このブログは、とくにこのカテゴリーは、筆者の感じるままに書いた動作の考え方。
ニュアンスやフィーリングを大事にしています。
もちろん、あいまいではなく、、、ですが。

では今回も、私の湧き出た感性で述べてみます。

高さを変えない
こちらのリンクでは、「重力になじんで落ちる」「落下物に働く浮力を拾って浮く」ことを両立させるいちばんの方法は、「落ちないし浮かないこと」、ようは、どちらもしないことにある、と結論づけた。以前は落下のリズムやながれに自分の動きをあわすようなことを指導していたが、それが片肺だと思うような、もっとエナジーあるものを求めてきました。

重さを受けて、それになじむことで動くことに変わりありませんが、落下だという先入観を伏せ、重りの高さと自分の高さとの位置関係を変えない感じ、もっというと、電車に乗っていて隣のレールで別路線の電車が併走したなら、、、そういう主観になるでしょう。。。みたいな。。。スクワット動作にしかり、私の動作は大きく見えるそうで、お客様も誤って可動範囲を広げてしまい、私があとからフォローを入れることがあります。「じつは、大きく動くどころか、上下すらしてない主観ですよ」と。

この「高さを変えない」というのと、
最近述べている「求心」、ようは、重り(もしくは体重)やその軸に吸着させられる感じ。
この両者は、、、イコールでつながります!!

実際は、、、求心したときには、高くなったその高さが変わらないって感じのほうが正確です。
私のなかでは、現時点の解釈、、、鉛直の意味合いは、、、
「高いところから吊るされた重り」という印象しかなく、「落下」という印象はありません。
高い部分の真下に、自然と低い部分がやってくる。土台にものを乗せるのではない。

その鉛直に吸い寄せられます。すると、、、それだけで、高さを変えようがない感じです。
でも、「高さが変わらない=高さが固定」ではなく、落ちても浮いてもいるけど、、、という意味。
ようは、内情では“これら(上下)は含まれてます”って意味。

客観では高さは変動しますが、主観では、同じ感じです。
でも、鉛直に求心できたとき、
その鉛直にも、(ここでいう)高さが変わらない意味合いも含まれると感じるからです。

だいたいこんな感じです。


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