運動やスポーツ、いいえ、、、ウエイトでもそう。
リラックスが大事で、自動化させて自然に動くことがいちばん。


力を、入れない
何かを、しない



これが基本になります。


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だから、単刀直入に、、、
力を入れて強化してたら、失敗します。
力を入れない知恵を育んでこそ、成功します。

あるいは、、、

「スポーツでは力を入れない、でもウエイトや強化では力を入れてる」
こんな面倒なことはやめて、ウエイトも力を入れずにやればいいのです。
理由ですか???
「力を入れない、ってことを、自動化させるためです」
「力を入れない体としての体づくりもできるからです」



力を入れさせる強化は、うちはしません。
力を入れないことで、挙がる・動けるってことをやっています。
そして、そうした動きで体づくりをしています。だから、抜群のコンディションが手に入るのです。




最後に、、、、

・力を、、、!入れない!
・何かを、、、!しない!
というふうに、、、「、、、」とか「!」を入れて読むと、ニュアンスが響きます。

また、、、あえて「何かを、しない」というふうに、「何か」にしたのだが、
「何もしない」では、ほんとうに何もしなくなってしまい、誤解にもなる。
「何か」にすることで、、、「何か」が「何」であることが、実践で気づくのです。

つまり、、、「これを、しない」というふうに決めてしまうと、「・・・ねばならない」になるでしょう。
それが「硬さ」です。でも、そうじゃなく、決めないこと。
「やってしまったこと」「やってしまいがちなこと」・・・・そのときそのときに「感じれば、いい」のです。

これが、先日書いた「当たり前を捨てる」って記事の話です。

こちらからあえて、「これをするな」とは言いません。しかし、余計な動きは、人に寄って違うし、
だから、こちらも「選択肢」を与えているのです。そうすることで、「自発性」も芽生えるし、
こちらも見返りを期待してないから、「良く気づきましたね!」って褒めてあげられる。

ようは、「これこれこういう身体意識をするな」って言ってしまったら、逆にやってしまうでしょう。
あるいは、ニュートラルにもなれず、リラックスも奪うし。これでは「感じられない」「判断力の低下」
「何か」が何であるかは、その人次第。だから、、、軽く感じ、素直に取り組めばいい。

当たり前、って決めてしまうと、、、
かえってこちらも強制、受ける側もぎくしゃく。感じない。自主性ない。
それを避けたい。当たり前を壊すのです。双方が、自主的に、自分中心に、行動できるように。

選択肢の提供と、自主性。そして、互いの心地よさ。

それが大事です。




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