ちいさな勇気
中庸という考え方



ここのところ触れていた「どういう気持ちが、、、どういう行動を生む」というその「気持ち」について。
それをわかりやすく紹介したのが、上のリンク記事ふたつになります。
私が理想としている気持ちのあり方は、、、遊び心であったり、純粋で計算がない感じだったり。

つまり、、、「ねばならない(という思考)」がないのです。

「やらねばねらない」という気持ちってことは、
「やりたいのか」「やりたくないのか」どっちに位置するか、感じられるでしょう???
「やりたくない」のです。

こういう状況のままやってしまうぐらいなら、やめたほうが良い。
他のトレーナーをお薦めするのも、そういう理由から。

ましてや、「感じなければいけない」って思考だと、ますます大変です。
感じる前に思考してしまうだろうし、その思考で感じようとするから、難しくなります。
誤解の平行線となります。



でも、、、変わりたいんでしょう???



でも、、、変われないとか難しいとか逆の思考をしてる。



そこで「中庸」という感じ方。
「やってもいいし、やらなくてもいい」
動きは感じること。でも、感じよう。感じなければいけない。じゃなく、

「できてもいい、できなくてもいい」

そういう無償の気持ちから、無条件に感じることができ、楽しくなっていくのです。



また、「やってもいい」「やらなくてもいい」
これはつまり、
「やりたいから、やる」「やりたくないから、やらない」ということでもある。


だから、、、やりたくないんなら、、、やらないのですからね。。。
だから、、、やりたいんだったら、、、本気本心からでやりたいのです。

それぐらい「手放す気持ち」になれば、、、逆に色々感じやすいし、楽しくなる。
義務感でやるぐらいなら、やめたほうがいいし、やりたくないんだ、と認めることです。
認めてあげるのです。このほうが、「自分の感じ方が磨かれ、自分を大事にできます」

そして、「やってみたい」と思ったときに「やればいい」のです。

でも、気持ちはゆるく、、、あるいは「できようとしなくていい」
基本は、、、「やってもいい」「やらなくてもいい」
私も、、、「できなくてもいいですから、、、」と先に言ってることが多いぐらい。

「できなければいけない」その気持ちが、
「感じることを奪い、誤った模範解答を求め、自滅させる」のです。
運動は、ワンダーランド



結局、、、気持ちにはふたとおりしかなく、



「やりたい」「やりたくない」のふたとおり。



官僚的でエコノミックなシステム化や情報社会では、後者が化けた姿でしかないと思うし、
温かくマニュアルを超えた価値観や受けたおもてなしなどは、前者がありありと出た姿だと思う。
考える大人は、気持ちに不純で迷いがある思考派左脳派だと思うし、(前者後者はっきりしない)
感じる子供のような人は、気持ちに素直な感覚派右脳派だと思う。(前者後者がはっきりしてる)

やりたくないときはそうだと認め、やらないことも、大事だと思う。
だから、、、やりたいときは、、、ほんとうにやりたい!!って気持ちなんです!
でも、、、基本は、、、どっちに転んでもいい、、、ぐらいのゆるい心。だから、、、やれるんだと思う。





[広告 ] VPS




そもそもの誤解が、、、
力を入れなければ挙がらない
意識しなければ挙がらない

という誤解。

いいえ、もっというならば、、、
挙げなければいけない
挙げてやろう!としなければいけない

という誤解。

これだと、、、力みまくりでしょう。。。そういう気張り方に問題がある。
でもそういう気張り方を毛嫌いした「身体意識」でもない。
「そういう思考」「感じない思考」に問題がある、と言っているのです。



だから、、、まずは重さを「感じる」ことであって、
「挙がってもいい」「挙がらなくてもいい」
という無償の気持ちだからこそ、、、力を拾えてしまうわけであって。。。

それが、、、私のいう「落ちる」という動きの正体です。
感じるだけなら、、、楽しくできる。
そこ(感じること)から湧き出る世界(なぜか動けてしまう)への誘導を、私は現場で行っています。



関連記事
スポンサーサイト