人はついつい、満たされた部分よりも、欠けている部分を見てしまうものかもしれません。その欠けている部分を少しでもなくすようなことを、「努力」とか「頑張り」とか言われるのかもしれません。自分にもそう思わされていた時期が実際にありました。そこをなくすために、自分を磨くのだ、みたいに。

でも、その色眼鏡で見た世界が「悪い部分」や「自分への攻撃」になっていては、どんどん自分を負へ追いやってしまう。「結局自分は、何ものだったのか」そこを見失う。悪い部分というのは、自分が思うに、「それは、後天的に作らされたもの」。ようは、自分は自分でいいはずなのに、誰かからの目線や指摘や批評だったり、、、それがこびりついて、固定概念にさせられ、あたかも自分で自分を攻撃してしまうかのように。

でも、本来の姿は、完全体であり、実力未知数の子供のようであり、何をするかわからないような「魔法使い」のようでもある。これまで味わってきた「できたこと」「自分らしく美しかったこと」。それが今の自分のほんとうの姿であり、元々はそうだったものであり、さらには、そういう天性を持つ「じつはすごい存在だった」と気づくこと。

つまり、、、、自分をすばらしいものだ、と信じること。
つまり、、、、自信を持つこと。

豊かさとはそういうことのはずで、自分の価値を自分で知って、それをますます引き上げていくこと。それが「核」であって、その「核」を基準にさまざまな豊かさが芽生えていくんじゃないか???重箱の隅をつつくようなそういう自分。そういう悪い人暗い人。そんな暇があったら、少しでも「自分の価値」を探すほうが、賢い。「自分の価値」に気づけば、その重箱の隅をつつくことが、いかに小さいことか、とわかる。

課題だから、厳しいことをして、試練を乗り越えて、、、
そういうサクセススト-リーって、どこか違う気がするのです。
むしろ、一見厳しいことに映ったとしても、本人はそれが楽しくて仕方がなく、充実の一途、であるべき。

悪い部分を基準にして、自分の価値を下げるよりも、
良い部分を見て、自分の価値をどんどん引き上げていくことのほうが、
はるかに賢いし、ビジョンもより本質を得ている。

ものごとを複雑で困難なものにしてしまうのは、そういう負の思考が原因だと思う。
その道のプロ、という話と似ていますが、できる人は、「正の思考」に働きかける「魔法使い」。
あとは、受け手が素直に、「自信を持てるかどうか」だと思います。

ようは、、、「自分の型」を持つこと。

相撲みたいな話になりますが、その相撲でも、やはり上位で活躍する人は「それを持っている」、とテレビ解説でも。「左前みつを取ったら負けない」「右上手を取れば、鬼に金棒」みたいに。でも、相手の手方ばかり見てそれに受けてばかりでは、結局自分をおいつめることになり、自分の間合いで相撲が取れなくなり、挙句の果てには、相手に飲み込まれた、と。でもここで、「自分の型」という自信があれば、相手のペースを見つつも、必ず機をうかがい、自分のペースに“し止めてしまう”気持ちがある。

たとえば、
太ってて、やせなくて、、、でも根が明るい。
あなた、痩せる才能、大有りですよ!!みたいに。その明るさこそ、ダイエットに活かせばいいのです。
その「自分の型」に気づき、芽生えさせれば、努力の方向性だってそれなりに的を得て大崩もしないはず。

それを、「その能天気さがいけないんだ」「きっちり食の管理」「義務義務管理管理・・・・・・」としてて、痩せられる気がしないし、それを「別の癒し」というか、「厳しいから、心のサポート」みたいな「トレーナーではなくホスト」みたいな感じに「逃避」してしまう、ってのも、ちょっと違うと思うわけで。。。私的には、そうやって表面的なやさしさで相手の「自分の型」や「自分らしさ」を奪う拷問にしたくないものです。


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