ほんとうは誰しも、「(誰かや何かとの)一体感」を求めていて、
それが満たされたときに、喜びや楽しさ、嬉しさがあるんじゃないか???
孤独には耐えられない我々です。

だからこそ、それ(一体感)が満たされないときに、悲しみが沸いてきて、
それが変形して、怒りや憎しみに変わっていくのでは???
これってまさに、、、ウエイトトレー二ングのことを差している、と思えてなりません。

重りとの一体感が満たされないことで、あるいは一体感が満たされないものだと諦め、
諦めという我慢が、悲しみを超え、怒りや憎しみとなり、闘う姿勢になってしまう。
そうやって、挙げる動きが、、、重りや重力への挑発的な姿勢になる。

あるいは、初めから一体感を求めず、闘う姿勢。
もしくは逃避する。
支配しようとする。もしくは支配させられる。

力が抜けているほうが、動きがキレるし、パワーも出るのですが、
一体感があるから、それが叶うのだと私は考えています。
そもそも、、、重りを支えるのに、力を入れる必要があるでしょうか???

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かといって、、、重りにこびるのではない。重りに合わせる、という感じでもない。
というのは、、、重りを支えるのに、力を入れなくても良いし、何かをする必要もない。
いいえ、、、何かをしないことで、それが叶うぐらいです。

挙げない。しゃがまない。曲げない。伸ばさない。固めない。などなど。。。

大事なのは、、、「自分が自分の意志で、どう動きたいか」

それが、闘ってでも重りや重力を伏せたい、であれば、話は変わってきます。
敵にしたい、戦いたい、、、。
ただ相手は、、、自然ですので、勝てないはずですけどね。。。

でも、そうじゃなく、、、「心地よく動きたい」「うまく動きたい」であれば、
その意志を尊重することです。そうしたほうが、重りとの一体感が生まれるのです。

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重りにいやでも合わせる、とか、重りの機嫌を取るとかではなく、
自分の意志で「どう動きたいか」をはっきりすること、だと思います。
それでも「苛め抜いて」というのであれば、私が出る範疇ではありません。

しかし、、、苛めずスムーズで、自分を大事にできる動きや行動を目指すなら、、、
そういう意味での一体感を求めればいいのでは???
「自分を大事にすることで、重りからも味方してくれる」

そういう鍛え方。

支配・被支配という関係から解放された、そういう一体感。



何でもかんでも苛めればいいのではありません。



ただ、、、あまりにもそういう見方ができない世の中だと思います。
一体感を諦めて、別のものに走るのもそうです。
しかしそれでも、、、私は、その一体感、理想の一体感をこれからも追い続けたいと思います。



補足はこちら



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