職場とかでいそうですね。怒りっぽい人とか、落ち着きがなくおろおろして騒いでばっかりの人とか。本人が熱くなっているのとは裏腹に、見ている側jからみれば、「そいつの価値を下げている」「どこか滑稽」。そんなもんです。ひとこと、「冷静になれよ」って思ったりするもんです。。。とくに仕事では「感情的になったらアウト」です。

でもこれは、感情を隠す、とか感情を消す、とか、ではないはずで。
「よりよい感じ方ができる」
としたほうがいい。だから、やられたそのネガティブさに麻痺しているのではなく、違う感じ方をしている。
それが、「大人」だと思う。大阪のおばちゃんなんか、そこがうまいと思いませんか???

これは、運動やトレーニングにも当てはまるのです。

重りを受けたことにより、あるいは重力環境にたいし、それに感情的になって、動揺して、「身体を弄繰り回したり」してるわけです。そういうのを求めているわけです。そういう知識が盛んになるのです。「固めてバランスを取る」「神経をあほみたいに興奮させる」「身体じゅうを意識しまくる」「代償を負ってでもいじめて筋力をつける」

「落ちつけよ・・・・」って感じですもんね。。。

感情にも、出し方ってあると思います。

うちの(トレーニング)動作は、振り返れば、感情の整理がなされた動作だといえる。
快適で豊かさいっぱいで楽しいそういう感情には満ち溢れている。それぐらい快適な動作。
意識で繕った「苦痛」。「苦痛があるから叶った」。。。そういう日本人思考みたいな拷問じゃないですし。

私の指導も、感受性や感情は豊かですよ。口癖が「いいですね~!」ですから(笑)。補助しながら、なぜか言ってるんです。「よし!」とか「うまい!」とか。でも、経験を積んだ今や最近では感情的にやられることがない。なぜか褒めていて、それとなくスパイス(愛のムチ:怒鳴りませんよ、もちろん)も効いていたりするもの。でも、これは、本心です。できるもの、という自信が、そうさせるのもありますが、それ以上に、理想の家族だったら何があっても信じられるものではありませんか???そんな気持ちです。あとは、経験です。「できなかったらどうしよう・・・・・」あなたよりできなかった人は、いくらでもいてたんですよ(笑)。そういう人が結果を出しているのですから。。。

あとこれは自分も永遠の課題ですけど、悪いものに遭遇したとき、いかに感情的にならないか。いえ、もちろん、感情を消す・我慢する、とかではなく。悪いものに自分が振り回されることは、自分の価値も下げます。ポジティブに言い換えたり、完全にそれとは分離したり、注目を変えたり、一段高い自分でいたい。それは常に心にあります。

もちろん感情を出すときだってありますし、許しています。でも、ねちねちしないこと。すかっと出してしまうこと(殴りかかる、とかじゃないですよ:笑)。うまく流せば、切り替えられる。同じ愚痴でも、ねちっこい悶々とした人と、さっぱりしてて次から次へ話題が変わる明るい人、との違いみたいなもんです。前者は、聞いてる側まで嫌な思いをしますし、後者はなぜかネガティブさを感じないものなんです。前者みたいな人や後者みたいな人、いませんか???実際にありませんでしたか???

こうして振り返ってみたのですが、改めて気づいたのは、

それ以前の問題として、心に「愛」があるかどうか、だということ。

いやだいやだ、という人間は、自分を愛していないし、好きなこと・愛するものがなく、義務感で働いている、行動している。自分を愛していないし、自分を持っていない。どっちが先でどっちが後かはわからないが。だから感情的なんだと思います。そういう人は、自分に課したのと同じように、他者評価をします。そういう人のなかで溌剌さがある人など、出会ったためしもありません。

愛をもって、信じて、もてなしたいだけですからね。うちの仕事は。自分がやりたいことは。
人格否定ではなく、尊重です。理想の家族みたいに信じあうこと。
そして引き出して差し上げるのです。「あるべき姿」を。ただそのやり方が様々なんでしょうけど。

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