近道なんて、、、ないんだよ!!

私の指導は感覚的です。そうなってしまった、と申したほうが正しい。後天的で一種の嬉しい職業病。
やはり相手の右脳に働きかけて、そういう入力を相手にしてもらいたい、という純粋な思いから。
左脳から理屈っぽく入るから、「近道」を欲してしまうのです。

できない人にたいして私もついつい教えすぎてしまうことがありました。
結果、見事にできないままだったり、いまひとつだったりしたのです。
誰よりも丁寧に教えたにも関わらず。。。でも今はその理由もわかってます。

情報社会は、そういう「私にも過去にいたできない人」を再現してるように感じます。
でも、あえて自分を貫くのは、相手をほんとうの意味で思うから。

あれはあれ、それはそれ。たとえば、スクワットとは???
私のなかに、専門種目はありません。そう、スクワットの専門技術を知らないパワーリフター。
ある程度は知っていますが、でも「その専門種目」にしたくないのです。
「動く」という枠組み。「落ちる」という沸く組。そういう解釈でありたいから。

だから、指導も考え方も、マクロ。ですが、そのマクロがないのに、ミクロに走る方が多い。
そのミクロへ走ることが、いわば「間違った近道」。これは自分が指導者になる前から抱いていたこと。

欧米では、一個の専門種目ではなく、たとえばジュニア時代はいろんな競技をやっていたり、オフは別の競技をやる選手もいたり、オフに別のスポーツを週に何回か練習に取り入れたり、どこか「総合性を育てる環境」にあこがれてもいました。高校3年のときに知ったのですが、そういう衝撃もあってか、ミクロに考え視野が狭くなることを拒み、まずはマクロに「動作」を考えるようになったのです。強化であるウエイトトレーニングも、いちスポーツ。実際にパワーリフティングをやってるから、という理由ではないのです。

ミクロに走ってしまうから、点と点をつなぎたがるのです。
ますはマクロな総合力から!!

最後に、体への関心は、近道でしかなく、その利便性がいちばん「危惧」を感じるということ。
身のこなし、とはいいますが、うちはそうではありません!!
いろんな知られざるこなし方があるにはあります。しかしこれらすべて、、、「体がそうしたがってる動き」ではあるも、同時に「重力を無視した動き」「重力に逆らう知恵」ではないでしょうか???

重さが課されても同じ動きができるかどうか???

それが私の判断基準です。武術も元々は武器を使っていた武器技術だったと聞きます。
もともとは「重り」があったもの。それがなくなっても、その名残で存在しているもの。
私のウエイトトレーニングや動作の考え方もまったく同じ。

ですので、決して「繕った動き」ではなく、「適応で生まれた動き」。
たとえていえば、「顕在意識的」ではなく「潜在意識的」。
新しい知恵を知るよりも、眠るものを引き出す。

以上、ほかにもいろいろありそうですが、今思いついたものだけ列挙しました。




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