仕事の世界でも、さまざまな業界でも、コーヒーがやっぱスタバがナンバーワンだというふうに、
理念を持って、カタチだけで終わらず皆がミッションを共有し、見事に実行に移し反映され、
品質を向上させた見事なまでのCS(顧客満足度)を高めているところがやっぱり優れた企業。

理念あっても上層部で留まるか、世間の流行に流されたり、時流に流されて本質を見失ったり、
あるいは笑顔だけや世間話だけで品質が伴わない満足度だったり、
安さだけで終わって、その先の理念がない、とか、自分らさえ食べていけたら、、、とか、、、ではない。

自分は個人事業になるのだが、
食べるためだけの目的で務めているのではなく、ミッションを持ってこの仕事をしている。
ミッションがあるから、ここまでこだわれる。希望のその先を求めるようになれる。

運動で人を豊かにしたい。
動作が変わって根元が変わることで。
子供のように、無制限な人間本来の姿を取り戻すことで。

つまり、、、フィットネスを求めている。
フィットネスのフィットとは、一段高い理想の自分を目指すこと。でもその行動に妥協はない。
ひとつの効果を生むのに、他の要素を代替にする、身体が軋んでしまう代償がある、ではなく。

そのフィットネスが、カタチに終わり、世間でいうイメージで終わるのではなく、たとえば「ヨガのポーズ=体幹トレーニングやストレッチ」とかではなく、それがありありと浮かばせる女性像やマシントレーニングをする女性像で終わるのではなく、本質を求めてこそ、価値がある。(ヨガも、本質はおそろしく深い)

私は、人には感性という大切な能力があり、それが判断基準だ、と思っている。
だから、その感性があるから、大切な論理だけを採用できたりもします。
感性は、論理と敵対するものとは限らないのです。

たとえば、このエビデンスを私は採用しています。読者なら何度も見ているだろう以下の内容。

・自分の筋肉や関節など、身体へ内側へ意識注視を持っていく動作(内的注意)
・重りや地面や対象物など、身体の外側へ注視を持っていく(外的注意)
機能や動作の効率なら、内的注意<外的注意
筋肥大や筋への刺激なら、内的注意>外的注意

ところで、論理論理という人や、感性は当てにならない、と堅物の方に限って、
「大切な論理だけがなぜか、見過ごされている」
「トレンドではなく、、、と言いながら、トレンドになっている」
そんな矛盾もときどき、、、私には映ってしまうわけです。

近年アスリートまでもが「内的注意の呪縛」となっていたり、
動作法までもが「その呪縛」になっている。
あくまで私の動作法は、そこにはない。

言ってしまえば、、、運動能力向上目的、機能改善目的なのに「何筋が大事だ」とか「体幹・体幹・・・」とか言ってるは時点でダメだ、ということ。うちにはそういう人は一人もいない。だから一見「知性に薄れる」ように感じるだろう。しかし、「ほわーん」と穏やかでありながら、誰よりも「本質部分で射抜いて」深い考察ができていることに、気づく人は少ないし、気づくべく人にしか気づけないのです。

動きのセンスは、力を拾う能力のこと
筋トレではなく、ウエイト
ビルディングではなく、リフティング
わかればできる、ではなく、できてはじめてわかる

カタチだけ豊かになってもそれはフィットネスではないし、CSにはならない。
笑顔だけでCSにはならない。
カタチがぶきっちょでも、大切な何かが伝わり、感じてもらえ、価値を共有できること
そこにCSがある。


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