2015.04.13 CLEAR
澄み切った様。くっきりした様。

そうです。持論が澄み渡り、くっきり視界が開けた、と申しましょう。
昨日の書いたふた記事(実用性意思の向け方がすべて)の内容もより鮮明になることでしょう。

今回は、いつもと趣向が違っています。ただ、これが最初で最後かもしれません。

じつは、知らず知らずのうちにウエイトトレーニングで「あるすごいこと」を求めていて、「そのすごいことが日常へあっさりつながり叶っていく」ことで、すごい実用性を叶えてきたのです。でもブログの表現など、「どこかマジック」みたいで、見ようによっては「信憑性に欠ける」ことも。そこを「クリア」にした、そこが「クリア」になってしまったのです。

それに気づいたのは、ほんの小さなきっかけ。
「点」と「点」を簡単に結んだ「線」ではなく、
その小さなきっかけである「点」から芋づる式に「線」があぶり出されたのです。

ただ、、、「それ」を「言葉」で表現しますと、、、少し薄いんですね。。。

「な~んだ!!そんなことか・・・・」で終わりそう。。。。

言葉では、端折った部分しか伝わらない。しかし、言葉の奥に深い意味があり、じつはこれまで「その深い意味ばかり」をブログや現場の指導で感性で語ってきたわけです。「その言葉」は、これまでの方向性の信憑性へとつながり、すべてがクリアになって、きっと魅力伝わると核心しています。

ですので、いきなり結論
「はい!これを求めていたんです」
ではコーチングにならない、という私の意志を尊重し、振り返りながら誘導していく文章スタイルにします。


【落ちる動作だった頃】
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【思考力に目覚める】
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【融合される】
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【まずは、、、振り返る】

一応このように過去の動画を載せました。じつは、たしかに動作の種類は変遷はしているのですが、、、

「ある共通点」

があったのです!!ただ、知らない間に求めてきた「それ」には「いくつも種類があり」、その優先度合いが変わっていった、というほうが正確かもしれません。この変遷は、【重力だけに縛られてはいけない】という警鐘で変遷したのです。

しかし、最初の【重力動作】【落ちる動作】では、
体験した人が必ず味わう「不思議感覚」がありました。
とくにふたつめの動画でそれが起こりました。

「下がっているだけなのに、、、なぜか上がっていく」

そんな動作に見えませんか???実際そうだったのです。
「下げて下げて・・・・あれ???・・・いつしか上がって:笑」
まるで、、、手品のようで、下がっているだけなのに、、、上がっていくんです。

そこで今度は【上がる動作を優先】にしたその動作は、「重りを注視する」だけなのに、重りにモーターがついているかのように上がっていきました。意思が伝わったんじゃ???主観では間違いありません。
しかしこれ、、、じつは隠された秘密があったのです!!

いかがですか???両者ともやってることは一緒で、同じ「あること」を起こしていたから、不思議なことになっていたのです。しかもふたつめの動画のようにその【落ちる動作】では、下がる動きでさえも「あること」が起こっていたのです!!だから、あんな動作が叶ったのです。



【運動のセンスって、何???】

何だと思いますか???力が強いことですか???巧みに身体を操作できることですか???
それもあるのかもしれませんが、“私の答え”はまた別のことろにあります。
これは、【技術が存在する意味】にも通じます。なぜ技術なの???そのほんとうの価値は???

その私の答えこそ、、、クリアになった「それ」という答えなんです。

これは私が高校生のころ。同じトレーニングの通称が体育科と普通化で異なっていて、
体育科の生徒の口からは「ウエイト」。普通化の生徒の口からは「筋トレ」
高校生当時、単なる偏見で、
「運動できる人がいう、ウエイト」「ウエイトって言ってたほうが、かっこいい」と思っていた。

しかしこの気づきこそ、本質を得てたのです!!
「動けるセンスがある人がやるウエイト」「動けるウエイト」「センスがある」
「動けない人がやるから筋トレ」「動けない筋トレ」「センスがない」

話を戻しますが、、、動画の動作って、なかなか見かけない動きだと思いませんか???
私の動作やお客様の動作は、たいてい現場でもそんな感じで、ひとこと「楽そうに」
でも、、、不思議な上がり方、とも取れます。

「筋力、、、いつ使ってるの???」
「どこの力を使ってるの???」
・・・・・これがさっぱり見えないでしょ???

その必要がないからです!!
筋力で挙げていない!!いえ、、、、最小源には使っているだろうが。。。
じゃあ、、、何故???

それが、、、運動のセンスであり、技術が持つ深い意味だったのです。

また、、、技術っていうと、どうも「カタチ」「フォーム」のことに摩り替わっちゃう。。。
大事なのは、、、意義です。存在意義。
技術は、、、クリアになった「それ」のためにあるのです!!



【ここまでを整理・・・回答】

私が知らず知らずにやっていたこと。不思議な上がり方になってしまうわけ。運動のセンス。
すべてがつながっていたのです!!
いつの真にか、こんなことを「身体が選んでいた」というほうが正確かもしれません。



その応えは、、、、その共通点とは、、、



力を拾っていた!!



力を拾う能力が高いことが、運動のセンス。(ウエイト)
力を拾えないから、後手後手に余計な力でもがく結果にもなる。(筋トレ)
力をよりたくさん「拾える」ために、より多くの力を拾えるために、「技術」がある。
その力は、重力を代表に、反力や反作用もあれば、物体が持つエネルギーもあるでしょう。

だからこそ、、、「この力だ!」と拾える力を限定しないこと。もったいないでしょう。。。

ただ、、、、拾いたい力は山ほどある。。。

いちいち意識せなあかんのか???

その手間を省いたのが、「ウエイトトレーニング」。つまり「重りを扱い、注視すること」

ウエイトトレーニングでは、身体ではなく、「重りを見る」「重りを注視する」
拾いたい“見えない力”“知らない力”も含めて拾えてしまうから!!

その「センス」が身体に刻まれるから!!これが実用性。

ここだけはどうしても「ファンタスティック」でありたいのですが、、、、
「この力だ」「この力とあの力だ」とわかってしまったら、無限の可能性が奪われることは申しました。
「わからない何か」を「いっぱい」拾えていて、、、「なぜか」動けている
という希望が欲しいのです。

そういう意味で「思考が叶う」という主観もまんざらでもなかったし、
これまでの変遷のその前後とも正しいし、それはひとつの個性、というふうにも取れます。

ただ振り返れば、【落ちる動作】だったころは、重力を受けるだけではなく、重力を拾っていた。しかも、ついでに色んな力をも拾えていた。その後の変遷でも、重りに触って、見た・注視しただけで、じつは「力を拾えていた」のです。荷物を持つ際、荷物を見て挙げたほうが、上がりやすいはず。扉を開ける際も。どこか自分には、抜け穴のようなものがあって、そのゆとりが今まで「奇跡」を起こしていたのだと思います。




【エビデンス】

自分の筋肉などを注視して動かす「内的注意」は、機能面で優れない。でも筋肥大にはいい。
重りなど「身体の外部」を注視する「外的注意」は、機能面でいい。
理由はわかりましたよね???

しかも、、、熟練者なら、、、、「内部」「外部」とも注視しない「ニュートラル」がもっとも機能的。

トレーニングを終えた身体は、いろんなものを拾える能力が得られ、動きに自在性が増す。
結果、日常では、無自覚で不思議なぐらい力が拾えているから、動けてしまうのです。
あるいは、壁や背景や地面などを見、どんな力か知らないけど、なぜか拾えている!!と思える感じ。

武術関連の専門家でも、体幹トレーニングを否定する方もいます。
私にはそれがよくわかります。私も同じですから。。。
理由ですか???もうおわかりでしょ???「運動のセンス」が大事だからです。。。

繰り返しますが、
クリアになっても、この「なぜか・・・・」というのはやっぱり大事なのです。
そういう抜け穴が欲しいのです。

くわしくは、こちらの記事で



ずいぶん長く引き伸ばしてしまい、
それでも最後までお付き合いいただいて、ほんとうにありがとうございます。

絶妙な辻褄だったのです。。。
でも、、、それに気づいたのは、、、、なんと、、、
「買いものカート」を動かしたとき(笑)

買い物カートを見て動かすとスムーズで、見なければ、力入った。。。力が要った。。。
力が要った。。。余計な力が要った。。。その余計分、じつは本来、拾えていた!!
これまでいっぱい拾ってきたな???じゅうりょくにはじまり、、、あとはもう成立つかないけど。。。
でも、、、整理がつかないのに、いっぱい拾えてたな???武田マジック???

そういうことか???と。。。



「力を拾う」という言葉だけでは、、、「な~んだ、その程度のこと???」になったでしょう。
あるいは、「拾う対象」を「意識する」といった「自虐」になるでしょう。。。
しかし、重りという「自然物」は、やっぱりすごい!!(脱力方法とかも結果であって、、、)
そして、、、子供が天才なのも、またわかった気がする。大人に比べ、余計なものがないから。。。



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