「こいつ、苦手だな」と思ったその相手も、同じことを考えている。みたいな。
「この人、感じのいい人だな」って良い印象を感じたとき、相手も同じことを考えてる、みたいな。
そういうことは、音叉の振動のごとく、、、ですもんね。。。

また、そのときの気分如何では、感じ方も変わり、見た印象も変わります。
同じ言葉を受けたはずなのに、攻撃的に見えたり、逆に親しみに見えたりします。
そういう気分も音叉のごとく、、、にもなるでしょうから。

やはり、リラックスは、最強の薬だと思います。
つまづくときは、たいてい、、、どこかに力が入っています。
腕ががちがち、、、胸が苦しい、、、みぞおちのあたりが、、、

リラックスできてたとき、そういう感情でいるとき、思考も冴えます。
間違いなく、自己信頼が高い状態ではないか、と感じるのです。
呼吸ひとつでも変わります。
うちでいえば、、、なんとウエイトトレーニングで、リラックスが叶います。

感覚的で、感情を大事に。。。

それで大丈夫なの???
そう思う大人の方は多いでしょう。思考で感情を封鎖してるのです。
でも、だからこそ、、、判断基準がとても明確です。



「それが、、、好きか、嫌いか」



多くは、はじめこそそうだったかもしれませんが、
いつしかそれが以下のようにこう変わっていくのです。

「したほうがいいのでは???」
「しなければいけないのでは???」
「してはいけないのでは???」



でも、、、

「それが、好きなんですか???」

って問われたら、、、ぐきっと的を射抜かれた気がしませんか???




でもね、、、嫌いでもいいんですよ!!嫌いになっちゃいけない、なんて言ってません。
ただね、、、深層はもう嫌いで嫌で嫌で、、、なのに、表面上では好きなフリをすることが問題。
ようは、、、うまくできたから好き、、、ならば、できなければ好きではないってことでしょう???
ほんとに好きならば、、、「うまくできなくても好き」だと思いますよ!!



「うまくできない」
それを責める人もいます。そこで、うまくできない自分を責めたりしてませんか???
でもこういう人もいるでしょう。。。「それが向上心なのでは???」

でも、身体の反応は、素直な反応なんですよ!!

身体の調子だってそうでしょう???
乱れれば、素直にでるでしょう???
真っ先に、、、身体に!!正直に!!

それが正直な反応だと思って、「うまくできない」その反応を認めればいいのです。
そもそもそれは、身体の悲鳴でもあるからです。そんな動きは、いやだ!と。
そこで威力を発揮するのが、、、「それが、好きか、嫌いか」に素直に反応すること。

うまくできる、というその「基準」って、、、何でしょうか???

100%できることでしょうか???
カタチどおり正確に、、、ってことでしょうか???
そのカタチって、、、頭で考えたカタチって、、、本心からの理想ですか???

繰り返しますが、、、身体の反応は、正直です。
「したほうがいいのでは???」という本心を我慢させること。
そういう行動になってしまったことが、一番の原因だと私は感じます。

好きか嫌いか、

嫌いであったならば、その範囲のなかで、できることをやろうとします。
嫌だと認めないで、好きだと思い込ませたりして、「したほうがいいのでは」ではありません。
ですので、1%でも向上してたら褒めますし、
時間をかけてゆっくりムリしないようにやると思います。

また、好きであるならば、その好奇心から、発想も変わります。
「しなければいけない」ではありませんので、カタチよりも内容を重視するでしょうし、、、
その基準とする「できた像」そのものが、変わっていくことでしょう。
もちろん、、、できなくても好き、が基本ですから、、、自分へも褒め上手!!



ウエイトは、こんなふうに発揮義務をなくし、操作義務もなくし、自由でありながら、楽しく叶うもの。
自分を持ち、リラックスするからこそ、対人である「バーベル」を見ても、自分を見失わないのです。
だから、、、

力を、入れない
何かを、しない


それが好きな人の発想だということです。

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最後に、、、




「したほうがいいのでは???」

胸のあたりが苦しくなってきませんか???



「してもいいし、しなくてもいい」

どうです!!
こういうリラックスから、できた、という意味も一段違った意味を持ち、
できてない、にしても、また、前向きな意味を与えたりするのです。



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