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「当たり前」って言葉を、、、捨ててみたんですね。。。



「できて、当たり前」「やって、当たり前」



そうやって自分にも他人にもハードルを上げてきたんじゃないか???って。



むしろ、、、やったことやできたことを奇跡なぐらいに捉えてみる。
そういえば俺の指導は、、、年々褒める指導になってきたけど、
「当たり前」を捨てた事が大きいかな。

できなかったことを責めて、自分の価値を下げるんじゃなく、
むしろ、「小さなできた」を喜べる自分になっていて。

当たり前当たり前ってなると、自分にも人にも厳しくなるし、責めてばかりになる。
人の心は、関心が行ったほうへどんどん注目していくことになるそうだから、
そのマイナス思考が、火に油を注ぐばかりに、炎上します。

どうせ炎上させるなら、プラス感情のほうにしたいよね。



また、、、今までのことや今のことを見つめ、今まで当たり前だと思ってたことも、
当たり前じゃないんだ、って思えば、、、
どこかこう、、、自分をいたわってあげたり、人もいたわってあげられたり、できないだろうか。。。って。



俺もこういう指導やこういう自然を大事にする動作や強化を指導するようになったのも、
「当たり前」っていう「高いハードル」を下げたからだと思います。
追求してきたのは、、、その「当たり前」よりも低いハードルのことですもんね。

なのに、当たり前当たり前と、動作を見直すことなしに、
新しい何かを意識づけたり、
新しい何かを課したり、
してるわけなんですから。。。だから、、、他人の指導をどうこう言うつもりはないけど、

見てて、、、

「どうしてこんなにも厳しいんだろう」

って映ることが多いんですね。



次に、

できない人にとって、当たり前って言葉が、「いちばんきつい」
その目線から浴びせられる一言が、、、「すっごく応える」
自分もありますし、逆に若い頃、人にそうしてきたかもしれません。

「当たり前」は「思考」です。「感情を殺す言葉」です。
でも、、、ほんとうに向き合うべきなのは、「感情」です。
「当たり前」から脱して「感じた」その「感情」です。

そういわれるのが、、、つらいんです。どうしようもなくて、、、とても悲しいんです。
今自分にやってあげるのは、「当たり前だから」と自分の感情を殺すことではなく、
「そういわれて、つらいよね」「今、とっても悲しい気分なんだ」「ムリもないよ」
とか、そう自分を認めてあげること、ねぎらうことだと思います。

通信簿に「視野が狭い」と書かれた中学一年のころの私。
だからお前はダメなんだ、と罰する・否定するんじゃなく、
「ひどい!!」ってそのとき、言って欲しかったんですね。

あとは、当たり前じゃないから。その当たり前は、いい加減な基準でしかない。
そのなかでも、小さな「できたこと」はあるはずだし、
短所も味方を変えれば、長所になる。「孤独が悪いわけじゃなく、それだけ集中力がある」とか。
長所をもっとみつめ、そこを伸ばせば良いんだ、って。残った短所は「かわいさ」になってしまえ!



最後に、、、

その当たり前、っていうのも、ある意味、、、自分をサボらせている。
だって、、、自分で感じようとせずに、、、他人任せでしょう???
今の情報源がそうでしょう???ニーズニーズって、いうけど、、、

その「当たり前」を壊さなければ、、、いつまでたっても「カタチ」「カタチ」になっちゃう。
個性をバカにする「うざい優等生」を量産させる。
どうしてみんな、、、感じないのか???考えて結果を先に求めてしまうのか???

「当たり前」という呪縛に他ならないと思います。

また、「当たり前のことを当たり前にやる=プロ」だと言う人が一番とっつきにくい。
そう感じませんか???もっとこう、見返りを求めず、愛を差し出していけば、と思います。
そのなかから認め合うことや信じあうことも芽生え、感じて行動することさせることも芽生えるものです。



・・・


「当たり前じゃないんだ」



そこから色々と、見える世界が違ってくるかもしれません。



少なくとも、、、自分を擁護したり、励ましたり、成功癖がついたり、
あるいは、、、心もどこかタフになったり、
あるいは、、、ふところが深くなって、人として大きくなれるかもしれない。




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