[広告 ] VPS



歌やエッセイって、どこか命令形じゃなく、そっと心に働きかけてくれて。
「法則がこうだから、こうすべき」みたいな、窒息しそうな気張った感や支配された感じゃなく、
いろんな法則さえもそっと、それとなく、ささやきかけている。

そもそも、法則には、その基というのがあります。
私の考えですが、
誰かが見つけた法則。だったら、誰しも見つけられる法則。って感じ。

もっと、こう、、、
こうだと豊かだなぁ、こうありたいなぁ、というものが、
法則化しているように感じるのです。

法則に准じることで、かえってそのノルマが、法則から遠ざかることもある。
それで、その遠ざかる原因を逐一考察して、深みにはまってしまう。。。
法則は、、、あくまで結果であって、、、原因ではない気がするのです。
たまたま法則に則っただけであって、大事なのは、、、フィーリングだと思います。

法則を知らなくても、法則に則れる。

そういうフィーリング作り。

やはり、、、大人を剥がすことにあるのではないでしょうか???



うちのトレーニングでいうならば、、、

すでに大人が侵された体の状態なら、良い動きもできない。何がいいのか、さえもわからない。
だから、、、大人を剥がすのです。余計なものに気づいたら、どんどん剥がしていくのです。
そうして、余計なものがなくなっていくにつれて、自然と良い動きになっていく。
面白いように、意思が伝わるようになる。でも、大人があると、良い動きをしようにも、力んだ執着になる。

究極には、高さを変えないのです。

ようは、高さの変動が、元凶です。下からポンプで押し上げるような動きが悪い代表例です。
でも、「高さを変えない≠その高さを固定する」「高さを変えない=落下も浮上も強烈に含んでいる」
その域までいけば、力めないし、イヤでも動けてしまえる感じになる。
【関連】ひとり陸上部#2

でも原因は、法則やらに則れたからではなく、大人を剥がせたことにあるのです。
そういう目線になれば、ものの本質も、言われなくてもある程度気づくようにもなる。
ロボット目線をやめて、人らしくあるべきだと思います。

やはり、これまでもこれからも、エッセイ風な指導空間でありたいものです。



関連記事
スポンサーサイト