世間ではどのように考えられてるか、ということは、ここでは申しません。それへの賛否はしません。

「私はリンゴが好きで、世間や他の人はみかんが好き」

ということと一緒だから。「私」と「世間」を分けて考えています。すると、心も軽くなるし、傷もつきにくい。
同一視や比較をしたりするから、損得や勝ち負けになってしまい、傷つくのです。
(値段で比較したり、いい加減な価値観で比較したり)

「世間や他の誰かがミカンで、リンゴを選んだ自分が変わってる」とか、
「変わった自分にアイデンティティを感じる」とかも、
ほんとうは違ってて、、、あくまで「自分は自分」「他人は他人」として「分けて考える」のです。



ではその「リンゴが好き」という私の目線で「ウエイトトレーニング」を語ります。
第一に、感じることが大事。やり方以前に「感じる」
でも、「感じる」といいながら「力んでいては???」感じられません。

だからあえて、、、力を入れないようにしてみます。

すると、、、重さを、、、しっかり、、、感じられるはずです。
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でも、、、力が入っていたりすれば、、、重さを感じられず、力で持ってしまいます。
「それでいいじゃないの???」
「そういうものじゃないの???」
そうかもしれません。それをフィジカルっていうのでしょう。でも私は目線が違います。

なぜなら、、、見栄を張っていると“感じられる”から。


ここで、わかりやすく、けんだまで比較してみたいと思います。
正式なけんだまって、意外にも「重い」んですよ。。。でもこれ、、、力んでいたら、、、わかりません。
感じられず、考えて動きを作ろう(繕う)としてしまいます。このことを、以下のふたつの動画で比較。

正しい例・理想で適切なほうはこちら。
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失敗例・不適切なほうはこちら。ですが、最後だけ成功例にしています。
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多くが、感じることなしに、いきなり「考えてしまう」

・たとえば「連動」を考えたり
・たとえば「指令」を行き届かせたり
・たとえば「体幹」などを意識させたり

そういう先入観から感じることはありますよ。心理学では「思考が感情を生む」とされてるぐらいですから。

でもそういう「偽りの感情や感覚」ではなく、「思考が先に来てしまった加工された感情や感覚」ではなく、
思考をなくした「無条件に湧き出るもの」「最初で天然の感情や感覚」「素顔の感情や感覚」がありき。
その感情や感覚から、、、思考や意志が芽生えます。

感情や感覚が先、だと思うのです。
それがあっての意志だと思うのです。
だから、、、とっても素直。

重いとわかる、重いと認める。重さを認める。
じゃあ、、、どうやってあげようか???
いや、、、すでに挙がってるじゃないか???

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ということが、わかるのです!!
噛み砕けば、、、筋力を使って見栄を張らないで挙げたいわけでしょう???
じゃあ、、、助けてもらえば???

ここが、分かれ目です。

動きの巧い人は、、、これができる人だと思います。


じゃあ、、、何に助けてもらいましょうか???
じゃあ、、、どうやって助けてもらいましょうか???
動きたいわけでしょう???キレイに降ろせ、キレイに挙げたい。しかも無理がなく。

あるんじゃないですか???そういう力が、、、
少なくとも、、、重りと呼吸が合えば、、、

自分で自分で、、、と感じずに筋力で挙げる人は、、、呼吸が合っていません。
呼吸があえば、、、そういう力を無条件に拾えているのです。
まずはここからでしょう。。。



重力を受ければ、浮力が拾える。
少なくとも、、、重りと呼吸があえば。。。自然と。。。



呼吸が合わない、感じないから、、、動きを加工しなければならず、無用な負担も強いられます。
それを強化だとし、それでフィジカルが育まれる、としているのでしょう。間違いとはいいません。
しかし、、、いばらをあえて選ぶ必要性を自分は感じないだけのことです。



繰り返しますが、、、リンゴが好きかミカンが好きか、というだけのことで、
リンゴを好きになることが正しく、ミカンを好きになてはいけない、という話ではありません。
そういう他人の考え方自体は、尊重しています。だから私も私で、自分を尊重しています。

思考で感じるのではなく、、、
感じ方を鋭くしよう、、、と考えるわけじゃなく、
「無条件に感じる」

感じるには、力みは厳禁。考えることも力みです。実際そうでしょう。。。硬いでしょう。。。
もっとやわらかい弛緩さがあって、そういうゆとりから、はっ!と湧き出る。
うちは、そういうことをやってて、、、だから、その空間がどこか「ワンダーランド」になってしまう。

「ランド」になってしまう。



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