立つことの延長が、歩行で、
歩行の延長が、走ること。

そういわれますし、そう考えられると思いますが、私はそこに疑問を感じるひとりです。

「立つことが基準だと、動けない」
「あるくことが基準だと、滞空しない」

これが私の結論で、さらにいえば、

「走ることが基本となって、歩くことがあって」
「走ることや歩くことが基準となって、立つことがある」

と感じています。

鉛直になじむようなことを先に行うことで、
本来あるべき動きや姿勢に導かれるのでは、と感じています。
ですので、「走る=ジャンプ」と考えてしまうのは、歩くことが基準だから。

先に「走る=滞空落下」となじんでいけば、つっかえ棒がなくなるような感じがわかれば、
「走る=落ちる・浮く」となって、足の着地もいいところに着けるし、
その延長戦で「歩くこと」につながれば、良い歩き方、自然な歩き方になると思います。

すると、立つということも、
「固まる・踏む」ではなく、「落ちる・浮く・(均一に)揺らぐ」となって、自然になると思う。
あるいは、その場ランニングのようなことをしたほうが、立つことがわかりやすいかもしれない。
(その「その場ランニング」が踏んだり蹴ったりぴょんぴょんするのではなく、滞空落下するかどうか、です)

そう感じます。


鉛直ありきだと思いますし、
いかにして鉛直とたわむれるか、だと感じています。
滞空落下をあえて作ってやる。



という「ひとつの考え方」です。
ただ、鉛直落下がわかるかどうか。そこが結論です。
つまり、、、滞空落下などがわからない状態で「走る→歩く→立つ」とはならないということです。



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