繰り返しますが、、、
ウエイトトレーニングにしかり、こういう運動にしかり、
力で解決するものではありませんし、自分を苛めるもの、苛めるためのもの、でもないはずです。

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「重力をどう受けるか」



ただそれだけです。



たしかに「運動-栄養-休息」のトライアングルは歪めません。だからといて、
休息や栄養があるのだから、その「運動」では、思いっきり苛め抜いていいものだ、
とするのもどうなのか???

このような「トレーニング=苛めるもの」という発想が、
あたかも自分を「犠牲者」に仕立て上げるのでしょうか。。。
そうやって、重りや重力を敵視していると、肝心なものを拾えなくなります。そう思います。

まるで、人の善意さえも感じ取れず、悪意ばかりに目を研ぎ澄ませているみたいで。。。



私が思うに、、、



トレーニングでは、あるいはかかる重さ(過負荷)は、その善意を拾うためにあるのだと思います。
もちろん、はじめから「心のない感謝」をするのではありません。
そういう人らには、、、感覚や感情が足りないのだと思います。
具体的には、、、自分を感じ取れない。。。アイメッセージが足りない。。。「お前が・・・」「お前が・・・」

でも、、、ちゃんとアイメッセージがある人は、
たとえ相手を見ていたとしても、そのなかに必ず自分がいます。自分を感じています。
「来てくれて、、、嬉しかった」「その笑顔が見れて、こっちも嬉しい」みたいに。。。

体で感じる身体感覚って、、、こういうことだと思うんです。

重さがあったとしても、そのなかに自分がいる。
だから、、、変に重さにたいする敵対心はないんです。
でも、、、重さを軽視しているのでもないんです。
しかも、、、ちゃんと受け止めたら、、、心地良いものでもあるから。。。

あくまで「重い」ってだけであって、
「重りが攻撃するから」
というユーメッセージではないはず。ただ、、、「重かった」だけであって。

でも、、、自己信頼が高ければ、、、
重かったとしても、大丈夫。重りが攻撃するんじゃなく、自分がどう感じるか、だから。
と、自分を信じられるものです。軽視でも支配でもなく、信頼関係。。。



自分の筋を意識する内的注意では、自分への犠牲者意識にほかならない。
これは、自己感覚というよりは、我慢の感覚だと思う。そういう内的感覚は、我慢の感覚だと思う。
うちは、外的注意といって、重さ側に注視しますが、重さを支配するのではなく、
互いの「テリトリー」を守って、通じ合う感じ。。。でしょうか???



テリトリーを犯す攻撃や犠牲ではなく、トレーニングはそういう強化ではなく、
テリトリーをお互いが認め合うことで、ふさわしい付き合い方になっていく。
支配・被支配の関係から卒業し、認め合う関係に。。。



認め合うからこそ、、、善意を拾えるのでは???



私のトレー二ングは、気づけばそういう方向性に向いていたのだと思います。
「これははじめてだ」とか言われることはありますけど、
それはきっと、、、トレーニングにたいする硬い思考(固定観念)を超えたものだからです。



犠牲者意識になって、身体意識や筋力で「やられたらやり返す」という発想から脱皮することで、
「一段高い何か」
が開けると私は確信しています。





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