今回は趣向を変えて。少し自分について語ってみようと思いました。

現在はゴールドジムでパーソナルトレーナーとして活動させてもらっている。もう10年ぐらいやっている。しかしかつては自分も、某フィットネスクラブでジムトレーナーのアルバイトとしてスタートした。当時から目指す方向性があったのに大学受験に2年失敗し、妥協で信用組合に入社し4年後に退社、両親の猛反対のなか、24歳での夢見るフリーター生活が始まりました。

素人同然。そういう学校にも教育を受けていない。
しかし自分にはなぜか、“根拠がないのに”確固たる自信がありました。

「大学4年間でできなかったことを取り返したい」
そういう思いはあった。しかし勉学レベルではさすがに取り返せない。費用もない。しかし、もっと別角度から取り返したい、いや、取り返せる!!そういう根拠のない自信だけがあり、それだけで突っ走ってきたようにも思える。とはいえ、専門書を読むのは楽しかった。受験勉強や銀行の勉強とは違い、何を読んでも楽しかった。トレーニングも週6回やっていて、つまり休館日以外。好きで楽しくて、その勢いが火の玉みたいだった。

当時はよき先輩がいて、ある種ひとつのターニングポイントだったのだが、
解剖学というか筋の位置や構造などを図解したそういう類の書籍について、言われたことが、

「こういうのは鍛える前に読むものではない。鍛えて刺激や筋肉痛を味わって初めて読むものだ」

じつは当時、そういう情報には元々飢えていた自分。貪欲さは計り知れなかった。しかし、自分も一時、度が過ぎていたのだろう。こうして先輩が諭してくれたことが、今の財産です。根拠のない自信をどう活かすべきか、その方向性に立ち返れた分岐点だったと今は思える。

今の自分を見て、自分はそうではないと自負しているが、もしかしたらスマートでシャープな印象があるのかもしれません。しかし、初めは自分も「できない人」からスタートしました。今も「できない人」です!!現在はパーソナルで熱い言葉をかけたりしているが、「遠足は、家に帰るまでが遠足」・・・みたいなアドバイスが意外にも多かったりする。

これは、「できない人」だからこそ感ずる「天性」だと思っている。スクワットでいう「ラックアップからスクワットが始まっている」いや「その前の日常から始まっている」みたいな。そこをいい加減にして、要領だけでスクワットをこなすことに、目をつぶることができないのだ。

こうした目線が配れる泥臭さだけが自信であり、泥臭くテクニックや楽を求めない結果が今の自分だ。
「わかるからできる」のではなく、「できるからわかる」。そう触れてきた。
しかし、ここでいうできるとは、「泥臭くできる」という意味なのだ。
できる前にわかる、、、というセンスではなく、泥臭くできてこそ得られると思うのだ。


情報社会。知識も豊富。それ自体は構わない。
しかし自分は、(センスで)できない人でいたいし、(泥臭く)できることを拒みたくない。
そういう部分にじつはほんとうの事が隠されている、と今になって思えるからだ。


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