2016.07.02 改・尊重
たしかに行動を選ぶのは、本人次第です。
ですが、、、
ほんとうに心に従ったものなのか???ということです。

つらいなら、つらいと認め、
相手に打ち勝つ発想をやめ、
自分を守る発想や自分を大事にする発想のほうが、、、満たされる。

あるいは、こういう状態のほうが、、、正しい判断ができる。

また、そういう人は、相手にたいしても、尊重するような行動となる。

苛め抜くことが、鍛えること。
「運動-休息-栄養」のトライアングルで考えれば、そうでしょう。
しかし、、、苛め方ってあるでしょう???

じつは、、、最近の自分の感じでは、、、こう結論づけています。



ワークアウトだから、苛められるもの



そう、、、苛められることを拒んでいるから、、、
力んだり、操作したり、ようは拒んでポジティブに頑張ろう!!としてしまう。
認めないから、、、頑張ろうとするのです。

私は逆に、、、認めて、受け容れて、頑張らないのです。
認めてるから、、、自分にたいしても、重りにたいしても。。。。。。。(略)。。。。。。。。。。
だから、、、尊重という交流ができている。そう結論づけています。


体力だってそう
構成要素に分解して個別に強化しても、大元がなっていなければ。。。
でもこれは、、、方法論のことを言っているのではない。

単なる発散で運動しても、元は解決しないし、
運動をそういうふうに考えたくはない。
これは、私の立場から本音です。



最後に、、、トレーニングとワークアウトは、違う意味。

アメリカではワークアウトが通常で、トレーニングというのは「調教」を意味します。
そう考えれば、、、目的があって「ワークアウト」するほうが正解で、
調教される「トレーニング」では実用性も欠けるのが、わかるでしょう。。。

意味なく何時間もジムにいて、やりぬいたことを自慢する。
結局それは、、、
耐えたことを自慢するという、本心や無意識では悲しい姿。

義務感でやるのはあまりお薦めできないが、
でも、受け容れる・認めるということで、気持ちと行動が一致します。
やるべきことも明確になる。

「やらなければいけない」
よりは、
「やってもいい」「やらなくてもいい」

そういうゆとりが、ワークアウトという言葉に含まれるのではないか、、、

と自分では感じます。




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絶妙な交流でしょう???
(重りさんと)息ぴったり!!みたいな。。。。




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