2016.09.30 しない勇気
しっかり(どこどこに)力を入れて、鍛えなければ???
しっかり(どこどこを)意識して、動かさなければ???

など、注意点があれやこれや。
でもこれらすべてが結局できない。
できなかった自分を責める。だんだん面倒になってくる。。。

いいえ、、、正確には、、、
面倒だと感じてはいけない、と自分を苛めること責めることで感情や気持ちを否定し、
嫌でもやってしまう。嫌でもやろうとする。嫌でもやらなければいけない。。。



結論です。



面倒な努力は、、、しない。



それが面倒だと感じるのであれば、やってもやらなくてもいいことだと思うのです。

私のウエイトトレーニングは、、、「力を入れないように」と教えます。
「力を入れない」ことで、なぜだか挙がっていく。なぜだかまとまって整っていく。
でも、、、「力を抜け」とは言いません。このニュアンスって結構大事。

同じ動画ですいませんが、スナッチ後のスクワットが、、、まさにそれ!!
力を抜けば乱れますが、力を入れてないので重さの良い受け止めと重力適応が叶っています。
最初のスナッチも、力を入れてないから、シャフトが跳ぶように挙がってくれています。

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ようは、、、



「余計なことをしなければ、、、かえって必要なことができている」



そこを体で感じてもらいたいのです。



細かい技術は後の話です。

そもそも世間でいう「動きの連動」やらそういう類は、「元々誰しも備わってるもの」
それを意識して行うのではなく、「自然」になれば、叶うもの。
末端主動にはならないし、対角螺旋っていうんですか???それも叶うのです。

鉛直なウエイトをやるだけで。



指導で目指してるのは、
「無自覚でやってしまったこと」に気づき、「それをしない勇気」を持つこと。
こういう継続反復で、、、ナチュラルな自動化へ近づくのです。



簡単そうな立ち幅跳びは、一気に枠外へ
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2016.09.29 気が変わった
以前、「俺自身、自分に厳しすぎたかも???厳しくするのをよそう」って触れた気がします。
結論からいいますが、気が変わりました。
素顔を逆に隠していた気がして、無理があると感じたからです。

どうでもいいインターバル。
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なぜ「きびしくするのをよそう」としたのか。

そうしたほうが、相手の長所がもっとみられると感じたからです。
自分と相手とは、コインの表裏。
自分の許せない部分を見る癖があると、相手へのその許せない部分をみてしまう。
そう知ったから。

今は、それを見直し、こう考えるようになりました。



・・・・・・・


・・・・・・・



自分に厳しくて、何が悪い!!



・・・・・・・



あるトレーナーに言われたことも、大きなきっかけでした。

「武田さん、自分に厳しいから、他人にも厳しい」

そのときは、虚をつかれた気分になりました。
俺は普通のことを普通にやってて、むしろ甘いぐらいで、型を壊すゆとりやおおらかさを持っているはず。
クライアントからは、「たのしませてくれる」とかそういう声しか聴かないから余計だった。



でも、言われてみればそうかもしれない。。。と感じ、見つめなおした。
そして、さっき触れたこと。
自分に厳しい???許せない部分を見てしまう???肩の力が抜けていない???



でも、、、、



・・・・・・



自分に厳しいのは、決して自分の悪い部分を責めたり、欠点しか見えないとかじゃなく、
あるいは他人に対しても、そういう見方になってしまう、とかじゃないんだ。

前向きな向上心が、そうさせるんだ!!
ワクワクした探究心が、そうさせるんだ!!




だから、、、長所を優先するし、本気で向き合うし、妥協はしないし。。。
でも、、、窒息するような頑張り方など、施したことはない。

良い頑張り方をしたい!!
という「前向きさ」が、そうさせるんだ!!





だからもう一回言います。



・・・・・・・



・・・・・・・



自分に厳しくて、何が悪い!!



・・・・・・



そして、、、もっと大切なことに気づきました。
それは、、、もっと自分に素直になること。それを受け容れ、認め、許すこと。
たとえば俺は、、、人見知りだし、多くをしゃべらない。しゃべりたくない。集団で群れるのが大嫌い。
でも、、、しゃべらなければいけない、しゃべれない自分はだめな奴なんだ、って思うんじゃなく、

しゃべれなくてもいいじゃないか???そういう場所からは離れれば良いし、
その代わり、、、自分に集中して、何かを完成させたり築いたり、、、それが得意じゃないか!!
類稀な創造力。抜群の集中力。驚愕の冴え。ワールド!ランド!大人になれない!止めれない!!

俺は、、、それでいいじゃないか!!何が悪いんだ!!



だからこそ、、、人も尊重したいと思う。



共感したなら徹底的にやるし、
そうじゃないのなら好きにして欲しいし。
それはあくまで、相手の自由であり、相手の自己責任でもありますから。




浜田省吾 ミスロンリーハート

一番目のサビの部分
「やさしい男たちが 君の耳元でささやく 
恋の駆け引き 苦手な僕は ただ遠くで 見てただけ」
って部分。妙に共感するんです。。。




前の記事か二つ前か忘れたが、
食事をただ単に腹を満たすだけで終わるような、
ペットや家畜のえさ同然みたいになるのって、、、人として間違ってる。

せめて、、、味わって、語れるぐらいでないと。
それは、できる人間として、最低限、必要なことだと思う。
味覚を楽しむ、というか。何も食材のうんちくはいらない。とってつけたような栄養学もいらない。

食べて、、、どう感じたか???

脂の乗り具合でもいい。
コクや苦味や旨みでもいい。受けつけ具合でもいい。
旬ならではの、、、(待ってました、この感じ!)でもいい。
買った場所(スーパーなのか八百屋や肉屋や百貨店なのか)によって味が違う、とかでもいい。

我々は、、、家畜ではないのですから!!



それと同様で、、、トレーニングもそう。

何が目的でやってるのかわからないような追い込み方で長時間の追い込み(?)
トレンドで真似事で。。。
マニュアルどおり。ガイドラインに「右向け右」。

やる気や本気さ、まじめさ、ひたむきさを、私には感じとれないのです。

本気で変わる気あるのか!!って思います。




ばかばかしくて、まじめな奴ほどバカを見る。
呆れてしまうから。
でも、、、それでも、、、信じているんです!!

まじめだから、、、成功してきたわけだし!!

まじめな奴ほど、、、成功するんです!!

だって、、、素直だし、、、素直だからこそ、ちゃんと感じられるから!!




でも、片マジメではないのよ。。。
これって、、、ひたむきさに欠ける依存ってことでしょうから。
こういうのが私には、むなしくも悲しくも感じてしまうのです。




自宅にて。。。ラックがないから、スナッチで。60kgでした。私だけの「ほっこりフティング」

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先日ジムで、私がオフの時、50kg程度で軽くスナッチを練習していたら、なじみの方から、
「それができないんです」
私は「リラックスが大事ですよ」というメッセージを贈るべく、「脱力したフリ(ポーズ)」をしました。
それがますます彼を遠ざけてしまったのかもしれませんが。。。

その方も身のこなしを身につけたい方なのですが、苦戦しています。
以前は私も、アドバイス(無料)はしていましたが、今はもう、していません。
データーを取ったわけではないのですが、

大人というか、年齢が増すにつれて、「できない・できない」。
指示されたとしても、「できない」。やる前から「できない」
それにたいし、子供の場合は、、、まずやってみる。
できなくても、どこか無邪気で、どこか可能性さえも窺える。

これは以前勤めていたジムで子供のスクール指導の経験がある同僚が漏らした言葉でした。



できない、と思ってしまえば、ほんとうに、できるものもできなくなってしまいます。
「今は、、、できない」でとどめておくのです。
そうすれば、、、できる要因や長所、今までやってきた「できた点」を探すようにならないでしょうか???



小さな成功を見れるかどうか。

その小さな成功のなかに、大きな成功も含まれるし、
たとえそれが全体の1%しかない成功であったとしても、99%の失敗を見るより遥かに建設的。
もし99%もの成功をしたとしても、1%の失敗を見てしまうと、
その1%の失敗が100%の失敗にも映るでしょう。

だから、バカにせず、こういう運動でも馬鹿にせず、まじめに向き合う必要があると思います。
でも、、、もし重りが、、、こんなのだったら、、、、どうですか???

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才能があるから、できる
才能がないから、できない

そう言う前に、



やってみても、いいかもしれないな



と言ってみたいものです。
これだと、気張る感じもないし、
嫌になればやめればいいし、またやりたくなればやればいいし。



参考図書:石原加受子 「いいこと」ばかりが起こる幸せの6ステップ




前日の記事。「重りは、ゼロkgになるような感じ方をしている」という話。

これは、裏を返せば、
「ゼロkgでないから余計な力が入るようにもなるし、余計な力が入る以上は正しく感じ取れていない」
ということ。

重さが負担になるから、それに打ち勝たなければ危険だと判断し、力が入るのです。
筋力が使われるのです。でもこれは、、、鍛えるという意味ではないと思います。拷問です。
拷問でしょう???だって、乱れた動きになっても耐えられるような強さを磨くのですから。

「水や食料が枯渇しても生きていけるように、今から枯渇した状態のことを想定しましょう」
っていうのと、話は一緒なんですから。

正しく感じましょう。正しく感じたのなら、使われる筋力こそ最小限であって、
動きを整えるでしょう。整えよう、とするでしょう???
間違った充実を捨て、正しく充実させましょう。正しく感じましょう。


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私が見ているのは、「形のできたできなかった」じゃないんです。
「重さを感じられたか否か」
なんです。余計なことをせず、感じられたか否か。

感じずに耐えて、あるいは耐え切れずに逃げたり逆らったり。。。
私に言わせてもらえれば、「耐え切れない」その思考こそ、考えられない。
そんな無茶な設定はしませんし、軽い、と感じるポジションに来ていいんですよ、って言ってるのです。

ですので、「それに対するミスで、力が入ってしまった」ならわかります。
私はそういう部分を見ています。それなら良い失敗だ、と。
重さにたいする歩み寄り。感じよう、としてたこと。そこを見ています。



(追伸)

感じなければいけない
感じられるために、感じることをがんばります。
これこそ思考の迷宮です。

食事をするにしても、ただ腹を満たすことしか考えられず、味わいが少ないのであれば、
味わってみることから。運動だけで見れば、運動という義務感になりがち。
しかし運動は、芸術のひとつです。ほかのことにも通ずるものだと思います。

呼吸ひとつとってもそう。排泄の気持ちよさでもいい。
花屋さんを見て、いいなあと感じたり心が和んだり。
それと一緒で、、、ウエイトも、心地よさを探すもの。感じることで。それがバランスであり芯でもある。

運動暦など当てになりません。
心が豊かかどうか、というのと、
豊かでないからダメなんじゃなく、豊かなほうを知っていくこと。感じていくこと。
そこにあります。