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2016.06.25
「好きこそものの上手なれ」に“提言”(逆説編)
先日掲げた提言。
「好きであれば、必ず上手(うまくいく)」と言い切れるのか???
「好きでなければ、ほんとうにうまくできない」のか???
このような議題を投げかけました。今回はあえて「逆説」で捉えてみたいと思います。
【好きであっても、結果が出ない場合】
【好きでなくとも、結果を出す場合】
さて、、、これまた先日(数週間前?)、「自分に集中する」という記事を書きました。
この記事を読んで、もしかしたら「こう」感じられた方も???
「自分に集中する=100%限界で頑張る」
じつはそうではない、という話から進めていき、
最終的に、その逆説の2項目へ話をもっていきたいと思います。
「好きであれば、必ず上手(うまくいく)」と言い切れるのか???
「好きでなければ、ほんとうにうまくできない」のか???
このような議題を投げかけました。今回はあえて「逆説」で捉えてみたいと思います。
【好きであっても、結果が出ない場合】
【好きでなくとも、結果を出す場合】
さて、、、これまた先日(数週間前?)、「自分に集中する」という記事を書きました。
この記事を読んで、もしかしたら「こう」感じられた方も???
「自分に集中する=100%限界で頑張る」
じつはそうではない、という話から進めていき、
最終的に、その逆説の2項目へ話をもっていきたいと思います。
たしかにそのときは、「自分には集中して」います。
しかし、焦ったり、手順を誤ったり、そういったことではありません。
むしろ、、、確実に手順を踏む!!あえていうと、、、スローモーションな感じ!!
でも、、、急いでないのに、、、できている。
そう、、、頑張ってないのに、、、確実にやれている。
それだけ、、、自分を感じられている。
それだけ、、、逆に冷静。
なんというか、、、“自分と”呼吸が合っている、というか。。。
さて、、、このことを踏まえての、先ほどの2項目です。
まずは【好きであっても、結果が伴わない場合】
これは、好きだという気持ちがかく乱してしまい、
「あれもしたい!これもしたい!」
と手を広げすぎたり、手順を誤ったりしたケースが当てはまります。
自分の適量を乱し、いわば、あまりに現実離れしてありえない理想を求めた場合。
もちろん、、、手を広げることは大事だと思うし、そうしたい、と思うことは正解です。
でも、、、手を広げたとしても、自分の着地点まで見失うと、
「できないことまで、やってしまう」
キャパを超えたとき、
自分の着地点や原点が忘れ去られた際、こういうことが当てはまる気がします。
実際に、、、仮に、、、そういう人が近くにいたら、、、こちらが疲れてしまうかのような。。。
かなりの確立で、自分への感度が低下していて、
折り合うのも、相手や世間と折り合おうとしてしまっている可能性も。
理想は、、、“自分と”折り合いたいものです。
次に【好きでなくともうまくいくケース】
もちろん、、、
「好きでない=いやいややってしまう」
「好きでない=義務感でやってしまう」
のであれば、、、それがストレスの引き金になる。断る勇気も大事で、自分に素直になることも大事。
でも、、、こう考える人も、少なからず、、、いらっしゃるのです。それは、、、
「好きではない、と認める」
「だったら、、、じゃあ、、、やれる範囲でやろう!!」
そう、、、ムリに好きになろう、としたり、好きになれない自分を責めたりするのではなく、
好きでないことを、逆に、受け容れる。認める。許す。
だからこそ、、、(無理なく)やれる範囲で、やろう!!
これ、、、すっごく自分を大事にできていて、、、
そう、、、自分以外(他人やものごと)を変えることはできないのですから。
まさに、、、覚悟を決めて、、、やれている!!
もっとも仮に、甘いとか負けてると感じてしまうのであれば、
それだけ「自分の心がお留守の状態」での「思考」の分析です。
ようは、、、外からの目線を自分が意識してしまい、「自分との折り合い」に欠けている。
自分が自分のことを大切にできて、はじめて、満足する、というか、
誰かかの賞賛がないのに、勝ち誇れる感じになる。
でもほんとうの勝ちや賞賛は、こういうことではないか。
だから、その行動に強さがある。強い自分が刻まれる。
今、やれる範囲で。。。今、できる範囲で。。。
だから、、、惰性でもないし、嫌嫌でもない。でも、ムリもない。ムリはしない。
そうやって行動していくと、、、思いのほか、、、ストレスもないし、、、案外納得できたりする。
確実にプロセスをたどることもでき、、、思ったよりも自分を引き上げることにもなる。
これもある意味、、、好きでなくとも、気変わりすることだってあるでしょうし、、、
今、という自分のステータスに基づく行動になってて、、、
仕方なく、ノルマだからやる、、、というのと、、、違うの、、、解りますか???
話を広げますと、、、
好きだ、という場合こそ、、、こうあるべきなんです!!
「そのレベルその範囲で、やれることをやろう!できることをやろう!」
すると、、、方向性を見失わないのです。
誰かが「もっと手を広げてみたら???」などといわれても、
「自分がこうだから!!」
と言い張れますよね。しかも相手の主張も“小さく”感じるものです。
そういう“小さい相手の主張”を、自分自身に課してしまえば、、、
好きなはずなのに、、、
みたいな結末も考えられるだろう。だって、、、どこか、、、やらされ感があるのですから!!
大事なのは、、、自分を見失わないこと。
やってもいいし、、、やらなくてもいいのです。
やらないのであれば、
できないからやらない、、、のではなく、やらないのです!!やりたくないのです!!
やるのであれば、
やらねばいけないからやる、のではなく、やりたいからやるのです!!やれる範囲でやるのです!!
そうやって、自分の感情に働きかけること。自分を認めること。自分がこうだ、と言い切ること。
これこそ強さであり、
他人の声に惑わされないで、自分にたいし実直であることが、
ほんとうの賞賛を勝ち取るのだと思います。
以上、、、
・好きであれば結果が出る、とも限らないこと
・好きでなければ結果が出にくい、とも限らないこと
について、逆説で捉えたうえで感じたことを整理してみました。
また後日、さらに角度を変えたものを記載します。
「見る角度が変われば、、、感じ方も変わる」
ということなのですが。。。。。
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