どんなものごとでも、たとえば力仕事や作業の仕事などでもそう。
最初はなかなか要領がつかめず、しかも焦る気持ちもあってか、急く割には生産性が出ない。
あるいは、丁寧にするも、過剰になってしまい、どこかかみ合っていない。

しかし、慣れていくにつれて、
確実にポイントを押さえられてしまう結果か、それほど急いでいなくても、生産性が高くなったり、
それが的確なので、自然とかみ合っていて、丁寧にもなっていく。
散発屋さんでも実際あった、普段顔そりしないマスターにやってもらったときの、あのかみ合い具合。

ようは、余計な力が抜けてくるもの。自動化してくるもの。
これは、ウエイトトレーニングも同じです。力がたしかにまったく必要ない、とまではいいません。
しかし、限りなく「脱力」で生産性や品質が上がっていくもの。

そういう動きで鍛えれば、筋肉もやわらかくなるし、ケガもしにくくなる。
いえ、作業で言う「急いて行う」、、、逆に「過剰に慎重になりすぎる」、、、
ようはいずれも「力む」から、ケガのしやすい硬い筋肉になる。動きが悪い筋肉になる。

競技者なのに、力んで力んで、自己本位で筋力をめいいっぱい使って挙げていたり、
健康目的なのに、過剰な負担をかけて力んでいたり、反対に意味なく流れ作業で終わっていたり。
あるいは「カタチ」に支配され、内容が追いつかないとき。など。

目的ありきのトレーニングです。トレーニングが目的ではありません。

私は、動作や体の使われ方にこだわりを持っています。
より良い鍛え方をしていくことで、より良い動作を引き出し、より良い体へ変えていくこだわりです。
でももし、動作ないがしろだったら、、、???

トレーニングは、何のために行うのでしょうか???

代償や犠牲でやるものなのでしょうか???そこに楽しさを求めてしまうのでしょうか???
かといって、負担の少ないだけで、目的意識に欠けた内容のない妥協でいいのでしょうか???
あるいは機械的で画一的で流れ作業で何も感じず、ただただ従うだけのものなのでしょうか???

私がいいたいのは、自分に価値を持たせなさい、ということ。
そして、価値ある人として、価値ある行動をすべき、ということ。
価値ある行動の継続が、価値あることを再認識させ、さらに価値を高めていったりする、ということ。

何もダイエット目的なのに、競技者みたいになトレーニングをせよ、という意味ではない。
価値ある人間として豊かなやり方、価値ある振る舞いが大事ですよ!!っていいたいんです。
そもそもフィットネスのフィットとは、一段高い自分へ近づくこと。一段高い価値ある自分へのみちのり。

価値ある自分として行動を選択し、どこまでも自分の価値を高めていける。
トレーニングは、そういうものだと思います。
フィットネスは、そういうものだと思います。


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