高さを変えない、ということについて・その1
高さを変えない、ということについて・その2

以前は、鉛直、ようは重力の方向やながれ注視していたり、落下によって生じる浮力に注視していました。でも、どちらも大事で、その両方側を管理するいちばんの方法が、、、

これ以上落ちない・これ以上浮かない
高さを変えない・上下すらしない

ですので、「高さが変わらない=その高さを固めて保つ」というわけではなく、
「高さが変わらない=両面性をいっぱい含んでいる」という解釈と実践感覚になります。

今回の話題は、、、階段の上り(のぼり)・下り(くだり)です。

いきなりですが、私の感覚だけで申せば、私の場合、のぼりでは足音が鳴りません。いえ、ちゃんと「落下」もしてるんです。でも「踏んでいない」。くだりも、足音は小さいほう。なにせ、、、足の負担が限りなく少なく、長いのぼりでも、足の負担がほとんどこないのです。

でもなかには、膝が痛くて。。。みたいな声、足が張ってしまう、という声もあるでしょう。

そこで注目したいのが、、、「高さのこと」
どういう高さやどういう高さ関係、どういうふうな推進をしているのか。
そこを説明します。

推進の仕方ですが、
階段ですので、もしかしたら「段・段・段・段・・・・・・」というふうに、「一段一段・・・」と「小さな水平」と「小さな垂直」を繰り返すものだ、と思っていたり、そう推進したりしていませんか???あるいは、のぼり階段は、「のぼり坂」、くだり階段は「くだり坂」、みたいな推進になるものだ、みたいに。。。

私はそういう推進の仕方ではないのです。
そう、、、(ここまで触れてきた意味での)「高さが変わらない」のですから、、、
のぼりにもくだりにもならず、“普通に”上下しない推進になるのです。

上り階段でもまっすぐ、、、
くだり階段でもまっすぐ、、、
(平地のごとく、、、)

でも、繰り返しますが、固まって高さを変えない、のではありません。あるいは、地面を押さないと、反力が生まれず、推進も生まれないのですが、落下や加重のない推進ではありません。単に上下動を押さえ込んだ動きではありません。あくまで、落下も浮上も両立した意味での「まっすぐほぼ一定の高さ」ですから。

とくにくだり階段はわかりやすいと感じているのですが、高さって意外と、(自分で)変えてしまってるんです。とくに「足をかばったうごき」「足の上に土台を乗せる動き」だと。ようは、一歩一歩踏んで、一歩一歩蹴っているのです。そういう意味では、(体の)高いところから、、、という気持ちがあったほうがいいのかもしれません。ただ、その高いところから「落下」と「浮上」が「両立」してしまうわけです。(ここでいう)「高さを変えない」ということで。この感じが、くだりではわかりやすかったです。

あるいは、
落下か浮上かの一側面になった偏りを、もう片方で押さえ込んでいる感じ???
に思えたりもします。もちろん、自然な感じで。。。


と、いうわけで、、、


最後に、ふと、思ったのが、、、


もしかしたら、、、


俺でも、、、


速く走れるかもしれない???


と。こんなふうに、楽しく、可能性を、みつめていたりします。
自分の追及も、、、半分以上は、、、遊び心からです。
創造力???ともいうのでしょうか???



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