2015.05.31 気張らない
「これこれができてから、、、それができる」
これでは一生かかっても、それはできないでしょう。
できたとしても、理想とどこか違っていたり、、、いびつなものになってしまったり、、、
それよりもまずは、「それ」をやってみること。叶ったものだ、と思って。

じつはこれは、私がトレーナーになった駆け出し当初の自分でした。
「根拠のない自信」だけがありました。
だから、、、今の自分があるのです!!

そして、自分でならではのこだわりとして、
高校3年からあった「動作」のあり方が20年以上かけて進化させてきました。
たとえば、、、動作でいうなら、、、

筋力がなければ挙がらない
意識しなければ動けない

これですべてを叶えようにも、一生かかっても手に入れられない筋力などがいることでしょう。

重りが上がるから、重りが挙がるわけで、
身体が動くから、身体が動かせるわけなんです。
他力本願になれるかどうか。自己評価をもっと高められるかどうか???
頑張る、というのは、それだけ自己評価を自分で下げているから。

自信も同じ。
何かを達成するから自信がつくのではない。
これではやってもやってもまた自信が持てなかったり。。。
先に自信を持つことで、結果が伴うのだと思います。

良い動画をご紹介します。
「世界一になりたい、、、と思うからなられへんねん。なりたい、、、ではなく、なる!俺が、なるものだ!」
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最後に、、、

相手と比べて自己評価の水準を決めるのではなく、
自分が自分を高く評価していれば、そういう水準は気にならないし、
人は他人にたいし、やさしい行動になると思う。

自分はたしかにアイデンティティの塊。そういわれることもしばしば。
だからこそ、、、逆にそれが知られなくてもいい。出さなくても良い。
あるんだから。。。

ちょっと頑張りすぎてたかもしれないな、と振り返った。
でも、、、、「自分がこうなんだ!!という方向性」、「自分がやりたいこと」。
これだけはこれからも貫きたいと思うし、指し示したいと思う。

それが結局、、、、ニーズを超えたウォンツになるから。
でもはじめから、、、ニーズもウォンツを求めていないし、それができないのが素顔です。
好きでやってるだけ。でも、、、自信はある。


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もぐること、、、じゃないかな???って。

何度も触れてるように、「身体が動く前に、重りが先に上がる・動く」わけです。
重りが先に、上がるのです。
つまり、、、身体は(結果的に)重りにもぐりこむ位置関係になるわけです。

もちろん、これは間違った考えですけど、
「身体を主体に考えて、重りにもぐりこんだ身体(を主役に)の真上に重りがある」みたいな。。。
あくまで、「重りが先に上がったから」という話です。脚キックではないと思います。

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だから、、、デッドリフトも同様。重りが先に上がるので、もぐることが、基本になります。
でも、間違っても、脚の上に重り乗せるような過ちではない。脚キックではない。

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それぐらい、、、先に「意思」が届いていて、挙上動作はじつは、叶ったあとの見直しみたいなもの。
ようは、、、、「早い」わけです。「早くて、当たり前」なのです。
プロセスどころか、、、事後処理なのです!!

でも考えてもみてください。
いろんな日常動作は、無意識レベルで意思が働き、意思どおりに動かせているでしょう???
ようは、、、本来「事後処理」で動けているはずでしょう???
そして、、、早いはずでしょう???エスカレーターでもそのほかでも。。。事後処理でしょう。。。

だから、、、ほんとうは、「できている」し「持っている」

でも、、、少しでも特別な動作や全身運動になったら、、、、、、、、(乱れますね)。。。。

そこに気づいたなら、、、

まずは重りでそれを思い出すのです。
だって今はすでに「(身体の)内面で問題が起きている」のですから。
問題が起きている部分に注視せず、中立な外部を注視し、疎通し、即通させていくのです。


早さとは、時間の表すもので、ながれやタイミングが早い感じです。
じつをいうと、ムリに早くしているわけではなく、本来あるべき早さに戻れたときに、動きが冴えるもの。

ただ、たしかに周囲よりはワンテンポ早いとは思いますが、、、
歩行や走ることが半歩早いもも上げ、半歩早い進み方、に摩り替わるぐらいですから。
でもこれも、通常のながれではないか、と。踏んでから蹴るものではないし。。。

もっというと、力み・筋意識・身体意識などによって後天的に「タイミングが遅らされた」ことが元凶。
あるいは、運動不足などで動きが自己本位で力任せになってしまったことも、あると思う。

だから、、、ひとつ動くごとに負担がかかり、余計に力が必要とされ、、、
ただ、、、それでそのための筋力を鍛えよう、、、というのはずれた代替になってしまう。
コンディショニングを考えたりしたとしても、根本の「動き」が変わらなければ、、、ということ。
さらには、その「動き」の改善に、「身体意識」などを用いてしまえば、、、早くなれず追いつけないまま。

また、身体意識で「早く」動こうとしても、意味がない。これもまた、きっとぎこちない動き。
そもそも「意識的に動かそう」とするのは、自分に「負の思い」があるから。
そこから変えなければいけない。

プロセスをなくせ!と。プロセス作りが結局、ワンテンポ遅らせるから。

だから、大事なのは、、、「なぜか、、、動けちゃった」という「正の思い」に還ること。
でも、、、根付いた負の思いや行動から、なかなか抜け出せないでしょう。
だから、、、ウエイトトレーニングがあるのです!!


「重りが先に、上がるから」
「身体が動けてしまい、重りも挙がっていく」
そこに「プロセスは、ない」のです!!

「動く前に、動けている」「動く意思が先に重りに届き、あとは勝手に」
・・・・・その「勝手に」を磨きかけるのが、ウエイトトレーニング。

負担が大きいのは、遅れているから。そういう力感はもう卒業。でも、意識して早めた身体意識ではない。

「なぜか、、、動けちゃってて・・・・・」という「早さ」になる。

その学習に、大人のしがらみを壊していく手法に、ウエイトトレーニングが位置づけられています。
私の指導では、、、という条件つきですが)。

これはある書籍からの抜粋(要約)。

「晴天の日に、晴天を見るのは、容易なこと」
「でも、、、嵐の日でも、晴天を見れるかどうか」

これも、、、それでも貫けるまっすぐさも、、、大事だとつくづく感じています。
というか、、、俺の場合、、、自分でなくなってしまうなんて考えられないし。。。
周囲の目で怖気づくのは、それだけ自分が自分を貫けていないから。

自分の話で恐縮ですが、
身体を鍛えることで、うまい鍛え方で、人を幸せに豊かにするのが、自分の仕事。
でもその前に、自分がまず(自分の鍛え方で)幸せになっていることですしね。。。
健康そのものでストレスがないって感じ、というか。。。良い意味で(憎めない)おばかですけどね:笑。


あくまで私論ですので悪しからず。

「人を超える」と書いて「超人」なわけですから、
「人」であることを超えなければいけません。
ですので、人である次元を超えて、、、
つまり、、、人であることをスルーするのではないのです!!

たとえていうならば、
健康になるために、かえって不健康になった、、、みたいなことを超人というのではないのです。
でも、、、固定観念や常識に囚われて、夢を諦め安全や妥協に走ることも人間らしさではありません。
作られた大人感を壊し、制限のない希望に溢れた姿や可能性。

それを貫いてわくわくどこまでも希望へ突き進む成功者とよばれる人らが、超人だと思います。
良い意味でわがままで、それでいて、どこか調和もされているのです。