自分は、基本、教える側ですが、自分が教わる側に立ったことももちろんあります。ですが、正直自分は、これには自信さえ窺えますが、大の学び下手です(笑)。理由はひとつです。「カタチ」で教えてくるからです。だからこっちも、その「かたち」を覚え“なければいけない”と思う。そのせいで、アドリブも応用も利かない。すぐに焦っててんぱってしまう。ポカミスも絶えない。それより、学び切れない。

教える側は、その場のことを教えるだけであって、ストーリー性や好奇心を掻き立てるよりも、「ねばならないから、こうしなさい」風。だからどこか「強要」さえも感じてしまう。だから尚のこと、わけがわからなくなって、自分としては、「そのことを行う目的」さえわからなくなってしまうのです。で、結局は、自分で自分のマニュアルを作る、という結果になります。

どの世界にも、その道の専門がいます。でも、どうして専門なのか、それは、
「その分野の愛し方を知っている」ということと
「その分野のストーリー性を知っている」ということ。

ありきたりな答えを言うのではなく、こちらの想像を絶するような視点から言う。
でもそれは、こちら側が“はっ”と気づかされるような感じ。
身近にいた青い鳥に出会ったかのような。

あるいは、この人に聞けば、何とかしてくれる。
どこまで行き着いても、やはり「この人」と接すると、「何か」に気づかされる。
私も今の仕事ではその「この人」という立場として、「どんなふうに応えようかな」とワクワクしてるもの。


情報さえ知れば、その道の専門になれるわけではありません。
その道の専門であるには、そういう人種である必要がある。
私の教え方は、感覚的でありながら、具体的であり、実践的であり、物語的であり、
だから、義務感ではなく意欲を掻き立てるのです。

そもそも自分には、カンペ(カンニングペーパー)がありません。原稿がなくても、なんとでもなるのです。
その愛し方を知る以上、魅力を伝えることが大好きで、
魅力である以上、カタチではないんですね。どこか物語的なんですね。しかもシンプルで。

何事も「事前の準備」と、「準備」ばかりに気をとられるのであれば、それは自信のなさ。
つまりは、それ自体を「たいして愛してない」んだと思います。

その道の、そういう人種ならば、考え方も違うものです。
どんどん本番のその場で閃いたり、逆に質疑応答からまた閃いたり。
そう、案外質問してくださるって、じつは「教える側にとっての、最大の助け舟」ですもんね。


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