2015.08.05 ゼロ的な見本

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うちのブログでは、たびたびこのように動画を載せています。
言葉で足りない部分を補う目的です。
あるいは、ニュアンスを感じていただいてからだと、言葉の説明も活かされる。

しかし、見本を見ただけで「ぴーん」と来る方もいれば、
見本だけでは「ぴーん」と来ない方もいるでしょう。
あまりに“何気なさすぎる”あるいは“当たり前風の動作っぽく映ったり”することで、
すごい特別なものに映らない印象、といったところでしょうか???

しかし、
この「何気ない」「当たり前風」「変わった風に見えない部分」こそ、
いちばん訴えたかったのです。

良い見本とは、どういう見本のことをいうのだと思いますか???
「こうやれば、、、がよく映っている」
「その特徴がありありと強調され、それがよく映り、見える化されている」
そういう見本だと思いますか???

そう思った方へ、
これから、奈落の底へ突き落とすようなことを申します。

それぐらいわかりやすく動きや手順や出所などがわかる見本は、二流です。
なぜでしょうか???それは、実重量を敵対して、明らかに自前で動いているからです。
だから、はっきり「わかりやすく、表れて」しまうのです。
つまり、自然ではなく、不自然に何かを起こした動作。自然(ゼロ)になれていないということ。
あるいは、ゼロに近い重量になれず、ゼロに近い出力で合理的に動けていないからです。

いかにも体の連動が見て取れる、動きの出所がわかる、
おなかに力が入った、
腕や肩に力が入った、
腰から動かした、股関節から動かした、
中心だとされる部分から末端へ動かした、

見て取れるぐらい、それだけ不自然で、真実味がない見本だということ。
ようは、、、自前のむなしい工夫がありありと映った“変わった見本”
個性的、とはいいますが、
これは、個性的の意味を履き違えたことをいいます。

では良い見本とは???それは、

“ぱっ”とみただけではあまりにわからないぐらいに
“なぜ???”“どうして???”“どうやって???”
と見破られない見本のことをいいます。あまりに不思議でなぜだか動けていて、
“笑うしかない”という状況にさせてくれる見本です。

だからいうのです。
「体のどの部分から・・・など、わからなくていい。わかってはいけないぐらい」
「重りにモーターがついているかのように」
「重りは、上から落ちながら、上から上がってもいる」
「重りは、持った瞬間こそ実重量だが、動けば限りなくゼロkgになる」
「こちらの出力は、ゼロに限りなく近い出力」「ようは、不思議と上がって行く」
「あえていうと、動くまえに、動けている」

と、このような「聞き慣れないことば」にこそ、「説得力」を生む。
そんな見本が、理想の見本です。そして、見本の真実やあり方だと思います。









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