10年ぐらい前から
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ジャンプは、跳ぼうとしないもの。
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やわらかくまとまる。
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ブランクがあっても、、、(現在)
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「もし武田さんがテニスできたら、俺と勝負したい」

目をぎらつかせるようにわくわくしながらこう話してくれたのは、10年近く前、全国トップクラスのジュニアテニス選手を指導していたときのこと。雑談の中から出た選手からの言葉でした。たしかに周囲には、県や地区でトップレベルの選手は多いが、彼のようなレベル(全国3~4位)はいない。彼としても、身近にそういう選手がいれば、練習相手になって、自分もさらに向上できる、という気持ちがきっとあったと思う。でもその矛先が、、、私だったのです!!

でも当時は、今だから言いますが、自分が選ばれることに「違和感」はさほど持っていなかった。でももっとも自分など、ラケットすら握ったこともない、あんな速い球、想像しただけでビビるはず。その現実はありました。たしかに自分は、選手らに身体の使い方を指導し、ウエイトトレーニングでも指導して、見本も見せてきました。でも、、、自分は何かのスポーツの一流ではないのです。

たしかにいちから学習して、ほんとうにテニスをやってみたら、楽しいだろう、とは思います。
でも同時に思ったのは、、、何かを達成する前から、やれる・やるんじゃないか、、、みたいな雰囲気を自分に与えていることは、とても重要な要素だ、ということ。

何もなくても、自分を認め、自分を褒める。自分が有力選手じゃなくても、指導者としては自信を持つ。能力以前にこの気持ちがあって、「自分がやらなければ、誰がやる!!」ぐらいの指導内容だ、と自分で思い込んでいるし、一流をさらなる一流にできるのは、俺でなければ誰がいるんだ、ぐらいの(外ではもらしませんが)内では秘めている。

たしかにうちは、「動きのシフト」が違います。身体主体じゃなく、重力主体(大きく言えば、、、宇宙や神が主体:笑)。受け容れて馴染んで味わうことで、欲しいものを受け取れる、という動作です。身体のしくみや特定部位を指して「ああだこうだ」という論点からは一線を引いている。でもこういう視点に自分がなれたのも、一流センスがあるとはいえない「何も持たない自分」がここに気づけたのも、、、そういうこと(根拠のない自信)じゃないのだろうか???と思う。

動画では様になっているのかもしれないが(動きの質の紹介目的であって、パフォーマンス披露の目的ではない)見本も簡単そうに動けているといろんな方から認められたりするが、それほど速くは走れないし、圧倒的な重量を扱えるわけでもないんです。でも、、、信じてもらえているのは、すくなくとも自分には、そういう部分(根拠のない自信)があったからではないか???

自分が逆にお客様に伝えたいのは、、、、

専門教育も受けていない*、一流選手でもない、こんな自分でも、ここまでやっていけてることと、
何もない自分であっても、何もない状態であっても、そんな自分に自信を持つこと。
そういう人が正しく取り組めば、、、きっと、間違いなく、変わっていける、、、そう思うんです。


自分が「褒める指導」を優先するのも、「欠点よりもできてることを言う」のも、そういう気持ちの表れです。

最後に、、、どんな人でも、、、幸せになる資格がある。
幸せになるために、生まれてきた。
争わなくても、自分の分は、ちゃんと、“ある”!!


・・・・・・

なんだか、、、話がいっぱい飛んでしまって、、、



*でも、国際基準を満たした資格は、持っています。


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