地球の重力との対話やそれとの呼吸の調合、やはりそれが「動作の一番手」だと思います。

自然ありきの身体であり、身体主体の身体意識ではなく、その身体をいかにニュートラルにできるか。
ただ、、、自然に支配されるのではなく、ニュートラルになることで、無になることで、
じつは、ほんとうに欲しかった動きが拾える。


エレベーターで降りる際に身体が感じる浮く感じが、わかりやすい例だと思います。

重力による鉛直落下の方向。これに逆らわないことが重要ではありますが、
その鉛直落下に作用に支配されるのではなく、、、浮力を拾うこと
浮力があってこそ、完全な鉛直落下。そう考えていますし、実際に威力が違っているのです。
いえ、、、我々の身体には、重力を受ける中から浮力を潜ませている。


ところで、友人たちが良くこう言ってたのを思い出しました。
「踏まないほうが、踏めている」「踏みつけるよりも、猫のようなふわっとしたぐらいでちょうどいい」
実際に私も、アルミ缶を遊びで足で縦に踏み潰す際、浮く感じだと、威力も正確さもありました。


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これまた失礼しました。。。笑
でも、浮く感じにならざるを得ないし、浮く感じだとしっくり着ける感じですね。
身体がまっすぐなのも、体幹がどうこう、、、、じゃなく、「ニュートラル」いえ「その先にあるもの」

その浮力こそ、動かしたい動きへのアシストとなる。関節が円運動してくれるから。



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このジャンプ動画は、ちょうど「(挙げるではなく)上がる感じ」を大切にしていた昨年の動画。
身体がまっすぐなのも、身体への意識づけがそうさせたのではなく、深層筋やら、、、ではなく、
自然になって、無になって、鉛直がわかった結果。あるいはその先の浮力を拾っていたからです。

でも、浮かそう浮かそうと頭から引っ張り挙げるのではなく、落下には、浮力がつきもの。
その観念が、動作を作ります。そして、関節は円運動します。
ようは、自然な浮上によって、意思どおりに動かせてしまえる、ということ。


身体はたしかに精密機械のよう。だからこそ、、、それだけ辻褄も合うのだから、、、
それを意識するのではなく、それに任せることで、精密機械が活かされるってモンです。
任せ切れないのであれば、重力と調和できていない、ようはバランスが悪い、力んでいる、ということ。
その観念が学べる「ウエイトトレーニング」。重りという自然物に習うこと。

身体意識や内的注意ではなく、対物意識や外的注意。
重りに習う。重りと伴走する。でもそれは、うわべの落下ではなく、重りにも浮力が働く。
その浮力を拾って楽しく動けてしまうこと。これが(私が考える)ウエイトトレーニングの動作。

ウエイトトレーニングは、筋トレとは違う。これが私の考え。
筋肉主体で抗って動かすのではなく、重りをきちんと受けること。呼吸を合わせること。
その重りには、、、受けるその重りには、、、浮力が潜んでいるのです。


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あとはその知恵が身体に刻まれ、どんな動作にもその知恵が勝手について回る自動化。
スポーツで使われるだろう筋力を強化して、その関節運動で鍛えたりするうわっつらではありません。
いえ、そういう架け橋など、要らない。だって「動きの総合力」が会得されるのですから。
と、そこに魅力がある。

ただ、こういう動作は、はてしなく調和されているせいか、動くだけで良化への刺激になります。
ましてや過負荷があれば、筋肉が覚えてくれる感じ。脱力筋として。
鍛えたあとのほうが、やわらかくなる。いえ、本来あったやわらかさに戻る、といったところ。
ケガとは無縁。ストレスフリー。まっすぐ整う身体。もちろん、ハイパフォーマンスの礎にもなる



動きが良ければ、身体も良い、ということ。


あとは、実践あるのみ!!ってことですね。



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