先日は、鍛えるだけでどんどんケガの不安がなくなっていく話をしました。
次にお伝えするには、また別の話で、これもよくお客様から聞かれる声で、

「今まで、逆に、頑張りすぎてたんだな、って気づかされました」
「この程度の頑張りなのに、今のほうが明らかに変わってきている」
「頑張るって、こういうことだったんですね」
「結果を出すって、テレビでやるようなきつさに耐えるような悲壮感とかじゃないよね」


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あれ、、、これでいいいの???



そういう声です。これは、運動強度もそう。量もそう。知識もそう。
運動指導者だから、専門的な知識全快で、、、科学的に考えられた、、、
そういう期待には応えません。

指導者という立場でいう「ねばならないようなこと」は、どうでもいい話で、
「してもいいし、しなくてもいい」のです。
私は、人がどう思おうが、考えはひとつ。



「楽しさを知る人間として、伝えたい」



だから、限りなく専門用語が出ない。教えない指導者、ともいわれたこともある。
でも、、、心に響くような伝え方をしている。
ぶっちゃけ、、、デッドリフトをやるお客様が、デッドリフトという名前を知らない例だってある。
「ハムストリングス、、、何???」みたに。でも、他と比べたら、圧倒的に運動効果が違うのです。

そして、、、追い込まない。代わりに、充実した豊かな動き(*)でやってもらう。
そもそも、量が増えるのは、自己信頼のなさからです。
自己信頼を高めることを、うちはやっているのです。


筋肉痛を感じる動き方じゃなく、どこも使っていない動き方。
どうも鍛えるというと、「頑張らなければいけない」という響きがある。
だから、それに抵抗を感じて、ヨガとかに逃げたり、ウエイトトレーニングは使えない、とか。。。

ウエイトトレーニングだって、やり方はさまざま。
あえて言わせていただくと、論理で動かすものではない。
体を機械のように把握した時点で、頭でっかちです。

エンジンとかポンプとか、そうじゃなく、どうせ捉えるなら、変電所みたいな感知。
違和感を整えてくれるような調和に喜びを感じたり、
そこしかない、というポジションやタイミングに出会えたり、

そういう心地よさを体で感じること。それがウエイトであって、エンジンやポンプではないはず。
エンジンやポンプは、体の外にあってもいいぐらいです。
学術的だったり、ま、本に載ってないことを教えるのが指導者とはいえ、
学術性を増したそういう期待を求めるのでしょうか。。。

でもそうだとしても、私は私の期待にしか応えません。




学術性をぶち壊す。




運動を心から愛する人間としての、最大のやり方です。




そして、、、人として、自己信頼ある行動をしてるだけです。




(*)充実した豊かな動きについて

教科書的でカタチに当てはめた融通の利かない暗記物の強要ではなく、
自由でありながら、どこか豊かで自然で心地良い、
考えられた動きじゃなく、感じられる動きのこと。

文体だけはきっちりしてるけど、いまひとつ心に響いて来ない手紙じゃなくっ、、、てことです。




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