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どんなにすばらしいメニューやメソッドであっても、
それをやる本人の体の使い方に問題があれば、価値が激減します。
そのフィジカルトレーニングのフィジカルだけは高まるも、、、、、、という話になる。

それをこなす「体の使い方ひとつ」で、その内容そのものが大きく変わるのです。


しかし、、、その「体の使い方」って、どういうこと???


じつはここが、何度もこのブログで申している「核」なる部分。
いろんな表現がでてきました。動画も何度も出てきました。
でもこれらすべては、「核」である「そのこと」を言いたかったから。

まだまだ「水面下の世界」のようではあるのですが、
体の使い方が大事、とわかる時代にはだんだんなってきたとは思うのです。
しかし、操作法や(体幹など)体への意識のことを主に差しているように思えて仕方ありません。
いえ、普通は、そう考える、そう解釈するのでしょうか???

そうやって「体のこと・体のしくみ」を知ろうとするのでしょうか???

でもここまで申したように、「そこ」に「体の使い方はない」ということを述べてきたのです。
過去にもこのように述べたことがあります。それは、それだけ体が精密なのだから、
だったら尚のこと、「体に任せ、信じ、体を知らなくても良い」ということ。


「落ちる」という言葉。
「待て」「早さ」「溜め」「距離勘」という言葉。
これらが差すメッセージは、こういうこと。それは、、、、


自然ありきの体であり、
宇宙ありきの体であり、
自然を受け入れることで、思考がかないやすくなる、ということ。



いいかえれば、
自然に逆らった身体操作、体主体の身体操作となればなるほど、
筋力に頼れば頼るほど、体の意識に頼れば頼るほど、
「その誤った執着」のせいで、「思考がかないにくくなる」ということ。


動画の映像はすべて、こんなメッセージを残しています。
それは、、、




「なぜだか知らないけど:笑、動けちゃっている」



やったことは「自然」を受けただけ。馴染んだだけ。普通にしてるだけ。大人にならないだけ。
身体操作になって、大人になって、動きを作るのではなく、もっともっと夢がある感じ。
ですので、極論をいえば、うちがやってるのは、「体の使い方」ではない。


じゃあ、何???
それは、、、「宇宙の使い方」「自然の使い方」「重力の使い方」「思考の使い方」なんだと思います。


だからこそ、その前提条件である
「自然である重力と戯れること」
を学習するのです。そうすることで
「自分の思考とも戯れられる」
ようになっていくのです。


「この程度しかないこんな少ない執着」で動きが叶っていくことを感じ、つかみ、観念していくのです。
ようは、加減を知るのです。


むしろこっちのほうが「普通」であり、それ以外の「頑張った動作」のほうが「不自然」なのです。
「普通」であることで、じゅうぶんに筋肉もつきますし、整うようについていきます。
つまり、、、「本来あるべき姿」「本来のあり方」に気づき、知り、なっていくのです。


難しいことはありません。もっとシンプルで単純なものです。
サンタさんがイブの寝ている間にプレゼントを置いていってくれると信じる子供みたいになればいいこと。
難しくしているのが、大人の心だと思います。
その「大人の心に応えるようなもの」をついつい欲しがる。それに応える情報たち。

そこから一歩、抜け出す勇気、かもしれません。
抜け出すアシストを、私は「現場で」行っています。
このブログは、その一部を紹介してるだけ、ということなのですね。。。



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