体力というのを“考えて”みます。
「筋力」「持久力」「柔軟性」など、、、バランスやコーディネーションなどに関することなどもそう。。。
いっぱい「構成要素」が思い浮かぶと思います。

これが、、、考えた結果です。
でも、、、何かこう、体力の構成要素を一個一個獲得する努力をして、
さあ、、、、体力ってどうついたのか???

ついたことはついたのしょうが、、、
どこかこう、、、両者のつながりがどこかあいまいというか。。。
しかも、、、考えれば考えるほど、、、複雑になってしまう。。。

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では今度は、体力について“感じて”みます。
元気さ、明るさ、生活の張り、スポーツで動けちゃった、回復が早い、疲れにくい、云々。。。。。
どうです???簡単に出てきませんか???

あいまいかもしれませんが、、、
でも、、、体力って、、、
そういうものだと感じたりしませんか???私にはそう思えます。

筋力が強くても、怪我が多かったり、、、これで体力がある!!って思えるでしょうか???
また、動けばたしかに気持ち良いのですが、
気の持ち方や覇気や活力や楽しむ姿のほうがよっぽど体力だと私には感じるのです。

見ていても、、、楽しそう、、、みたいな。。。
(良い動作なら、本人が追い込んでいても、傍からはそう映るもの)



たしかに、体力を「細分化」することが間違いとは思いません。

ただ、、、


「細分化する仕方や作法」がある。


そう思うのです。大雑把にいえば、、、


私という人間は、、、
私という構成要素で成り立っている!!



人でいえば、やさしさ、明るさ、佇まい、強さ、感受性、云々、、、
これらを一個一個隔てた細分化ではなく、
細分化しないで、マクロや全体のままが小さく砕かれる感じ。


私は、私でできている。


人の魅力と一緒で、
そこが好きだから、、、とか、「その理由だけ、、、」ではないわけでしょう???
佇まい、その人の持つ空気など、全体を見て、、、「この人!」って思えたりするわけで。。。


体力も、そういうふうな意味合いになれば、、、







細分化したとしても、体力として扱える。
そういう見方・捉え方・感じ方。
うちが、動作や調和を大事にする理由。。。

そういうことなんですね。。。

そこに「実用性」の秘訣があったのですね。。。



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考えるだけなら、こういう情報社会ですから、いくらでも考えられ、作れます。
個々を分解して、それらを個別で強化して、、、作ることもできるでしょう。。。
でも、、、情報とはあくまで、、、自分を感じることが情報源だと思うのです。




ウエイトトレーニングで調和を知る。感じる。それを活かして運動すれば、、、

体力って、こういうことじゃない!!

って気づくと思います。





もちろん、、、思考目線である程度抑えなくてはいけないこともあるにはあるでしょう。
しかし、、、、根底に「感情目線」がありき、、、だと私は感じています。






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