2016.03.03 安心と信頼
この重量がいつしか軽くなってきました。
重りが体を守ってくれ、重りが動きを教えてくれるから。
だから、安心して、重りを、受け容れるのです。重りに歩み寄って、重りの落下を受け容れて。

ほら、、、守れて、整って、脱せてしまい、それでも浮いてくれちゃった!!

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私は以前から、「体のしくみ」についての持論を述べています。
どういうことか、といいますと、
「体のしくみを知れば知るほど、だから安心して体に任せれば良い」

つまり、その知識に満たされる喜びから、それを駆使しようと、
いわば過保護の親みたいになるのではなく、信じてあげられること。
それが、体のしくみ。ある意味解剖学とかは、誤った動きを見抜く手段としては役立ちますが、
過ちの分析でしかなく、正解へ導くには、また違う見方が必要。運動感性での見方が。

諦念(ていねん)という言葉。私もこの言葉が好きですが、
執着を捨てられたことで、正解が引き出される。
ある意味、これがほんとうの意思の叶え方かもしれない。

ようは、信頼です。これは、条件下で信じるのではなく、無条件に信じること。
執着があるうちは、どこか、「何が何でも・・・・」となっていて、硬さがあります。
信じきれていないのです。

でも、希望を捨てるのではありません。無条件に信じきっているのです。

そういう意味で、自然物である重りは、ほんとうに信頼できる「トレーニングパートナー」

この「信頼度」を高められるかが、成功の秘訣だと思うし、私はそこを指導しているのです。

動かそう!と思って動かすものではなく、
守ろう!と思って守るものでもなく、
整えよう!と思って整えるものでもありません。

その「トレー二ングパートナー」を信じきってしまうことで芽生える安心感が、うまくいく秘訣。

・・・

重りという自然物もパートナーですが、重力そのものも、パートナーです。
でもこういうことも、その「トレーニングパートナー」である「重り」が「体に」刻んでくれます。

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