2015.04.21 修行ではない
ある宗教団体の人が、駅前で演説(?)をしていた。
もっともらしいことを述べる最中、???という発言が随所に見られる。
要約すれば、

「理想を叶えるには、修行をしなさい」

そういう部分に我々は耳を疑い、抵抗を感じるのです。
理想があるのは、結構。私もそうあるべきだと思う。
なのに、、、苦行を課せ、という苦行、その報いの欲求に酔いしれるなどもってのほか。

これは、トレーニングでも一緒。トレーニングは、苦行ではない。
叶えたい理想があるのは大いにすばらしい。しかし、苦行ではないし、報いを求めるのではない。
数値を求めたり、きつさを実感して酔いしれたり、、、、これこそ「弱さ」だと思う。
あるべき姿からもっとも遠ざかった姿だと思う。だから、実用性に欠けるのです。

すると今度は、どうだろう。。。
怠惰になって、「現実はこうだから、それを受け容れなさい、流されなさい」
あるいは、間違った楽しさや快楽。

この辺のバランスを見直すべきです。
「本来あるべき姿は、きっとすばらしい」
・・・・・そこへの楽しい冒険なのです!!充実したフィットネスライフなのです。

間違った修行ではなく。


【加筆】

ここで、整理する意味でも、対比したいと思う。

修行・・・・・自分の悪い部分にフォーカスしたもの。
冒険・・・・・魅力ある自分や理想の自分像へフォーカスしたもの

ここでいう修行とは、頑張っても頑張っても次から次へ欠点をあぶり出す感じで一向に解決しない。一向に自信が持てず、出てくる言葉は「まだまだです・・・」。だから見るからにそう思ってたとおりの現実になる。またある意味、修行そのものが目的に陥る危険性もある。

冒険は、あくまで理想の姿にフォーカスし、「できた途中経過」として前向きに見ることができる。あるいは、はじめから確信、根拠のない自信がある。でもそれは、右往左往した「勢い」ではない。できた部分も褒め、できなかった部分も「また向上できる!」と前向きに。練習はある意味、ミスが許される場。今失敗しなければ、いつ失敗するの???というのは、私がこの業界に入りたてのころ心がけていたこと。

注:勢いで「できます」「自信あります」となって、何かネガティブなことがあったらすぐに自分に負けるような様ではない。あるいはそれをかもし出すような軽さではない。


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