっすぐになるから、そのままで。。。

あとは、

重さを感じる。
素直に感じる。
からだで感じる。今を感じる。自分を感じる。

それだけなんです。そうやって受けるから、、、その重さをダイレクトに受け容れるから、
逆にその重さが、ゼロkgに近い感覚になったり、逆にアシストしてくれたり、、、
といった感覚になるのです。



感じるにも、、、考えていては感じられませんし、力んでいては、感じられません。
余計な何かを起こさなくてもいい。力を入れなくても良い。
こういう観念を、磨いていくのです。ウエイトトレーニングで。

したほうがいいのでは???しなければいけない???こうあるべき???じゃないんです。



当たり前じゃないでしょう???



感じ方ひとつですからね。



その感じ方が継続とともに日々進化していくわけなんです。
何をやったか、ビッグ3をやった、、、とかじゃなく、
どう感じてやったか、ということです。

その上での種目です。




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