さきほどの2つの記事では、出だしがノーモーションで、動き始めればワンモーションで動ける、というもの。つまり、動き出しで「何か」をしたり、「力を出したり」はしないのに、動き出せてしまい、ギアチェンジしないのに動きも切り返せている。そんな内容を動画を交えてご紹介しました。

その「出だしがノーモーションであること」「ワンモーションで上がってしまうこと」
その原動力は、「重力を受ける」「時間のながれにあわせること」。そうこれまで何度も申しました。
しかし、どうしてもこのことを「解明」しなければいけない、と感じたのです。

それは、、、
「落ちているだけなのに、何で挙がっちゃうの???動けちゃうの???」ということ。

落下の伴走ならできる。でも、挙がるほうの動きは、落下ではない。
でも、、、落下を受けたほうが、上がりやすく、力みもいらない。

正確には、
「受けないから、力んで挙げなければいけない」
「受けないから、自分から動かさなければいけない」

でも、受ける・落ちる方向は真下です。真下なら可能。でも真下だけなのになんで動けちゃうの???
そこには、自分も見失っていた「あること」をやっていたから。
そこに気づいたのです。やっとひとつの分析ができたのです。


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こんな感じで、引っ張られたままなのに、引けてしまいます。
でももし、引っ張られたままだと、十中八苦、引けないでしょう。動けないでしょう。

ここで持論を申しますね。「わかれば、できる」ものではなく、「できて、はじめて、わかる」。ですので、できてしまった私の感覚にもっと素直になります。きっとこれをお読みになるみなさんも、既存の理論で片付けてしまうよりも、「できた人の感じ方」のほうを知りたいと思うからです。

ですのでこれに準じまして、、、「その正直なこと」を申します。

それは、、、

受け方が100ではなく、(私は)20か30ぐらい。でも、受けてることは受けています。
ただ、、、受ける・落ちるが100ではなく、付け入る隙があって、動く・挙がる・という隙。
いえ、自分がこう動きたい、という思考や意思です。

ただ、思考や意思が100になると、間違いなく力みます。
以前はそれをやってしまい、落ちるを再認識した、という背景(半年前)です。
だから、やはり「受けます」。でも100%受けない傍観的です。
でもそうだから、動けていたわけです。


これを自分で整理したのですが、、、
「自然に支配されず、でも、自然を受けていて」
「その自然からのギフト」を「受け取れる隙間」があるのです。

でも、、、はじまりは、受けること。

だから、以下のようなしゃがんだ出だしから始まるスクワットという難しい出だしであっても、
受け方が20か30ぐらいの傍観的だからこそ、
動きというギフトを受け取れていたと思うのです。



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まるで、先ほど書いた「保存」みたいで、
ようは、「一側面」だけで成り立たず、「二側面から成る」のですが、
二側面の合計は維持しつつも、一側面と他側面の比率は、変化する。というような。

これも、バランスの考え方のひとつ。自分は無意識に、こういうことをやっていて、
でも、これがなかなかこれまでは理解してもらえず、
「子供のような私にたいし、大人になってくださった方ばかり」に理解してもらえた。
そう、振り返ります。だから今度は、私が少し大人になろうと思ったわけなんです。

たしかに頭で考えてはいけないと思います。
でも、「二側面」という観念や、「一側面だけで“いっぱい”にしない“ゆとり”」「執着を解くこと」
これはとても大事だと思います。

落ちる、が基本。ですが、100%の落ちるではない。でも、0%の落ちるでもない。

こんな感じに決着しました。次はジャンプでこのことを表現します。



最後に、、、もう一オクターブ高い分析で別角度での解釈をしています。
こちらを読まれたほうが、よくわかると思います。ぜひクリックしてみてください。




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