2015.09.12 信じること
少し競技者向けの記事内容。でもすべての方にも参考になる話。
決して競技者対象の特別な話ではないと思います。
むしろその特別意識が、力みや硬さになって、つまり、、、真剣さと深刻さを混同してる感じに。
真剣とは、深刻ではなく、もっとやわらかさがあってもいいはず。

では本題へ。

ところで、、、
「強そう!」を目指すのもいいのですが、、、
「強く見えなくてもいいのに、、、でも強い!」みたいなのも、いいと思いませんか!

そもそも、固めて体を守るもの・固めてバランスを取るものじゃないんですね。
でもそれ以上に、信じていること、だと思うんですね。
バランスも瞬発力も、、、力で解決するんじゃなくって。。。。。全力じゃなく、全速ですから。。。


というニュアンスです。
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じつは、、、重力を正しく受ければ、バランスが叶うのです。しかも脱力できて。。。
「重力があるから、守るために固めましょう?」
「守るためにここの筋力を意識しましょう?」
みたいに言われるかもしれませんが、、、だからぎこちなくなる。

しかも、全力で速く動かすのではなく、全速です。ようは、リラックス。
遅い動きでも、いつでも速く動かせるゆとりがある。

論理ででっちあげてしまい、理論上では正しくても、それは「一側面」に過ぎないのですから。。。
私は、本来あるべき才能が破壊されるのを、黙って見過ごせないのです!!
大事なのは、「自然を信じること」「体を信じること」だと思いますし、
その観念を「ウエイト」で磨くものなのです。

本来あるべき「ありのまま」を。元来潜ませている「能力」を。


視線と角度を変えますが、

「パンチや突きでは、手首はぐにゃぐにゃなぐらいでちょうどいい」
これが世界レベルの声です。だから威力もあるし、結果的に自然と(防衛反応で)守られている。
これが、バランスとスピードやパワーという意味でしょう。

走る際の足首も同じこと。これも元五輪銅メダリストの声で。足首こそ、固めないのです。
当たり勝ちとかもそう。固まった人ほど当たり負けします。やわらかく落ちていたいのです。
両者、安定面とパワーやスピード面・動きのスムーズさにおける正論だということ。

できる人や一線を越える人というのは、
一線を越えるぐらいに「信じる力」が強いのだと思います。


反対に、姿勢を気にするあまり、あの部位この部位、腹圧や深層筋にいたるまで。。。
でも、そういうのを取っ払って重力を受ければ、体はちゃんとこたえてくれないでしょうか???
信じ切れないことで、逆に中途半端で「やっぱり不安だから、、、」とどこかに力が入ってしまう。。。
実際に、力が入った人間のほうが、姿勢は乱れるか、整っても固まってしまっている。
実用面では、簡単に当たり負けをするし、動きは硬いし、その他色々な動作の不利や努力の遠回りにも。

ダイエットも同じ。心豊かに食べるから、豊かで健康な体になっていく。
理想の自分があるから、それを信じるから、叶っていく。
良い運動もありますし、良い運動が体を変えてくれますし。

あるゴルフコーチの言葉をお借りするが、
「中途半端な知識がいちばんいけない」
「とことん知らないでできていくか、知るのならとことん知るか、そのどちらかだ」

観念なら、磨けます。
いつでも磨けます。
はじめるのに、遅いことはありません。
才能みたいなものは、なくてもいいのです。(過去の産物だから、気にしない!!)

その道の専門が、ことの本質を伝え、楽しみ方とその効果をお伝えいたします。




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