いくらすばらしいものを施しても、
それを行う本人の体の使い方に問題があれば、
すばらしいはずのものが、台無しになる。

いくらすばらしいものが施されても、
その後の本人の動作・体の使い方に問題があれば、
結局生活するなかで、振り出しに戻ってしまう。

やっぱり、、、最後にモノをいうのは、、、「そこ」じゃないでしょうか???
ようは、、、体の使い方や動作。


でも、そういう「そこ」を「繕っていては」、覚えなければいけない。意識づけしなければいけない。
「ねばならない・・・・」という体の使い方に、答えはない。それが私の結論。
ほんとうは、、、その余計なことを一切しないことで、かみ合うもの。そこを掴まなければいけない。

ようは、、、自転車に乗れた感じ。
だから、、、多少時間はかかる。でも、これを避けてては、一向に到達できない!!
でも、、、到達できたときには、、、世界が開けるはず!!

そこしかない、という「ドストライク」に来れば、覚えることなんか、いらなくなるわけで。
できない頃は、余計なことばかりしてしまう。でも、できてしまえば、力さえも不要になる。
そういう世界観です。そういう閾値です。

「ラク」には「ふたとおり」あります。
ひとつめは、、、、怠惰で崩れた様。みんなこれを避けるがばかりに、今度は気張りすぎちゃう!!
もうひとつは、、、かみ合う感じ。だから、ラクなんです。充実ともいいます。気張ってませんしね。

そうした「かみ合う感じ」が自動化していけば、生活も運動も、そうなっていくし、
そう動く以上、そういう体やコンディションにもなっていくことでしょうし。
結局、、、ほんとうのコンディショニングって、、、そこが基本だと思うんです。



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