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動画の題名、驚きましたか???
でもかといって、重りと身体の距離を離したわけでもありません。
歩み寄り以上に大切なものを、再確認できたからです。

その確認事項も、動画のタイトルに含まれています。
私の感覚では、、、鉄の塊が浮遊しているかのような。。。
(動画の動きも、そんな風に映っているでしょうか???脱力プラスアルファーで)

改めて、といっても昨日書いたばかりの記事を、要約し補足します。



【中心始動主義は、、、非効率】


もちろん、末端始動動作で手先足先動作でがっちがちのロボットのような動きはいけません。かといって、じゃあ中心からねこそぎ使おうとすることにも問題がある。ただ、中心が根こそぎ使えたという“その結果だけは”正しい!!しかし、それを原因にしないこと!!

小さな筋肉に大きなテコがかかり、莫大な負担が強いられるからです。
しかもその中心意識によって、末端の出がいまひとつで、やはり長いてこの影響か。
もういちどいいます。中心からねこそぎ、という結果だけは正しい!
つまり、、、原因が違うのです。それは、筋力や意識に頼らすして、叶うものなのです!!



【重りは、、、動くもの】


もし重力が働かなければ、物体は拡散するはず。我々もそうでしょうけど。
ようは、拡散するエネルギーを持っています。

あと実際問題、機能的なのは「外的注意」つまり、身体の内部へ注視を向けた動きではなく、身体の外部へ向けた動き。「針の穴に糸を通す際、、、視線はどこなのか」これが物語っています。荷物を運ぶ。扉を開けるでも、触れた荷物や扉を見たほうが、、、ということ。

「内的注意より、外的注意のほうが、動く」・・・エビデンスですでに言われていること。このエビデンスの私の実践感覚による理由づけが、「重りにはモーターがついている」「意思が重りに届く」かのような重量感覚になります。まさに「力を拾えて」いて、ここで「筋力を使えばもったいない」「身体意識を課せばもったいない」と身体も判断するぐらい。


ですので、動作の始動は、、、、、身体ではなく、重り。


(身体から先に動かした!とわかる動作は、“とても非効率”なのがわかるでしょうか???)


これも重量感覚です。



【熟練】


ここから先の話は、エビデンス関係なしに、私だけが導き出した結論であり、
まだまだ改良の余地も残しています。
ようは自分で賛否ができる感じの話になります。少し斜めに構えますが、

「じゃあ自重運動の腕立て伏せとかは、どうやるの???」

外的注意である重りはありません。しかし、体重が重りになるのでしょう。あるいは地面という外的を見るか???じつは私の選択は、「前者」なんです。身体ではなく体という物体が動くのです!!物体が動くから、身体(関節など)が後から結果的に動く。そんな言葉にすればわかりにくい感じになります。(もちろん熟練したのなら、「後者」を選択、もしくは「何も選択しない」)
【補足】現在はまた解釈も変わってきています。こちらの記事を参照

身体や関節を使うことは二の次になり、「筋力をほぼ使っていない」「動かそう、という筋への指令すらない」のに「体という物体が」上がっていく。(挙げようとしないでも)。腕で力んで挙げる、意識して身体の中心から使って挙げる、のではなく、全体が全部、動いてしまう。

すべては重量感覚であって、身体感覚ではない。

ウエイトトレーニングは、そこを鍛えています。そこを学習させてくれます。
ですので、重りがあったほうが簡単で、自重運動のほうが難しい。自重運動がそうだったように、身体を重りにできてしまうことが、私が感じるウエイトの「運動効果」と「実用性」。

つまりその運動効果によって、身体じゅうが節々ばらばらの物体になります。
そのバラバラの物体が先に自在に動かせてしまうのです。
重さは、動くものなのです。身体(体)という重さも含めて。


さらにメカニズムを紐解くと、
その(身体という)重さは、構造上、節々バラバラである以上、それに違わぬ結果、
どこか根こそぎというか根元から動かせていて、小手先動作にならないのです。


もちろん、この身体がバラバラだ、というその身体意識は持ってはいけません!
結果、中心始動主義ではないのに、その自在性がすべてを包んでくれます。
身体意識筋意識になって、長いてこに小さな筋肉がさいなまれるようなこともありません。


小さな筋肉に長いてこ、ではなく、

てこごと動く!



古い動画ですが、、、、

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と、これで完結!



といきたいところですが、、、課題もあります。

重量感覚が身体でわかってもいないのに、身体を手なずけようとすると、身体が体という外部にならず、内部注意内的注意となってしまい、身体意識になってしまう点です。これは重量感覚が会得された方でもいえること。たしかに重さになって自分を他者にできればいいのですが、その意識が仇となる可能性もないわけではない。

ただ、、、拡散するエネルギーを持ち、思考が叶うというメカニズムに変わりなく、
手なずけてしまうことに勝る手法はないと思います。
最終的には自動化してしまうのがベスト。外観ありき、かニュートラル。そこに決着づきます。

強化で「重りを手なずけ」「身体という重さまで手なずけられ」、
あとは「それが当たり前」になりさえすれば、あるいは並行して、実践現場では、
対象物や地面や相手や環境を見る(外的注意)あるいは何も注視せず感覚勝負(ニュートラル)。

ただ、現時点では、課題もありますが、これが“今の私のベスト”だということです。



追求はこれからも続きます。



最新見解はこちら



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