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昨日の記事を、もう一歩踏み込んでみます。
結論は、意思が届いたカタチになる、ということ。でも、そこに「執着がない」ということ。
少しずつ少しずつ、、、そう、、、あのときの感じが「精度を上げて」蘇ってきた感じなのです。

では、「あのときの感じ」って何???という方に、少し手ほどきしましょう。

重りは、みためは固形物ですが、正確には分子構造で、浮遊したエネルギーの塊です。
人が出す力もエネルギーですが、想いや気持ちもエネルギーです。
大雑把にいえば、その出したエネルギーが、重りに伝わるのです。

玄関など重い扉を開けるときや、荷物を右から左へ運ぶとき、など、
実際には、扉を見たほうが開けやすく、荷物を見たり注視したりしたほうが運びやすい。
このことをウエイトトレー二ングに活かしていたのが、「あのときのこと」、という話です。

ですが実際には、力みがどうしても伴い、諸刃の剣のような感じがゆがめず、
半年前にそれを却下し、「落ちる(という動作)」に戻したのです。
ただ、落ちるを続けていけばいくほど、だんだん「あのときの感じ」が「自然発生」していることも認めざるを得ない感じになってきたわけなんですね。。。

そこで、思いの届け方について、考えてみたのです。

あのときのような「執着になった届け方」にしないためにも。

結論は、こうです。




類は、友を、呼ぶ




重りは素直に落下しています。
だったら体も、そうなりましょうよ。
そうすれば逆に、「意思が伝わりやすい」のでは???

と、平たくいえば、

重力を受け止めたほうが、意思が届きやすい。
届けよう!!としないぐらいでもじゅうぶん届く。「触れば挙がる」「持てば挙がる」ぐらいに。
むしろ、、、「(落下する)重りを見るだけ・感知するだけ」でいい。
それだけで、「重力を受けること」と「意思が届くこと」が両立してるから。


「事実では重りや体は落下してるのに、なぜだか・・・・」ぐらいでいいと思うのです。

と、現時点で一生懸命知恵をいっぱい絞りきって絞りきって出た答えです。



思いは、顕在意識で発するものですが、それは潜在意識に届き、宇宙に届き、
世界中に拡散され、自分にもっとも身近で便利なカタチでそれが届けられ、思いが叶う、
という、まるで磁石のように、思ったとおり「類を呼ぶ」のです。
いい思いを発すれば、いいことが起こる。出会う人も良い人が多くなる。とか。



動作は、重力環境という自然環境で行われます。
重りは、自然物そのものです。
そのなかで、意思が届いた自動化を叶えたいなら???

あえて事実を受け止め、それでもその動きが叶うものだ、と信じきることでしょうか???
うわべで考えたことよりも、「本心」や「深層」が反映されるわけですから。
だから、執着になってしまえば、「本心」では「ムリだから・・・」になる。それが硬さを生んだ理由なのか、と。



そういうことが、私は、先に、体でわかってしまっていたのかもしれません。
それで「落ちる」という動作が生まれたのですから。
でも「落ちる」というカタチで終わるのではないし、
でも「執着で逆らった叶え方」だと、「不・自然」な動作が叶う。



と、約一年以上のモデルチェンジも、
モデルチェンジのようで、そうでもない、というところに落ち着いた感じです。



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